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2011年1月23日のブックマーク (5件)

  • 図書館閉鎖抗議で本棚が空に、住民が一丸となって1万6,000冊の本借りる。

    多くの人が趣味や勉強のために利用するだけでなく、時には憩いの場としても活用される図書館。市民にとっては重要な公共施設ではあるが、財政難に陥った自治体が縮小や閉鎖という道を選択することもある。英国のある街では財政の悪化により、年内での図書館閉鎖を検討せざるを得ない状況になったそう。しかし、この計画に「待った」をかけるべく、一部の住民たちがFacebookやメールで抗議活動を呼び掛けた。その結果、図書館にあった約1万6,000冊のが借りられ、棚がすっからかんの状態になったという。 話題を呼んでいるのは、英南部ミルトンケインズにあるストーニー・ストラトフォード図書館。複数の村や町が合併して1967年にできたこの街には10の図書館があるが、街は予算規模の縮小を迫られ、図書館の運営縮小も検討課題の1つになった。現段階では、10か所の図書館のうち2か所の年内閉鎖を検討しており、2月22日に開かれる

    図書館閉鎖抗議で本棚が空に、住民が一丸となって1万6,000冊の本借りる。
    mujin
    mujin 2011/01/23
    あいかわらず民度たけえな。
  • ソープに200万ほど使ったのでセックスについて書く

    mujin
    mujin 2011/01/23
    幸せな気分になった!ありがとう!
  • リクルートのチラシ宅配サービス「タウンマーケット」がサービス終了

    2008年3月にリクルートがサービスを開始した「登録型」の無料チラシ宅配サービス「タウンマーケット」が2月25日発行号でサービスを終了することになったようです。 ▽タウンマーケット・宅配サービス終了のお知らせ http://www.recruit.jp/info/info20110117 創刊からちょうど3年。小ブログでもその可能性についていろいろ考察してきましたが、サービス終了に至った理由を考えると、①売出し日を重視する媒体だけに週1回の宅配ではスポンサーの要望に応えきれなかった②宅配コスト(チラシ封入や宛名付け作業含む)を上回る利益が確保できなかった③総体的に折込広告(チラシ)の総量が縮小してきた―といったところでしょうか。 リクルートは「近年の情報入手の動向として、WEBやモバイル・スマートフォンなどの利用が著しく増加。地域のチラシについても、インターネットやスマートフォンで見たい、

    リクルートのチラシ宅配サービス「タウンマーケット」がサービス終了
    mujin
    mujin 2011/01/23
    さすが今だけ委員長、しっかり分析されてらっしゃる。折込広告は新聞7日分に比べると少なかったのよね。それに地域性のある広告が少なかった。客層がかぶってたし。宅配コストが一番の原因だと思うけど。
  • asahi.com(朝日新聞社):「検察は裁判決着を避けた」 元海上保安官がTVで批判 - 社会

    沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件で国家公務員法の守秘義務違反容疑で書類送検され、不起訴処分(起訴猶予)となった神戸海上保安部の一色正春・元海上保安官(44)=依願退職=が、22日放送のTBS系列の番組インタビューに答え、「(映像は)秘密に当たらないという確信があった。裁判で決着をつけるのが法治国家のあり方。検察はその道を避けた」と批判した。  番組によると、一色元保安官は不起訴処分となった21日夜に約2時間インタビューに応じた。  一色元保安官は映像を見た当初、国家公務員法で漏らしてはならないと定める「職務上知ることのできた秘密」との認識はなかったと強調。政府が公開に消極的なことから昨年11月4日、「自分しかやれる人間はいない」と決意し、動画投稿サイトに投稿したという。  映像流出の目的については「あの海域で起きていることは一般の人には分からない。見て自分で考えてほしかっ

    mujin
    mujin 2011/01/23
    「一般の人には分からない、自分しかやれる人間はいない」←→「秘密に当たらないという確信があった」だから、どっちなんよ?w
  • チベットは非武装国家じゃありませんでしたが・・・ - 誰かの妄想・はてなブログ版

    こういうブクマを見かけたので。 etherealcat コスタリカと日では地政学的条件が違い過ぎるので何とも。日に近い国で非武装政策を行った国の実例としてはチベットがあるので、そちらが参考になると思う。 2011/01/21 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20110120/1295541136 「参考になると思う」と書けるほどチベットに詳しいのなら、チベットが非武装政策など採っていなかったことは知っていると思うのだが・・・。 参考までに以前に書いた記事から。 1904年には、イギリス軍の遠征隊とチベット軍が戦ってます(イギリス軍負傷者6名に対し、チベット軍死傷者850名と言われてます)。そして、この時はイギリス軍がラサに進駐し、ラサ条約を締結しており、時のダライ・ラマ13世はモンゴルに逃亡しています。 h

    チベットは非武装国家じゃありませんでしたが・・・ - 誰かの妄想・はてなブログ版
    mujin
    mujin 2011/01/23
    外交というのももちろんあるし、当時のチベット政権が必ずしも国民の支持を得られていなかったという点もあるんじゃないかなあ。「解放」に同調した人もいたようだし。