「感情の正義」と「理論の正義」 ここのところ多忙を極めていて、いつにもまして雑な書き方になりますが……。 「自分の感情は正しい(そこを疑うことをそもそもしない)。理論的な間違いはあまり気にしない」という人は昔からいて、要は感化されやすい、扇動されやすい人ということでしょうか。こういう人たちが行動する結果として、例えば一昔前なら、食卓が急にバナナだらけになるとか、納豆だらけになるとかいったことがあったのではないかと思います。 他方「コミュニケーションにおいては事実としての正しさことが重要だ。感情は相対的に見ればその付随物にに過ぎない」といった考えの人も昔からいて、こうした人たちが行動する結果として、例えば一昔前なら、家庭がやたらと不和だとか、彼女が泣いて飛び出していくとか、そういうことがあったのではないかと思います。 知的な人も知的でない人もソーシャルメディアで発言能力がエンパワーメント