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活字地金彫刻師 清水金之助さんが、去る2011年12月26日に逝去されました。あと2週間ほどで90歳を迎えられるというところでした。 清水金之助さんは1922(大正11)年1月10日生まれ。14歳の時、種字彫刻の名人・故馬場政吉氏に弟子入りし、戦後独立。東京都大田区に工房を構え、岩田母型 (東京都大田区)や芦田母型(同)、関西方面からの注文も受けて、種字の地金彫刻を手がけていました。ベントン母型彫刻機の普及に伴う電胎母型の衰退により、一度は彫刻刀を置きました が、2004年、活字研究会の要望に応じて地金彫刻を再開。以降、実演会を多数開催し、その技術を私たちに伝えてくれました。笑顔で気さくにお話をしながら、手はまったく止めることなく、マッチ棒ほどの軸に下書きなしで逆字を彫り上げていくさまは、まさに神業でした。 昨年7月に実演会を開催した後、「涼しくなってきたから、ここらでもう一度、実演会をし
筆者の私は、学歴が中途半端で且つ怠惰な10・20代を送ったので、大企業の勤務はならなかった。おおむね20歳頃から60歳の定年までは印刷会社の植字工だった。現場では「しょくじこう」とは言わず「ちょくじこう」と言った。もっとも50歳からは、いきなりコンピュータの導入で「さあ今日からワープロで文字を打って下さい」となった。小企業は、ずいぶんといい加減である。ワープロは「ローマ字打ち」という文字入力の方法を知っていた。 この辺の経緯は兎も角として、筆者が覚えた活版印刷の「植字」の技術は無くならないと思っていたが、世間はあっと言う間にコピー・ワープロ・パソコンと一瀉千里に突き進んだ。活版印刷の歴史は、おいおい語るとして、インターネットを検索していたらとんでもない画像にお目にかかった。直ちに画像を取り込んだが、その元画像がどこにあったのかは解らない。申し訳ないが勝手に使用させていただく。 知らない人が
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