空襲被害に遭い千葉に疎開、高校時代にはたった1人で自動車を自作―。「故郷のジャガー星に帰還した」と10月に突如発表し、世間を驚かせた千葉のご当地ミュージシャン、JAGUAR(ジャガー)さんが「帰還」前に執筆した自伝が17日、出版される。自ら制作した音楽番組を千葉テレビで毎週放 ・・・ 【残り 1240文字、写真 1 枚】
タグ検索の該当結果が少ないため、タイトル検索結果を表示しています。
仏紙「ル・モンド」は、複数の都市が壊滅し、多くの民間人が犠牲となっているウクライナの状況を、かつての東京と重ね合わせて見ている日本人がいると報じた。 東京大空襲でも多くの民間人が犠牲に 「戦争反対! 民間人への爆撃反対!」 3月初旬、そんなプラカードを持った年配の女性が一人で東京中心部の地下鉄駅の出入口に立っていた。女性の名はミウラ・フミコ。彼女がまだ6歳だった1945年3月9日深夜から翌10日未明、家族とともに暮らしていた東京の北東部が米軍のB-29の焼夷弾爆撃を受けた。ミウラ自身はそのときの焦熱地獄を逃れられたが、そのとき目にした惨状はいまも忘れていない。 ミウラはロシア軍の爆弾にさらされるウクライナの光景に心を痛め、この人通りの多い場所に来て、手書きのプラカードを持つことにしたという。
台湾のゲームスタジオMizoriot Creative Companyは3月17日、『台北大空襲 Raid on Taihoku』(以下、台北大空襲)を正式発表した。対応プラットフォームはPC(Steam)。Steamストアページも公開されている。 『台北大空襲』は、サバイバルアドベンチャーRPGだ。舞台となるのは、1945年の台湾。かつて台湾は、日清戦争後から50年ほど日本の統治下にあった。しかし、日本は第二次世界大戦で敗戦。日本の統治下にあった台湾もまた戦争に巻き込まれており、連合国によって台北に無差別爆撃が敢行された。その攻撃は、台北大空襲と呼ばれている(Wikipedia)。本作は、その台北大空襲がテーマとなっている。戦争に巻き込まれた少女の清子として家族を探していくのだ。 清子は、死体だらけの場所で目を覚ました。名門の台北第一女子高校の制服を着ているが、何があったのか、家族はどこ
第2次世界大戦中、10万人を超す死者を出しながら、海外ではあまり目を向けられない東京大空襲を取り上げたノンフィクションが、米国でベストセラーになった。「ボマーマフィアと東京大空襲」(光文社、桜井祐子訳)。著者で人気作家のマルコム・グラッドウェルさん(58)はなぜ、大空襲を主題にしたのか。何を学ぶべきだと考えているのか。オンラインでインタビューした。(北川成史) Malcolm Gladwell ノンフィクション作家・ジャーナリスト。英国生まれで、カナダで育ち、米ニューヨーク在住。ワシントン・ポスト紙の記者を経て『第1感』『天才!』などの国際的ベストセラーを著した。米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれている。
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><div class=\"naka6-banner\" style=\"margin:0 0 15px;\">\n<p style=\"display:block;margin:0 auto;\"><a href=\"https://www.asahi.com/special/bucha/?iref=kiji_bottom_banner\" style=\"display:block;\"><img src=\"https://www.asahicom.jp/special/bucha/images/banner/bucha-tokusyubanner_660x100.jpg\" alt=\"ウクライナ侵攻
米Googleは3月10日(現地時間)、ロシアに侵攻されたウクライナの人々を支援するための取り組みの一環として、ウクライナ政府の要請と支援を受けて、Android端末向けの空襲警報システム「Air Raid Alerts」の展開を開始したと発表した。 ウクライナでは既に3月1日から、政府と協力する開発者による空襲警報アプリがAndroidおよびiOSのアプリストアで公開されているが、これはユーザーが自分でアプリをインストールしないと警報を受け取れない。新システムはAndroidに直接統合されており、ユーザーが設定しなくても警報を受け取れる。 このシステムは、同社が2020年8月に発表したグローバルな地震検知ネットワーク「Earthquake Alerts System」向けに開発した低遅延アラートメカニズムを採用している。端末のおおよその位置を使って空襲情報を送信する。 この機能は、ウクラ
真夜中の大空襲「昼間のよう」 激化一途、生き延びられるか…―侵攻7日目ハリコフ 2022年03月03日07時18分 ロシア軍の空襲を受けたウクライナのハリコフ市街地=2日(AFP時事) ロシア軍による全面侵攻から2日で7日目を迎えたウクライナ。頑強な抵抗を受けるロシア側の爆撃は、無差別攻撃の様相を呈している。北東部にあるウクライナ第2の都市ハリコフは、前日深夜からかつてない規模の空襲に見舞われた。「朝を迎えられるか」。無数の閃光(せんこう)が闇を照らし、地下シェルターの天井が揺らいだ。 ロシア軍の作戦激化 撤退見通せず、難民87万人超―ウクライナ侵攻 「恐ろしい空襲だ。外は昼間のように明るい」。現地時間1日午後11時20分ごろ、侵攻間もない時期から現地の様子を伝えてくれる大学生ドミトリーさん(19)から急きょメッセージが届いた。「朝まで生き延びられるといいが。一般市民に爆撃を行っている」。
くぼた・まさき/テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで200件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。 新刊『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」 取材NG最深部の全貌』が発売中。 情報戦の裏側 できれば起きてほしくない「不祥事」だが、起きてしまった後でも正しい広報戦略さえ取れば、傷を最小限に済ませることができる。企業不祥事はもちろん、政治家の選挙戦略、芸能人の不倫ネタまで、あらゆる事
無数の焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、3000人以上が犠牲になった1945年5月25日の「山の手空襲」。俳優の仲代達矢さん(91)にとって、それは「心臓が飛び出しそうなほどの恐怖を抱いた記憶」だった。空襲被害者の救済法案に賛同する動機にもなった体験とは、どんなものだったのか。その後の人生にどんな影響を及ぼしたのか。被災した南青山を一緒に巡り、思いを尋ねた。(山田雄之) 山の手空襲 1945年4〜5月に米軍が東京で行った大規模空襲。東京大空襲・戦災資料センターによると、麴町や赤坂、渋谷、世田谷などを目標にした5月25〜26日は、下町を焦土にした3月の東京大空襲を上回る3262トンの焼夷弾などを投下。3242人が死亡、1万3706人が負傷し、家屋15万6430戸が被害を受けた。米軍はこれを最後に「主要目標なし」として東京を大規模空襲リストから外した。
米カリフォルニア州パームデールの工場で、米空軍が公開した次世代の長距離戦略爆撃機B21「レイダー」(2022年12月2日撮影)。(c)Frederic J. BROWN / AFP 【12月3日 AFP】(更新)米空軍は2日、カリフォルニア州パームデール(Palmdale)にある防衛機器大手ノースロップ・グラマン(Northrop Grumman)の工場で、次世代の長距離戦略爆撃機B21「レイダー(Raider)」を公開した。新型爆撃機の導入は数十年ぶり。 B21は核兵器と通常兵器を搭載可能で、ステルス性も備え、無人飛行もできるよう設計されている。1機当たりの調達価格は7億ドル(約940億円)近くを見込んでおり、米空軍は少なくとも100機を調達する。初飛行は2023年を予定している。 B21は大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を搭載した戦略原子力潜水艦と共に
おちょごさん @chogo2009 80年代好き。アニメ、特撮、ジャッキー・チェンのファン。玩具コレクター。放送中のアニメの感想も呟きます。ラノベ専門学校に通って短編をなろうに上げています。また東紀まゆか名義で小説・シナリオ執筆。第5回「西の正倉院 みさと文学賞」優秀賞/第1回「NIIKEI文学賞ライトノベル部門」佳作 受賞 mypage.syosetu.com/mypage/novelli… おちょごさん @chogo2009 結構、90年代くらいまで映画評論家の先生が「日本は本土空襲の経験があるから怪獣映画が作れる。アメリカは本土爆撃の経験がないから作れない」と書いていて「ほんまかいな」と思ったが、確かに同時多発テロ以降ハリウッドでも怪獣の都市破壊を描く様に。彼らのイメージは高層ビルが折れるんだよね
大阪国際平和センター(ピースおおさか)に展示されている石田恵美さんの大阪大空襲の体験画。左が母チカノさん、右が妹尊子さん=大阪市中央区で2021年3月5日午後1時22分、園部仁史撮影 「妹が火だるまになって死んでいった。悲しい気持ちは今も変わらない」。目を閉じると、光景がよみがえる。当時10歳、妹はまだ3歳半だった。その後、半世紀以上も心に負った傷に苦しんだ。約50万人が被災し、約4000人の命が奪われた第1次大阪大空襲から13日で76年。「決して昔話じゃない」。大阪府茨木市の石田恵美さん(86)は訴える。 1945年3月13日深夜、大阪市西成区にあった自宅。石田さんの隣で、妹の尊子(けいこ)さんは寝息を立てていた。「早く逃げろー」。米軍の空襲に気付いた父の大声で目が覚めた。父と兄は地区の消火活動にあたらなければならない。上着も羽織らず、妹をおぶった母チカノさんと外に出た。焼夷(しょうい)
明治神宮の創建以来、100年以上守られてきた景色は、変わってしまうのだろうか。大規模な反対運動を引き起こし、物議を醸している東京・神宮外苑の再開発事業。仏紙「ル・モンド」の東京特派員、フィリップ・ポンスは、東京が数ある平凡な大都市の一つになりつつあると懸念する。 近代史のなかで、東京は時代への大いなる適応力を発揮してきた。その一方、過去の遺産を消し去り尽くすことで、恐ろしく似たり寄ったりな、アジアの巨大諸都市の一つにならんとしている。そしてそのことは、多くの東京都民も認識している。 神宮外苑地区の再開発計画に対して、反対運動が起こっている。明治神宮外苑の並木通りには、道路の両側にそれぞれ二列ずつ、300mにわたって樹齢100年を超えるイチョウが立ち並んでいる。再開発が進められれば、この並木にも影響が及び、神宮外苑の樹木約1000本が切り倒されることになる。 これは、2020年の東京オリンピ
太平洋戦争中に米軍の空襲で被害を受けた人たちの救済法案が、宙に浮いている。 これまで空襲被害者には何の補償もされておらず、超党派の議員連盟が昨秋、法案をまとめた。 だが、自民党内の調整が進まないため、臨時国会に続いて今国会でも提出に至っていない。 今年は衆院選があり、それまでに成立させられなければ、法整備の行方は不透明になる。 戦後75年が経過し、被害者の高齢化が進んでいる。自民党は直ちに、救済に動くべきだ。 法案は、空襲などで心身に障害や傷を負った人に、一律50万円の特別給付金を支払う内容だ。政府が被害の実態を調査することも盛り込まれている。 自民党の二階俊博幹事長は3月、議員連盟の会長を務める河村建夫元官房長官から協力を求められ、「できるだけ早くやりたい」と前向きな姿勢を示していた。 にもかかわらず党内手続きが進まないのは、政府・与党の2005年の了解事項があるからだ。シベリア抑留者に
【AFP=時事】第2次世界大戦(World War II)の最中の1943年に、ドイツの首都ベルリンにある動物園を襲った爆撃を生き延び、戦後はロシアで過ごしたワニの「サターン(Saturn)」が、84歳でこの世を去った。ロシアのモスクワ動物園(Moscow Zoo)が23日、発表した。 【写真】巨大ワニが共食い、空中で振り回して丸のみ 豪国立公園 同動物園は、サターンの死について「一つの時代の終わり」とコメント。ミシシッピワニは野生下で50歳を超えることがほとんどないため、84歳は「立派な年齢」だという。 サターンは1936年に米国で生まれ、その後ベルリンの動物園に移された。空襲により仲間たち数頭が死んだ後、1943年11月23日にこの動物園を脱走。 1946年になって英軍兵士らに発見され、旧ソ連当局へ引き渡された。 同動物園によると、この空白の3年間のサターンの居場所は「謎」だという。
ロシアのモスクワ動物園で飼育されていたワニの「サターン」(2020年5月24日提供)。(c)AFP/MOSCOW ZOO 【5月24日 AFP】第2次世界大戦(World War II)の最中の1943年に、ドイツの首都ベルリンにある動物園を襲った爆撃を生き延び、戦後はロシアで過ごしたワニの「サターン(Saturn)」が、84歳でこの世を去った。ロシアのモスクワ動物園(Moscow Zoo)が23日、発表した。 同動物園は、サターンの死について「一つの時代の終わり」とコメント。ミシシッピワニは野生下で50歳を超えることがほとんどないため、84歳は「立派な年齢」だという。 サターンは1936年に米国で生まれ、その後ベルリンの動物園に移された。空襲により仲間たち数頭が死んだ後、1943年11月23日にこの動物園を脱走。 1946年になって英軍兵士らに発見され、旧ソ連当局へ引き渡された。 同動物
B29航空士の元米兵が語る、空襲する側のリアル 遺族が手記を本紙に公開「全滅してもおかしくない」【全文あり】 1945年7月、B29爆撃機による岐阜市の空襲に参加した元米兵、故ローランド・ボールさんが残した手記を、遺族が本紙に公開した。米軍が圧倒的な航空戦力を見せつけた空襲だったが、手記ではボールさんの搭乗機が日本軍の攻撃で墜落寸前まで追い込まれたことが明らかになった。「岐阜空襲を記録する会」は「攻撃に参加した米兵の詳細な体験談は日本側に伝わっておらず、貴重な資料だ」と話している。(アメリカ総局・浅井俊典)=次ページに手記全文 岐阜空襲 1945年7月9日午後11時すぎから10日未明にかけ、岐阜市の市街地を対象に米軍が実施した爆撃。約130機のB29爆撃機が焼夷(しょうい)弾などを投下し、市街地の7割が焼失した。死者は約900人、負傷者1000人以上に上った。
くぼた・まさき/テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで200件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。 新刊『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」 取材NG最深部の全貌』が発売中。 情報戦の裏側 できれば起きてほしくない「不祥事」だが、起きてしまった後でも正しい広報戦略さえ取れば、傷を最小限に済ませることができる。企業不祥事はもちろん、政治家の選挙戦略、芸能人の不倫ネタまで、あらゆる事
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
東京都が昭和20年の東京大空襲の被災者を追悼するために建設を予定していた「平和祈念館」が実現せず、収集した被災者の遺品などが宙に浮いている。検討段階の展示に関する考え方をめぐって「特定の歴史観に偏っている」などの批判が上がり、20年余り前に計画が中断。収集品は特別展などで展示される一方、普段は一般の目に触れることはない。戦後75年で被災者らの高齢化が進む中、計画の議論に携わった関係者からは客観的な形での常設展示を求める声が上がっている。(大森貴弘) 都庭園美術館(港区)の敷地に、5千点以上の資料が収蔵された倉庫がある。先の大戦中の新聞やポスター、子供の絵や通信簿、茶碗や衣服などの日用品…。東京大空襲で亡くなった人の遺品も含まれる。 これらの資料は、都が平成9~12年度、東京大空襲の犠牲者を追悼し、戦時中の東京の様子を伝える平和祈念館構想を掲げて都民から募集するなどした。現在は収集品が傷まな
10万人が亡くなった東京大空襲を体験した作家で、東京大空襲・戦災資料センター名誉館長の早乙女勝元さんが10日、老衰のため死去した。90歳。東京都出身。葬儀は後日、関係者で行う予定。 1945年3月10日未明、下町を狙った米軍の東京大空襲に遭い、降り注ぐ焼夷(しょうい)弾と猛火の中を逃げ惑った。戦後は町工場で働きながら文学を志し、20歳で自分史「下町の故郷」を刊行。ルポルタージュ「東京大空襲」がベストセラーとなり、空襲体験の聞き取りと語り部活動がライフワークになった。 70年、「東京空襲を記録する会」を結成。都民の空襲体験記や米軍資料を集めた同会は「東京大空襲・戦災誌」(全5巻)で菊池寛賞を受賞した。2002年に東京都江東区北砂に開館した「東京大空襲・戦災資料センター」の初代館長に就任。元軍人のような補償がない空襲被害者が国に救済を求めた訴訟では、証人として空襲体験を語った。
昨年夏、埼玉県蕨市に住む88歳の女性から、ある信じられない話を聞いた。 「今も無戸籍のまま暮らす戦争孤児がいるみたい」 戦争孤児とは、主に太平洋戦争で親やきょうだいを亡くし、幼くして身寄りがなくなった人のこと。終戦時、上野駅などは孤児であふれ、社会問題になった。話してくれた金田茉莉さんも元孤児。1945年3月の東京大空襲で母と姉、妹を失っている。父親は空襲前に他界しており、疎開先の宮城県から戻った直後、孤児の一人となった。焼け野原に残された10歳の孤独感は計り知れない。 その経験から、戦争孤児の実態調査に半生を費やしていた。私が訪れたのも、戦争孤児たちの話を取材していたからだ。 戦後80年近くたった今も、戸籍を持たず、社会と隔絶されたままこの国に生き続けた孤児がいるという。終戦から数年後ならともかく、本当にそんな人が存命しているのだろうか。驚くと共に、どんな人生を歩んだのか聞いてみたいと思
福岡市内の小さな神社の敷地にある防火水槽から3月下旬、不発の焼夷(しょうい)弾14本が見つかり、陸上自衛隊の不発弾処理隊が出動する騒ぎがあった。現場は地下鉄駅に近い幹線道路沿いで、周辺にはマンションなどが建ち並ぶ。幸い爆発せずに回収されたが、なぜ重い鉄製のふたで閉じられた地下水槽の中に不発弾があったのか。周辺で話を聞くと、空襲が激しさを増す太平洋戦争末期の暮らしとのつながりが見えてきた。 不発弾騒動があったのは同市中央区今川にある平野神社。きっかけは1本の電話だった。3月18日午後3時ごろ、市民から市消防局中央消防署に「平野神社の防火水槽に不発弾のようなものが沈んでいるのを思い出した」と通報があった。この市民は「地域の先輩からずいぶん昔に聞いた話で危険はない」と説明し、時間があれば確認するよう勧めたという。
『台北大空襲』は、サバイバルアドベンチャーゲームだ。本作の舞台は、第二次世界大戦末期の台湾。1945年5月、アメリカは日本の補給を断つため、台湾の首都台北に対して爆撃を実施した。日本統治下にあった台北は、100機以上のB-24爆撃機による空襲で多くの建物が崩壊。台北に住んでいた市民にも大きな被害が出たという。 本作の主人公である清子は、空襲による被害者の1人だ。空襲後3日ほど倒れていた彼女は、気がつくと自身に関する記憶を失っていた。少女には、家族の顔や名前はおろか、自分の名前すらわからない。しかし空から爆弾は落ち、街は燃え続けている。知人と思われる人物との会話から、自分の名前が清子だと察した少女は、何故か自分に懐く犬クロと共に、戦火に包まれる台北で生き残ろうとする。 清子は、生き残った人と関わりながら台北を生きていく。当時の台湾総督府や台湾神社、現在は取り壊された台北駅など、街並みや状況が
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く