通称「東ロボくんプロジェクト」。NHKでも報道があった通り,発表会があったので参加してきた。以下にレポートを書いたが,超長くなったので,簡潔に先にまとめておく。 ・入試は「暗記とパターン」だが,パターン作りというのは,実際には高度な人間の知的能力。だから大学入試を選んだ。 ・最終的にコンピュータに身につけて欲しい能力(=東大入試突破に必要な能力)は3つ。「深く正確な(自然言語の)構文解析と意味合成」・「パラフレーズ同定」・「文章の要約」。これらは現在の人工知能ではできない。 ・ただし,今回は初回なので,挑戦する入試をセンター試験(模試)に絞った。また,最終的に欲しい能力を目指す本質的な研究ではなく,今回は,小手先の,現状可能なアプローチだけで,どれだけセンター試験で得点できるかに挑戦した。そのセンター模試の結果は約4割の得点率(387/900)。足切り回避まで,まだまだ先は長い。 (筆者注
小学校の計算問題で「0÷0=」という問題が出て、(その教師の用意していた)答えが「0」だったらしく、その生徒の親に高校の数学教師が居て、「こんなの不定に決まってるだろ」と猛烈に抗議をしたが、その小学校の教師にはその意味が理解できなかった。それで仕方なく校長のところに話を持っていき、なんとか決着がついた。 まあ、それ自体は昔からよくある話なのだが、何故、いまだに小学校で「0÷0」を計算問題として出してしまう小学校の教師が後を絶たないのだろうか。 その理由を簡単に説明する。 私も高校数学の教免(一種)を持っているのだが、まず、「0÷0=」なんて学校で習ったことがない。 小学校のときの計算問題でそんな問題を出されたことは一度もない。要するに知らない。考えたこともない。 しかし、小学校では割り算を掛け算の逆操作として定義していて、 2 × 3 = 6 のような掛け算から、 6÷3=2 を導く。 こ
数学嫌いはどこから生まれてくるのか? よく聞かれる「役に立たないから」なる理由は、実のところ良くて後付け悪くて言い訳であって、その実態は、算数や数学につまずいて分からなくなった人たちが、イソップ寓話のキツネよろしく「あのブドウ(数学)は酸っぱい(役に立たない)」と言い広めているのである。 ならば撃つべきは〈算数・数学のつまずき〉である。 以下に示すのは、小学校の算数から大学基礎レベルの数学まで、「つまずいて分からなくなる」箇所を集めて16のカテゴリーに分類したものである。 一度もつまずかず専門レベルまで一気に駆け上がることのできた一握りの天才を除けば、数学が得意な人も不得意な人もみなどこかでつまずいたであろう、さまざまな算数・数学の難所が挙げられている。 この分類が示そうとしていることのひとつは、同じ〈根っこ〉をもったつまずきが、小・中・高・大の各レベルで繰り返し出現することである。 たと
出張で人生初の札幌にきています。時間をつくって夕方、市内見学で札幌の時計台を見学してきました。 ボランティアのガイドの方に説明いただけたので、パンフレットで見落としそうなことも詳細に教えていただきました。(おそらくどこかの組織を退職された方でしょう、豊富な知識をお持ちでした。) 明治政府発足後すぐに、ないないづくしの北海道開拓の切り札として米国から先生を招聘し、指導を仰ぐという方針が決まった。当時はうかうかしているとロシアに攻め込まれるという危機感があった。 最初は時計台ではなく、演武場だった。(その看板が残っており、揮毫は岩倉具視でした。) 建物は米国の西部開拓時代を彷彿とさせるつくり。当時の建屋が今も残っている。 時計台そのものは米国製。ワイヤ交換以外の部品は今も使っている。動力は「重し」のみ。 今も鐘がなる。(17:00 に 5 回鳴ったのを聞きました。) クラーク博士が有名だが、実
自分への問いかけ。 と解答。 「基礎は無意識に落としこむほど反復してこそ、本当の土台となる。」 「基礎は常に更新、あるいは再構築されるものである。」 以下本文。 高校生を応援するNHKの番組「テストの花道」みて 早稲田先進理工学部で、 その他いろんな薬学部にも合格もらった人の 勉強法が面白かったです。 問題集への取り組み方 学校で配られた問題集で、 「例題」→「練習問題」→「演習問題」 と普通は順番に理解し解いていくところ、 「例題」のみひたすら繰り返す! 「練習問題」「演習問題」には手をつけない。 え? それだけ? というか、例題だけ覚えても練習やら応用やら、 やらないとダメなんじゃないの? と、思ったんですが、 どうも受験対策に買った物も「基礎英文法」と「単語帳」だけで、 後は授業の復習や、学校のプリント、問題集のみ。 結局応用問題には最期まで手を付けなかったそうです。 (そんなんで薬
地域 社長さん、琉大夜間合格 14年かけ高校卒業「支えに感謝」2011年1月13日 Tweet 学業を支えた金城正則さん(左)と中石安広さん(右)の間で、満面の笑みを見せる玉栄登次社長=うるま市勝連南風原 【うるま】昼は自動車整備工場の社長として働きながら夜は高校生として学びを深めた玉栄登次さん(54)=うるま市勝連=が、琉球大学法文学部総合社会システム学科経済学専攻(夜間主コース)に合格した。最初の高校入学から14年かけた卒業と大学合格の夢をかなえた玉栄さんは「年齢にかかわらず学ぶ機会を与えてくれた学校と、支えてくれた社員に何よりも感謝したい」と笑みを浮かべた。 玉栄さんは9人きょうだいの8番目として農家に生まれた。経済的に苦しく、高校進学を断念。17歳のころ、愛知県で就職し整備士の国家資格を取得した。 帰郷後、1987年に独立。バブル崩壊後期の当時、企業倒産を目の当たりにした。
テレビで魚に右利き左利きがあることを発見した教授が出ていて、その話がすごすぎた。餌をとるのに右にばかり曲がる魚とか、魚にも利きというのがあるらしく、しかもそうした魚を干物にすると、右利きは右に曲がって干からび、左利きは左に曲がって干からびる、つまり骨格から利きが決まっているらしい。その比較を見せてもらったときは鳥肌がたったわけで、偉大すぎるだろ、とびびっていたのだけれど、アナウンサーさんは変な研究、と言いたげに苦笑していて、しまいには「なんの役に立つんですか?」という自然科学でもっとも野暮な質問をしてしまっていた。 うーん。「なんの役に立つんですか?」という言葉は、実はいろんなことに投げかけられている。「マンガなんて読んで、なんの役に立つの?」「宇宙なんて研究して、なんの役に立つの?」「絵画なんて観て、なんの役に立つの?」大衆にとってもっとも価値があるのは「利便性」だ。「利便性>娯楽性>芸
『えぇええっ??! なぜ知らない…』が面白かったので、実験をしてみた。被験者の皆さん、ありがとう。 やったことは簡単。Expectというプログラミング言語があるが、これの存在を知らない人に、多分小学校の先生ならこういう手順で教えるだろう、というパターンで教えてみた。対象は不幸にして私と飯をくった数人。飯時に10分程度とはいえ講義を食らったわけだ。可哀想に。 . 使った、パターンはこう。 まず、彼らが良くやっている作業を自動化する方法を考えろ、と言うその際に問題になりそうなポイントが、パイプのバッファリング周りだという事を理解させるで、Expectの説明をするここで一旦止める。で、明らかに腑に落ちない、という顔をしている人から順に、「で、最初の問題の答はわかった?」と聞いていく。最後に、「最初の問題は Expect を使うと解けるんですよ」という答を教える実験としては 4 まで。 5 は腑に
「現代文の授業は何のためにあるのか判らない」というのは高校まで私も思っていた。大学卒業後かなり長く思っていた。大学受験の「現代文」は今どんな感じなのか遠く離れているので判らないが、塾講師をして高校受験中学受験の「現代文」すなわち「国語」を担当して、「何のため」というより「誰のため」なのか判った。 日本人には、日本語の文章の読めない人が、たぶん2〜3割くらいいる。そういう人のために「現代文」という授業と科目は存在する。「日本語の文章の読めない日本人」のことを「読解力がない」という。ブログを書く人はたいがい読解力は高い。マンガオタクアニメオタクは少なくとも「文学的文章」の読解力はそこそこ高い。そのため、「なんのために現代文という授業と科目があるのか判らない、書いてあることを読めば判るではないか」と感じがちだ。しかしながら「読解力のない」人は一定割合いて、その人たちのために「現代文」という科目と
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