追悼という訳ではないが、「アーカムアドヴァタイザー」(国書刊行会刊「定本ラブクラフト全集」の月報)を読み返してたら、米沢嘉博のエッセイが掲載されており、なかなか面白かったので紹介しよう。ラブクラフトと水木しげる 評論家 米沢嘉博 ラブクラフトと漫画家水木しげる、この二人は長い間僕の中で結びつけて考えられていた。おそらくそれは、僕のラブクラフトとの出会い方の為だったような気がする。 僕が「少年探偵団」シリーズを経て、江戸川乱歩の大人物にまで手を出し始めたのは小学五年生の時だった。そうした頃、乱歩の名前にひかれて貸本屋から借りたのが、「世界大ロマン全集」(東京創元社)の一冊「怪奇小説傑作集」だった。乱歩編になるこのアンソロジーには、怪奇小説の古典が並んでいた。そうして、そこにはラブクラフトも・・・・・・。 「ダンニッチの怪」。この一編が僕のベストだった。呪文めいた不思議な言葉。異次元の恐怖、そ
Q. 上の写真は何の写真でしょうか? A. 答えはオナニー中に発生した事故で死亡した男。 70年代のアメリカ、テキサスで起きた事故。現場の状況から被害者は特殊なオナニーの最中に不慮の事故で死亡したと判断された。 現場の状況から、全裸になった男は、鎖でできた特製のハーネスを身に纏い、ハーネスから延びた3mほどのくさりをエンジンをかけたままの愛車フォルクスワーゲンの後部バンパーに括り付け、そして、車がちょうど円を描くようにハンドルを切った状態で固定し、ギアをローに入れて車をゆっくりと発進させたのだと思われる。 車と鎖でつながれた男が、車と一緒に歩いたのか、はたまた、地面に横たわり車にずるずると引きずられたのかは定かでない。 おそらく、恐らく止めるか何かのために車に近づいた時に、緩んだチェーンが後部車輪に巻きついてしまい、巻き取られたチェーンによって身体が圧迫され窒息死したものと推測される。
「グロラボ掲示板」を見てたら、三島由紀夫の市谷駐屯地での篭城・自決事件に関する写真が幾つか紹介されていたので転載。 上の写真は、三島自決後(?)の、盾の会メンバー、小賀正義、古賀浩康、小川正洋が人質と一緒の写真。 残りの写真は生首等が映っているのでリンクだけ。グロ画像が苦手の人は開かないように。 現場写真その1 現場写真その2、左下に三島と森田の生首 現場写真その3、三島と森田の生首とどちらかの胴体 Hugo Strikes Back!: 三島由紀夫割腹余話 TrackBack TrackBack URL for this entry: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10993/11756375 Listed below are links to weblogs that reference 三島由紀夫 自決の現場写真: » 三島由紀夫
雑誌、「アニメック 17号」(1981年)の美少女特集「”ろ”はロリータの”ろ”」より、安座上学というライターの書いた、美少女趣味についての記事を紹介。漫画・アニメ誌でロリコンについて特集が組まれたのはおそらくこれが始めて。(特集ではない単体の記事としては、1980年の「OUT 12月号」の「病気の人のためのマンガ考現学」という連載の第1回でロリータ・コンプレックスが取り上げられている。この記事の全文はこちらで読める。ちなみに、雑誌「レモンピープル」の創刊が1981年末、「漫画ブリッコ」が翌82年の創刊。) ”萌え”はおろか”オタク”という言葉すらなかった時代の話。 内容的にはかなりくだらない(というか気持悪い)が、前半のSF大会に来て幼児ポルノを買いに行く件はちょっと面白かった。SFと少女愛好の双曲線 二次元コンプレックス処方箋 安座上学 アニメ界に首をつっこむ以前、私はこっけな自意識を
二次裏@ふたばで見つけた。 2006/07/27 追記 コメントで、愛・蔵太さんより、同じ内田健一郎による池田大作の絵を教えてもらった。 感謝と決意を即興の詩に託して吟ずる池田青年 (via 職場への遅刻 - 創価wiki) 香港、「仏船(フアツシユン)」 船上の座談会 (via 哲人の声―英知の言葉は永遠) あとついでに若い頃(19歳?)の池田大作の写真。 なかなか良い顔してますね。 TrackBack TrackBack URL for this entry: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10993/11096218 Listed below are links to weblogs that reference 大阪拘置所を出所した瞬間の池田大作を描いた絵:
通勤途中、地下鉄動物園前の駅で見かけたので撮影。大阪府の薬物乱用の防犯ポスター。大阪府は以前にもこういうアニメっぽい絵の防犯ポスターを作製してたことがあったけど、前回に比べてちょっと絵が下手(というか古臭い?)じゃないかと思う。 追記 前回、2004年の大阪府の薬物乱用防犯ポスター TrackBack TrackBack URL for this entry: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10993/11128266 Listed below are links to weblogs that reference 大阪府の薬物乱用防犯ポスター: » SideBar from TAMA Networks (PukiWiki/TrackBack 0.3) 余計なメニュー 過去の日記その1 過去の日記その2 過去のTopics 用語集 ▲
1933年2月21日、特高に逮捕された小林多喜二が急死した。警察の発表は心臓麻痺であったが、実際には特高が小林に対して行った凄まじい拷問によるものだった。(写真は小林多喜二の遺体) 同日、母親の元に返された小林多喜二の遺体の様子を、立ち会った作家で作家同盟の同志であった江口渙が「われらの陣頭に倒れた小林多喜二」(昭和43年)という文章にしている。安田博士の指揮のもとに、いよいよ遺体の検診がはじまる。すごいほど青ざめた顔は、はげしい苦しみの跡をきざんで筋肉のでこぼこがひどい。頬がげっそりとこけて眼球がおちくぼみ、ふだんの小林よりも十歳ぐらいもふけて見える。左のコメカミにはこんにちの十円硬貨ほどの大きさの打撲傷を中心に五六ヵ所も傷がある。それがどれも赤黒く皮下出血をにじませている。おそらくはバットかなにかでなぐられた跡であろうか。 首にはひとまきぐるりと細引きの跡がある。よほどの力でしめた
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