印刷 堺市の病原性大腸菌O157の集団食中毒で重症患者だった女性(左)らが専門家に体験を語った=16日、大阪市中央区、権写す 15年前の夏に堺市で起きた病原性大腸菌O157による集団食中毒で、当時重症となった女性2人とその家族が16日、大阪で開かれた専門家による研究会で、今も消えない苦しみを語った。なお続く食中毒事件に、女性らは「なんで被害を止められないか。この痛み、苦しみを繰り返さないで」と涙声で訴えた。 会社員の女性(27)は、当時小学6年生だった。激しい血便と血尿で集中治療室で10日間過ごした。腎臓の検査で背中から針を入れられた激痛は今も忘れられない。退院後も運動制限が続き、「その夏は楽しい思い出は一つもなかった」。 いまも食中毒のニュースを聞くと、「死んでしまうのか」とおののいた記憶がよみがえる。外食先では調理場の様子が気になる。「製造者、調理者は死に至ることがあるということ