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中東と米国に関するtbseizoのブックマーク (3)

  • タリバンのアフガニスタン早期制圧に見るアメリカの帝国主義 | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート

    8月15日、アフガニスタンの武装勢力タリバンは首都カブールを占拠した。主要な都市をすべて支配下に収めた後の首都制圧によってタリバンによるアフガニスタン支配が確定したものと思われる。 タリバンのアフガニスタン制圧 ニュースを聞いた多くの人が疑問に思っているだろう。アフガニスタン政府は何故これほど簡単に諦めたのか? アフガニスタン軍はほとんど戦わずに逃げ去り、首都カブールも無血開城となった。 状況を理解するためには少し前から話を始めなければならない。事の発端は4月にアメリカバイデン大統領が米軍のアフガニスタン撤退を決定したことである。 撤退は9月までの期限で徐々に行われたが、米軍が撤退するにつれてタリバンは徐々に勢力を拡大していった。 最初に制圧された州都は8月7日に落とされたニームルーズ州のザランジュだが、ザランジュは無抵抗で降伏したという。同じ日にジョウズジャーン州、翌8日にクンドゥーズ

  • カダフィ大佐はなぜ今、排除されたか

    レルネット主幹 三宅善信 ▼ チュニジアやエジプトとは訳が違うリビア 約半年間の“内戦”(註:実際には、圧倒的な軍備を誇るNATO軍による攻撃によって、カダフィ大佐率いるリビア政府軍が敗走したのであって、決して、ベンガジに拠点を置く反政府勢力によって“革命”が起こされたのではないことは明白なので、来なら“内戦”ではなく、欧米の軍事介入と言うべきであるが…)を経て、42年間続いたカダフィ政権が崩壊した。日のマスコミをはじめ世間ではこれを、リビアの西隣のチュニジアで澎湃として湧き起こった「ジャスミン革命」(註:警察の横暴に抗議した一青年の焼身自殺に端を発し、FacebookやYoutubeやTwitterといったネット時代の情報ツールによって瞬く間に、閉鎖社会に拡大した民主化要求暴動によって、23年間続いたベン=アリー独裁政権が、わずか9日間であっという間に崩壊し、その機運が、北アフリカ

  • 豊健活人生:春山昇華 : 7:アメリカの中東政策の推移は?

    2013年10月12日18:25 カテゴリ大局観、テーマ、見識[edit] 7:アメリカの中東政策の推移は? Q1:アメリカの中東政策の推移は?A1:2006年1月ブッシュ政権下の一般教書演説を転換点として、脱中東が始まり、今日まで続いている < 1991年〜2006年 >1991年の湾岸戦争から2006年の米国中間選挙までの期間は、アメリカが中東&北アフリカのムスリム地域に対する関与を増大させ、民主化とテロリストの取り締まりを強く求めた時代だ。 1990年のイラクのクウェート侵攻に対応した湾岸戦争(1991年)に際して、米国ブッシュ大統領はサウジアラビアに圧力をかけて、サウジ国内の基地へ米軍駐留を認めさせた。米軍中心の多国籍軍に、エジプト、サウジアラビアなどアラブ各国もアラブ合同軍を結成して参戦した。 疲弊する経済から脱するために、米国からの資金援助(および過去の累積債務の減免)が必要だ

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