インタビュー 2009年12月18日10:00 カテゴリ "これから日本のウェブサイトを変えなきゃいけないと思います" - 池田信夫さん --ライブドアという名前を最初に池田さんが認識されたのは? 池田信夫氏(以下、池田) 一番最初の付き合いはオン・ザ・エッヂからですね。たしか2000年頃でITバブルの崩壊した直後くらいです。僕が『ホットワイアード』っていう日本版のウェブサイトでコラムを書いていたときに、そのサイトの運営をしていたのが、オン・ザ・エッヂだった。僕のところにきた支払調書がオン・ザ・エッヂからで、「そういう会社があるんだな」くらいに思ってましたね。それで、その名前を聞いた前後に、オン・ザ・エッヂがマザーズに上場したんですよ。その時にはすごい値がついた。 最初はライブドアは無料プロバイダとして始まったんですよね。でもオン・ザ・エッヂがライブドアを買収して、名前を買収された会社
2002年1月22日午後9時46分。岸本建男前市長と初当選した島袋吉和が握手していたとき、私は市内某所で泣いていた。建男さんはこの基地建設問題に殺されたようなものだ。あの選挙で基地問題を終わらせるために私は必死だったが、人々の思惑が絡み合い縺れ捩れ選挙結果は出た。 島袋氏は政府の沿岸案に反対を公約し当選した。「妥協するな」という建男さんの末期の言葉をどのように聞いたか、3月27日に岸本建男が永眠した11日後、沿岸案と同じ場所で規模を拡大したV字案で政府と合意した。 建男さん亡き後、私は張り詰めていた何かが弾け、市議落選を期に名護を離れた。現在は普天間基地のヘリが飛び交う宜野湾市に住んでいるが、人々が暮らす頭上を軍用ヘリが訓練で飛び交う日常は異常でしかない。「日常が異常」「異常が常態になった日常」―この現実を正確に伝えることばを私は持っていない。 あれから4年が過ぐる、来年は名護市長選挙の年
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