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史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2、#3へ) 「救助を要請するときは山を辞めるとき」 ――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中で
ボト @botomeze 2018年の時、ある登山家が死んだ 栗城史多という登山家で、日本では著名な登山家であるがそれは素人の中での話であり、アルピニスト達の中では侮蔑、無関心の対象だった 彼は登山家を名乗りエベレストに何回もアタックした人だが、専門家から見れば確実に登頂は不可能な人間である事が明白だったからだ pic.twitter.com/bU2TT4RsoW 2022-08-26 00:38:26 リンク Wikipedia 栗城史多 栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 2018年5月21日)は、日本の登山家である。実業家として個人事務所の株式会社たお代表取締役を務めた。北海道瀬棚郡今金町出身で、北海道檜山北高等学校を経て札幌国際大学人文社会学部社会学科を卒業した。よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携した。 「冒険の共有」をテーマに全国
パキスタン北部のギルギットで、世界第2の高峰K2の山頂(中央)が見える場所にテントを張るポーターら(2019年8月14日撮影、資料写真)。(c)AMELIE HERENSTEIN / AFP 【1月17日 AFP】ネパールの登山家チームが16日、パキスタン側から世界第2位の高峰K2(8611メートル)の冬季登頂に初めて成功した。 K2は標高8000メートル台の山の中で冬季登頂が達成されていなかった最後の高峰で、ここ数週間で数十人の登山家が登頂を競っていた。 登山隊の一つを手配したセブン・サミット・トレックス(Seven Summit Treks)はツイッター(Twitter)に「ネパールの登山隊が現地時間きょう午後5時、ついにK2の山頂に到達した」と投稿した。 一方で、同日午後、危険に満ちたK2で、スペイン人登山家のセルジ・ミンゴテ(Sergi Mingote)氏が転落事故で死亡した。パキ
登山家の栗城史多さんは、世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦し、凍傷で手指を9本失い、最後は2018年に滑落死した。栗城さんは入山料だけで数百万円という費用をどのように工面していたのか。本人に取材した河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。 政財界の要人の名刺は「レアカード」 ヒマラヤは春(4月、5月)か秋(9月、10月)に登るのが一般的である。夏は気温こそ緩むが雨季なので、雪の日や雪崩が多い。冬は気温が下がり、ジェット・ストリームが吹き荒れる。いずれも登山には不向きだ。 必然的に、栗城さんが日本にいるのは夏と冬になる。 栗城さんの事務所は、札幌の中心部から車で15分ほどの好立地にあった。学校の校舎のような横長の形をした古い鉄筋4階建ての2階に入っていた。札幌市がクリエイターやベンチャー企業を支援するために出資した財団法人が管理するビルだった。2DKで家賃
この状況でなぜ五輪を開催するのか、それが全く伝わってこない。どうしても五輪をやりたいなら、国民には想定されるリスクを正直に伝えるべき。リスクと開催意義を天秤にかけたうえで、「これくらいのリスクを背負ってでもやる意義がある」ということを明確にすればいい。僕が政治家なら、まず開催のメリットとデメリットを洗い出してそれをはっきり伝えます。 1964年の東京五輪は戦後復興のシンボルという意味が強かった。新幹線ができたり、いろいろな施設ができたり、突貫工事で事故や過労死で亡くなった方もたくさんいた。それでも当時は、ある程度の犠牲なら五輪をやるんだと、ブレがなかった。今回の東京五輪も、コロナによってかなり忘れられているけど、元を辿れば震災復興がテーマだった。今やすっかりそのイメージは吹き飛び、政府は「人類がコロナに打ち勝った証として(五輪を)実現する」と繰り返すようになりました。 何度も「コロナに打ち
閉山期間中の富士山の山頂近くで、軽装備のため動けなくなった登山客の若い外国人男性がいて救助したと登山家の女性がX上で報告し、安易な春山などの登山に警鐘を鳴らしている。 9月から翌年7月の山開きまでの閉山期間は登山のリスクも高い。インバウンドの影響なのか、登山客はほとんどが外国人だったという。どんな状況だったのか、この登山家に話を聞いた。 「雪面で滑ったら止まれず助からないかもしれない」 暗くなってきた雪原で、座り込んでいる外国人登山客に、大きなリュックを背負った別の登山客が声をかけている。 背後には、富士山の山頂が映っていた。リュックの登山客はヘルメットをしていたが、外国人はノーヘルだった。 登山家の「まっつん」さん(@red_mattsun)は2024年5月13日、こんな写真をXで投稿し、そのときの様子を説明した。 「山頂から下降中に座り込んでモゾモゾする人影を見つけました」。まっつんさ
Ryo O. @Ljor_O 山ヤ夫婦が本気で企画したウェディングフォトがこちら。数々の入念な準備を経て初冬の小槍にて撮影しました。以下ツリーで諸々のノウハウ等ぶら下げます。 pic.twitter.com/7ixeVqXfp3 2022-05-07 20:58:41 Ryo @Ljor_O 15+ years in outdoor industry / brand manager / public relations / tech lead / sales / e-commerce specialist / ex-guide / trained and educated in the rockies https://t.co/ws5pEwoG55
閉山期間中の富士山の山頂近くで、軽装備のため動けなくなった登山客の若い外国人男性がいて救助したと登山家の女性がX上で報告し、安易な春山などの登山に警鐘を鳴らしている。 【写真】ヘルメットも着用せず、軽装備だった 9月から翌年7月の山開きまでの閉山期間は登山のリスクも高い。インバウンドの影響なのか、登山客はほとんどが外国人だったという。どんな状況だったのか、この登山家に話を聞いた。 ■「雪面で滑ったら止まれず助からないかもしれない」 暗くなってきた雪原で、座り込んでいる外国人登山客に、大きなリュックを背負った別の登山客が声をかけている。 背後には、富士山の山頂が映っていた。リュックの登山客はヘルメットをしていたが、外国人はノーヘルだった。 登山家の「まっつん」さん(@red_mattsun)は2024年5月13日、こんな写真をXで投稿し、そのときの様子を説明した。 「山頂から下降中に座り込ん
グレタさん攻撃で炎上した登山家・野口健の過去は事実だった!「15歳のシェルパの娘と“児童婚”して離婚」「猫を空気銃で射殺」 スウェーデンの16歳の少女、グレタ・トゥンベリさんに世界中から注目が集まっている。アメリカのトランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領からの“揶揄”にも臆することなく、地球温暖化対策を訴え続け、スペインでのCOP25では「人々は変われます。人々は行動を変える準備ができていて、それこそが希望です」と堂々たるスピーチを行った。 そんななか、日本では自称「アルピニスト」野口健氏のツイートに批判が殺到している。野口氏といえば安倍政権擁護や右派的発言が多いことで知られるが、野口氏は12日、グレタさんが電車に載って食事する画像を転載したネトウヨ系まとめサイトの記事をリツイートしながら、こんな投稿をしたのである。 〈あれ? 電車に乗っていらっしゃるのかな? 飛行機が× という方はも
世界的なクライマー・山野井泰史。未踏の巨壁にソロ=単独で挑むというスタイルから、かつて「天国に一番近い男」とも言われた。2002年には、ヒマラヤの高峰ギャチュン・カンの北壁に挑み、壮絶な登山の果てに生還したものの、手足の指10本を失った。その山野井が人生最大の目標と定めた巨壁がある。「ヒマラヤ最後の課題」と呼ばれ、世界第5位の高さ8463メートルの頂上に突き上げるマカルー西壁。超高所にオーバーハング(垂直以上に突出)した岩壁帯があり、その恐ろしいほどの迫力は、挑戦するトップクライマーたちの勇気をも打ち砕く。半世紀を経て蘇る巨壁との闘いを語る山野井に、人生の目標を探すためのヒントが見えた。 今年6月、伊豆半島の、とある洞窟。クライマー・山野井泰史は、壁を相手に1人格闘していた。岩にかけた右足の靴は、左足よりも小さい。19年前のヒマラヤ登山の末に、凍傷で全ての指を失ったためだ。両手の指のうち5
世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦した栗城史多さんは、4回目の挑戦で両手の指を凍傷により9本失った。たいへんな大ケガだが、それでも多くの登山家は栗城さんの挑戦に冷ややかだった。なぜだったのか。河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。 難しいルートにあえて挑む不可解さ ノーマルルートを逸れた末、カラスのせいで敗退したと発表した栗城さんは、翌年、このとき以上に「ありえない」行動に出る。 2012年秋。4回目のエベレスト挑戦。 栗城さんが選んだのは、ノーマルルートより格段に難度が高い西稜ルートだった。稜線りょうせんの上は常に強風に晒される。しかも西稜は長く険しい。 1963年にアメリカ隊が初めて足を踏み入れ、1979年にはユーゴスラビア隊が基部から忠実に稜線をたどって頂上を踏んだ。1981年、明治大学エベレスト登山隊が、大学の「創立100周年記念」として挑戦し
登山と嘘は、相性がいい。「疑惑の登山」。世界の登山史の中には、そんな風に呼ばれる記録が散見される。なぜか。登山には審判がいないからだ。登頂したか否かは、言ってみれば「自己申告制」だ。つまり、完全なる性善説に基づいているのだ。だが、人間とは弱い生き物でもある。ときに嘘の誘惑にかられ、そして屈する。自分自身が審判であり、自分自身でルールを設定しなければならない登山という行為は、フェイクが入り込む隙だらけの世界だと言ってもいい。 「山岳警察」と評されることもある山岳ライターの森山憲一氏に古今東西の「疑惑の登山」、そして「嘘の質が違った」と評する故・栗城史多についても語ってもらった。(全2回の2回目/前編から続く) ◆ ◆ ◆ 栗城さんがついた“悪意のない嘘” ――登山史的レベルの登山家ではありませんでしたが、疑惑ということで言うと、2018年にエベレストで滑落死した栗城史多さんがいます。彼は知名
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登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール賞を3度受賞した日本の平出和也が、スペイン紙「エル・パイス」で「欧米では知られてはいないが、21世紀最高の登山家」として紹介されている。 記事を書いた同紙の登山専門記者は、大手スポンサーの支援なしにアウトドア専門店で働きながら登山を続ける平出の精神力や冒険心について賞賛している。 未到ルート初登頂、再び受賞の可能性も 21世紀最高とされる登山家、カナダ人の故マーク・アンドレ・ルクレールにはスポンサーがいなかった。ルクレールは電話を持たなかったため、収入は無かった。自分自身とその功績を切り売りするためにSNSの見せかけだけの世界に入るつもりがなかったためだ。 マーク・アンドレ・ルクレールのドキュメンタリー映画『アルピニスト』の予告編 こんにちの偉大な登山家は、二種類に大別できる。登り続けるために報酬を要求する者と、登るために働く者だ。もしくは、大勢の
クトゥルフ神話と登山を融合させたTPRG「狂気山脈~邪神の山嶺~」を原作としたアニメ「狂気山脈 ネイキッド・ピーク」の制作プロジェクトが進行しています。制作資金の一部をクラウドファンディングで募ったところ、目標の800万円に対して1億円以上が集まり、パイロットフィルムが作られました。マチ★アソビ vol.26では、原作者であり自らアニメ化企画を推し進めているまだら牛さんが、多くの観客を前にトークイベントを行いました。 アニメ映画『狂気山脈 ネイキッド・ピーク』公式サイト https://nakedpeak.jp/ 会場はufotable CINEMAシアター1で、座席は満席。抽選で選ばれた人が参加しました。 まずは制作ドキュメンタリーとパイロットフィルムが上映されました。この内容はYouTubeで見ることが可能です。 【配信アーカイブ】『狂気山脈 ネイキッド・ピーク』 パイロット・フィルム
スペイン南部モトリル近郊で洞窟での500日間の隔離生活を終えたベアトリス・フラミニさん(中央、2023年4月14日撮影)。(c)JORGE GUERRERO / AFP 【4月15日 AFP】完全な隔離生活が人体に及ぼす影響について調べる実験を続けていたスペイン人の女性登山家が14日、地下の洞窟から500日ぶりに姿を見せた。 ベテランの単独登山家、ベアトリス・フラミニ(Beatriz Flamini)さん(50)は黒っぽいサングラスをかけてスペイン南部モトリル(Motril)近郊の洞窟から現れると、出迎えた家族と笑顔で抱擁を交わした。 フラミニさんは記者団に対し、「1年半、誰とも話さなかった。独り言だけだ」とし、「掛け替えのない」経験だと話した。 フラミニさんが地下70メートルで隔離生活を始めたのは2021年11月21日。世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るうさなかで、ロシアがウクライナ
史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。山を辞める決断をしたきっかけは、2016年の人生初の遭難だった。ずっと恋焦がれてきた冬のアラスカ。「もう命を削る登山はいいかな」と語る栗秋、“アラスカのない”日々をどう過ごしているのか? (全3回の3回目/#1、#2へ) ――2016年に人生初の救助を体験し、2017年は、どうであれ、行くまい、と思っていたのですか。 栗秋 SOSを押したから「はい、終わり」ではないけど、終わりかもしれないとは思っていたので。そもそも、立ち直れていませんでしたしね。救助されて帰ってくるって、こんなにみじめなことなのか、と。周りの人は「元気でよかったやん」って言ってくれるんですけど、(救助で)山から引きはがされて終わりなんて登山じゃないですから。だから、一方で、また戻りたいとい
2018年に亡くなった異色の登山家・栗城史多を描き、注目を集めた第18回開高健ノンフィクション賞の受賞作『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』。当初は栗城氏の面白さや革新性に心を動かされ、積極的に取材を行っていた著者の河野啓氏だったが、次第に彼の言動に違和感を覚えるようになっていく。同書から一部を抜粋して紹介する。 #1はこちら #2はこちら 栗城さんの新たな野望 2009年5月18日。栗城さんはダウラギリ(標高8167メートル・世界第7位)に登頂を果たす。その2日後、1年あまりの取材をまとめた番組『マグロになりたい登山家~単独無酸素エベレストを目指す!~』が放送された。 北海道限定だがゴールデンタイムでの放送だった。彼の事務所から提供を受けた登山のシーンは極力短くし、むしろ彼の日常にフォーカスしている。この番組は日本民間放送連盟賞などを受けた。 私は「観察モード」ながらも、栗城さんと
写真家で映画製作者のジミー・チン氏率いるナショナル ジオグラフィックのチームが9月、エベレスト北壁のすぐ下で、行方不明となっているアンドリュー・アービンの登山靴と靴下を発見した。(Photograph by National Geographic/Erich Roepke) 2024年9月、エベレスト北壁の下に広がる中央ロンブク氷河で、ナショナル ジオグラフィックのドキュメンタリーチームが古い登山靴を発見した。靴のなかには足も残っていた。氷の中に閉じ込められていたものが、その氷が解けて姿を現したようだった。写真家で映画監督のジミー・チン氏が率いるチームには、映画製作者で登山家のエーリッヒ・レプケ氏とマーク・フィッシャー氏も参加しており、すぐに著名な登山家のジョージ・マロリーとともに100年前に消息を絶った「サンディ」ことアンドリュー・カミン・アービンのものであるとわかった。 「靴下を手に取
グレタさん攻撃の登山家・野口健のスポンサーは飛行機燃料も販売するコスモ石油! 電力業界の広告で再生エネルギー批判も 地球温暖化対策を訴えている16歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんを〈あれ? 電車に乗っていらっしゃるのかな? 飛行機が×という方はもちろん車も×だろうし、てっきりヨット以外は馬車でご移動されていらっしゃるのかと想像をしていましたが…〉と揶揄し、ネットで批判を浴びた登山家の野口健氏。 前編では、いま、ネットで指摘されている過去の「児童婚」と「猫殺し」を検証し、これらが自著などでも語っている事実であることを指摘した。その人権感覚や生命倫理の欠如にはあきれるほかないが、しかし、野口氏にはもうひとつ看過できないことがある。それは、まさに野口氏の環境保護問題に対するまやかしの姿勢だ。 上述のように、温室効果ガスの排出が多い飛行機の利用を避けるというグレタさんの取り組みがまるで意味が
梟雄 is 山の怪 @akuyakuxxx30 変態オタク垢だけど真面目な話するね。非常時には芸術文化が真っ先に削がれる件、これ逆効果です。人間は苦境に立たされると思考がどんどん悪い方向へ働きます。米空軍のサバイバルキットの中にトランプが入ってるのは、そういう危機的状況で精神安定を図る為です。娯楽と芸術は人の心の必需品。 梟雄 is 山の怪 @akuyakuxxx30 非常防災袋に文庫本を入れておけというアドバイスも同様の理由です。雪山に練り香水を持って行って正気を保つ登山家もいます。苦境には心を癒すものが必要。過酷な状況ならリラックス手段は必須。幸せを感じられなくなった人間が、どんな凶行に走るかは、人類の歴史を見れば明白でしょう。
世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦した栗城史多さんは、4回目の挑戦で両手の指を凍傷により9本失った。たいへんな大ケガだが、それでも多くの登山家は栗城さんの挑戦に冷ややかだった。なぜだったのか。河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。 【写真】河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫) ■難しいルートにあえて挑む不可解さ ノーマルルートを逸れた末、カラスのせいで敗退したと発表した栗城さんは、翌年、このとき以上に「ありえない」行動に出る。 2012年秋。4回目のエベレスト挑戦。 栗城さんが選んだのは、ノーマルルートより格段に難度が高い西稜ルートだった。稜線(りょうせん)の上は常に強風に晒される。しかも西稜は長く険しい。 1963年にアメリカ隊が初めて足を踏み入れ、1979年にはユーゴスラビア隊が基部から忠実に稜線をたどって頂上を踏んだ。1981年、明治大
沈黙の山嶺(上) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト 単行本 – 我は、マロンと申す🐱 タンスでもテレビでも自由に登って遊んでおる( ̄(工) ̄) 「 悪事の現行犯見つけたり👀」と下僕1号👩は渋い顔をするが、 高いところを見たら登りたがるというのが我らネコ族である🐱 下僕2号👨が走る🏃♂️のも、ネコ族と登るのも同じなのかもしれん😅 「何故に山に登るのか?」と問われたとき、 英国の登山家ジョージ・マロリー殿は申された。 「そこに山があるから🗻」 ジョージ・ハーバート・リー・マロリー殿は、英国の登山家🇬🇧である。 1920年代にイギリスが国威発揚をかけた3度のエベレスト遠征隊⛰に参加。 1924年6月の第3次遠征において、 マロリー殿はパートナーのアンドルー・アーヴィン殿と共に頂上を目指した。 しかし、北東稜の上部、頂上付近で行方不明となったそうだ。 マロリー殿の最期は
この記事の3つのポイント 「最強登山家」平出和也さんと中島健郎さんがK2で滑落 登山家の野口健さんはスポンサーの重圧を指摘 自分を客観的に見ることの重要性 「最強登山家」との呼び声も高かった山岳カメラマンでクライマーの平出(ひらいで)和也さんと中島健郎さんが7月末、パキスタンにある世界第2の高峰K2(標高8611メートル)西壁で滑落。2人が所属する石井スポーツは、平出さんと中島さんが亡くなったとの認識を示した。平出さんは「登山界のアカデミー賞」と呼ばれるピオレドール(金のピッケル)賞を3度受賞した、日本人唯一の存在だ。中島さんも2度受賞するなど、高い登山技術を持つことで知られていた。無尽蔵ともいわれた体力を持つ平出さんと、登はん技術にたける中島さんは名コンビで、これまで数々の未踏ルートを切り開いてきた。K2で何が起きたのか。何を教訓にできるのか。平出さんと親交の深かった、登山家の野口健さん
第18回開高健ノンフィクション賞作品『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)の文庫版が1月20日に発売された。2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗城史多氏を描き、注目を集めた一冊だ。 そんな栗城氏を主人公に据えた本書が文庫化されるにあたって、著者の河野氏が解説文の執筆を頼んだのが、TBS「報道特集」の特任キャスター・金平茂紀氏だった。依頼の背景には何があったのか。そして金平氏は『デス・ゾーン』をどう読んだのか。2月初旬に行われた対談の模様を前・後編でお届けしたい(構成:朝山実)。 ━━まず河野さんから『デス・ゾーン』の文庫版解説を、金平さんに依頼された理由をうかがっていいでしょうか? 河野 私は、金平さんがモスクワ特派員だった頃から緊張感のあるリポートをされているのを拝見していて、敬意を持っていたというのが一つです。 1991年8月の軍事クーデター(ソビエト連邦
南アルプス南部の山あいを戦前から戦後にかけて走っていた遠山森林鉄道の軌道跡を登山道に再生しようと、長野県飯田市出身の登山家、大蔵喜福(よしとみ)さん(69)が中心となって整備を進めている。このあたりは豊かな原生林に恵まれる半面、登山道や山小屋整備が進まず登山者が少ない。ゴミ持ち帰りなどを実践する「エコ登山」を進め、地域おこしにつなげたい考えだ。 ◇ 大蔵さんは高校1年の夏、山岳部の合宿で塩見岳(3052メートル)~池口岳(2392メートル)の南アルプス南部を約1週間縦走した。入山時のザックの重さは45キロ。不便で厳しい登山だったが、稜線(りょうせん)で咲き乱れる高山植物の群落やライチョウなど自然の豊かさに圧倒された。 社会人になるとヒマラヤなどの高峰に挑戦。ネパールのダウラギリ連山(Ⅱ峰~Ⅲ峰~Ⅴ峰)の縦走などで世界的な登山家になった。世界各国を巡り、改めて南アルプスの豊かな自然を再認識し
登山家で山岳カメラマンの平出和也さん(45)と中島健郎さん(39)がパキスタン・カラコルム山脈のK2(標高8611メートル)で滑落した遭難で、2人が所属する登山用品販売会社・石井スポーツは22日、事故に関する「最終の報告」をホームページに掲載した。「両名の活躍を称(たた)える」として「追悼」を示すコメントを発表し、2人は亡くなったとの見解を示した。 同社によると、K2西壁の未踏ルートを登攀(とうはん)していた2人は7月27日、標高7500メートル地点からさらに上部への偵察に出かけた。同日午前7時、約7550メートルの地点から「氷とともに滑落した様子を撮影スタッフが目視で確認」したという。日本の留守本部には「1千メートル以上滑落。ABC(前進キャンプ)より見えるが動かない」という連絡が入った。 K2にいた別の登山隊の隊長がヘリコプターに乗って上空から状況を確認し、「2人はロープでつながって、
日本の登山界に衝撃が走った。日本を代表する山岳クライマーの平出和也さん(45=長野県出身)と中島健郎さん(39=奈良県出身)が27日、パキスタンにある世界第2の高峰K2(8611メートル)で滑落した。登山用品販売の石井スポーツは28日までに、2人はいずれも同社所属の山岳カメラマンでクライマーの平出さんと中島さんだと明らかにした。安否は不明で現在、地上からの救出が試みられている。 【写真】滑落した日本のトップ登山家2人に心配の声 平出さんは東海大在学中に本格的に登山を始め、2001年に初めて7000メートル以上の高峰を登頂。4度のエベレスト登頂を含む6度の8000メートル以上のアタックに成功した。登山界で最も名誉とされるピオレドール賞を日本人で最多の3度受賞。TBS系「情熱大陸」やNHK BSプレミアムの特番などで紹介されるなど、トップクライマーの1人として世界的にも高い評価を受けている。
史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2、#3へ) 「救助を要請するときは山を辞めるとき」 ――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中で
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ペンションプモリ 館内 客室 浴室 食事 勝手に採点 3.9 ペンションプモリ しばらく山歩き出来なかった反動で、三週連続で週末登山の計画を立てました。 ロープウェイで2,000メートルまで行ける日本百名山 日光白根山へ。 家族、天気、仕事、自分の健康、何がきっかけで行けなくなるかわかりませんから、行きたい&行ける時に行く! 体力に自信ないので、遠い山の日帰り登山やテント泊は出来ません。 丸沼高原の日光白根山ロープウェイ乗り場に大変近いこと、子供たちが小さい時のスキー以来の、懐かしい丸沼高原のペンションに泊まってみたくなりました。 個性的なペンションが集まる丸沼高原のなかでも、いい雰囲気の外観。 館内 そもそも名前のプモリがヒマラヤにある山の名前とは全く知らず。 玄関を入ると雪山写真 これがプモリ プモリ(娘の山)とは、世界の屋根ヒマラヤの最高峰エベレスト(母なる神)の横に美しく、そして雄
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