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ブックマーク / amd-ryzen.hatenadiary.jp (4)

  • コナミのゲーム嫌いな社長は実在した!?  コナミの影の歴史に迫る! - 平和的なブログ

    さて、前回、前々回の記事にて繰り返しコナミ創業者である上月景正会長に対し「ゲーム嫌いという風説は間違っている」という内容を広げてきましたが、その際いろいろと資料集めをした結果、なかなか面白い事実に気がつきました。それは長いコナミの歴史の中で、とある時期に「ゲーム嫌いの社長」の存在が実在しえたのではないか? ということです。 「今更何を言っているんだおまえ」と思うかもしれませんが、最後までご覧下さい。これは上月景正会長が後悔してやまないコナミの影の歴史の話です。 1988年から1994年までのコナミと聞くと皆さんどのようなイメージをお持ちでしょうか? おそらく素晴らしく正のイメージを持っていると思います。アーケードではグラディウスⅡをはじめ名作STGが次々に稼働し、ファミコンにおいては自社生産カートリッジの製造許可を最大限に発揮して独自形状による拡張音源搭載の作品を広く提供、末期にはFM音源

    コナミのゲーム嫌いな社長は実在した!?  コナミの影の歴史に迫る! - 平和的なブログ
    uhyorin
    uhyorin 2021/06/19
    90年代前半のコナミって経営危機状態だったのか。
  • 「コナミはプロ野球の実名ライセンスを独占していた」という風説についての所見と解説 - 平和的なブログ

    2000年、コナミのイメージを最悪に突き落とした事件がいくつもあります。 一つは「ジャレコ VJ」に端を発した音ゲー特許事件。もう一つは他社の商標を奪い取る商標登録問題。そしてもう一つ、野球機構からライセンスを受け野球ゲームに実名選手と実名球団を出せるようにしたのですが、これをコナミは独占しました。 他社はコナミにサブライセンス申請を出さないといけなくなりました。そして実際にコナミはスクウェアにサブライセンスを許可しない方針と発表したため、ゲーム業界は荒れに荒れました。 この荒れ具合はBoycottKONAMIさんのページを見ればわかるかと思います。(2021年時点でもまだページが現存し、かつ目的を達成したことで活動を停止したBoycottKONAMIさんに敬意を表します。重要な参考資料として使わせていただきます) このうちの音ゲー特許事件は翌年にナムコ・ジャレコと和解が成立。商標登録問題

    「コナミはプロ野球の実名ライセンスを独占していた」という風説についての所見と解説 - 平和的なブログ
    uhyorin
    uhyorin 2021/06/13
    なるほど納得。とはいえ00年台中盤には肖像権を支払ってでもプロスポーツゲームを出せるとこはほとんどなくなった感じに落ち着いたなあと。
  • 特別編 「KONAMIの社長はゲーム嫌い」という伝説におくるレクイエム - 平和的なブログ

    ずいぶんと昔になりますがこのような記事を書きました。かなりの反響をいただけて少しは「コナミの社長はゲーム嫌いだ」という風説を打破することができたのではないかと思っています。 今回の記事はその続きです。(なのでできれば前回の記事を読んでいない方は目を通していただけると幸いです) さて、前回の記事ではコナミがゲームという表現から逃れることで、なんとかゲーム会社として大きくなっていったことの歴史を語りましたが、具体的にどのようにゲームに携わっていったか、謎のままでした。実はコナミの創業からゲームに携わることについてはインターネット上で確認することができません。社長がどのようにゲームの道を歩んだか、Wikipediaではさらりと記述して終わりです。 私はコナミに関する資料をいろいろと取り寄せました。国会図書館からです。 日経ベンチャー1999年3月号64p オンラインでコピーを送るサービスをやって

    特別編 「KONAMIの社長はゲーム嫌い」という伝説におくるレクイエム - 平和的なブログ
    uhyorin
    uhyorin 2021/05/16
    この記事知らなかった。ヒット作が出る毎に経営陣と開発現場との乖離が目立った会社はそう多くないよな…。
  • 特別編 「KONAMIの社長はゲーム嫌い」という伝説 - 平和的なブログ

    タイトルのような話を皆さんは一度聞いたことがあるのではないでしょうか? 実はこういう話には珍しく、全くの大デマ…というわけではなく、たどりにたどればソースらしき逸話に到達することが可能です。 www.nikkei.com 有料記事ではありますが、登録することで月10無料で読むことができる記事なので、その一部を引用致します。 >「(ゲームの)イメージが良くなく子供にも自分の職業が言えなかった」。上月は99年、創業当時を振り返ってこう語っている。 (中略) >「上月さんは『所詮はゲーム』という世間の風潮を気にして、『ゲーム屋』と呼ばれるのを嫌っていた」。経営会議に立ち会ったOBはこう打ち明ける。 以上の箇所が各地に転載され、「コナミの社長はゲーム嫌いで、ゲームを止めたがっているのだ」という風説が広がりました。 私は一時それに対して「この文章はそういう意味ではない。99年といえばコナミが音ゲー

    特別編 「KONAMIの社長はゲーム嫌い」という伝説 - 平和的なブログ
    uhyorin
    uhyorin 2019/04/13
    コナミ工業(神戸時代)の頃は開発者の個性が前面に出てたけど、PSで大当たりしてカジュアル路線拡大/大都市圏に開発拠点設けたが頓挫し、以降は組織に残る人と去る人が明確に分かれてしまったという感じかなあ。
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