セカイ系とはポストエヴァンゲリオン症候群のことだ、と言ったのは宇野常寛であり、そもそもぷるにえブックマークで提唱された時から、セカイ系とはエヴァ以降の、という問題意識がその根底に据えられていた概念だったはずだ。 超然主義的セカイ系論は、まずもって多様な方向の模索されたポストエヴァ的想像力*1が三大セカイ系*2的セカイ系へと収斂していく過程*3のダイナミズムを捨象してしまっており、セカイ系が本来持っていた最も美味しい部分を失った、絞りかすだけを問題にする退廃的な態度であり、従って、ポストエヴァ性という時代的・文脈的制約を外したセカイ系論はすべて無価値であると言ってそう大きな取りこぼしはない。 このような切断を積極的に進めた笠井潔が一方で有栖川有栖のパズラー超然論を批判し大量死/大量生理論に拘って見せた、時代的・文脈的制約をこそ重視して見せたのは解せないのだが、バズワードをきっちり自分の守備範