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ブックマーク / fumikura.net (4)

  • 書評『組版/タイポグラフィの廻廊』

    府川充男氏畢生の超大著『聚珍録 圖説=近世・近代日〈文字-印刷〉文化史』(2005年2月、三省堂)の刊行から3年、来はその販促を意図して編まれたという『組版原論 タイポグラフィと活字・写植・DTP』(1996年4月、太田出版)から12年もの歳月が過ぎようとしている。この間に和文組版の現場には、写植からフル・デジタル化されるという書物作りに関する革命的な環境変化がもたらされた。このような状況の下、前著『印刷史/タイポグラフィの視軸』(2005年10月、実践社)が入門書を装った論文集であったとすれば、書は広義のタイポグラフィ=組版(図書の構造設計全般)の現場を担う人々に対して、とりわけ写植における組版の手捌きを知らない世代に対して、改めて啓蒙的な問題提起を意図して編まれたものである。 巻頭「タイポグラフィーの視線」は、若干の図版を差替え省略し、一部字体の変更を伴っているものの、内容的には

  • 江戸の出板事情

    いうまでもなく江戸時代の出板物の大半は木版であるが、文化9(1812)年に出板された読に『復讐雙三弦』という板がある。読よみほんと呼ばれる絵入り小説は、江戸後期に出板された文学作品の中では、一番格調の高いジャンルに属する一群の読み物であった。このの内題下には「蓬洲著作並書画」とあるが、これは作者である神屋蓬洲が挿絵を自ら描いたのみならず、板下の清書(筆耕)までも手掛けたものと受け取れる記述である。蓬洲は物好きの変わり者で彫りまで自分でやったともいわれているが、もし当に板木彫りまで自分でしたとすれば、このは究極の手作りということになる。にもかかわらず決して私家版として作られたのではなく、きちんと板元から公刊されたもので、貸屋を通じてそれなりに読まれたものと思われる。 このように作者が画工や筆耕を兼ねて作られたは、江戸期にあっては、とりわけ珍しく特別な例とはいえない。たとえば

  • 板本から活字へ

    わが国における「書誌学」が、たとえ誤訳に由来するものであったとしても(山下浩「[学会報告]「日近代書誌学」を成立させるために(第1回)」、「言語文化論集」46、1998年1月)、実態的には図書学・図書館学の一部として体系化されてきた歴史がある。所謂「形態書誌学」のみならず、モノとしての書物のありようを言葉で記述するために、深遠な知見が積重ねられてきたことは、決して誰にも否定できないだろう。その結果、個々の書物の実態は「分類」「書目」「年表」という形で整理されて体系化された情報として提供されている。 尤も、写に始まり古活字から板(整版)〔敢えて板木を用いて作成されたことを示す場合は「板」を使って「出板」「板」「板木」などと表記し、一般的な「版」と区別して書くことにしている。〕へというメディアの変遷過程においては、圧倒的に板以前に関する研究(文献学)が多かった。そして板も主とし

  • 書評『本と活字の歴史事典』

    それにしてもや活字という物は何故に斯くまで人を惹き付けるのであろうか。 印刷史研究者6人による論考が納められている書は、B5版2段組510頁という甚だ大部な論文集で、多数の貴重で美しい資料図版が惜しみなく掲出されている。それ故に通読するだけでも少なからぬ精力が要求されるのであるが、まずは執筆者達の活字に対する熱い想いに圧倒される。のみならず、いずれの論からも究めて精緻な実証的手捌きが垣間見え、従前の研究史を書き換える新見に満ち溢れている点にも驚かされる。 とりわけ既に執筆者等にとっては常識となっている事柄であるようだが、木昌造神話から解放された視点での印刷史観は、我々を全く新しい地平に導いてくれる。例えば日で最初に活字を製作したのが木昌造であるという「伝説」が捏造されたものであるという指摘に留まらず、その生成過程までが精密な考証によって明らかにされている。また三谷幸吉が説いた鯨尺

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