しみじみ感動するのは「こんなにいい加減でも先進国が運営できるんだ」ということ。そして、このいい加減さで社会がちゃんと機能するのは「現場レベルでの個々人の独自の判断」があるから。 このエントリは、最後に「アメリカいい加減話」リンク集もついていて、そこも含め必読。 「現場レベルでの独自の判断にまかせ、なるべく一般解を導かない」という、アメリカ社会全体を貫く特質は重要だと思う。 日本は、その逆を行っていて、言葉の使い方からマナーから教育から冠婚葬祭から電話のかけ方からスピーチの仕方から、いろんな所に最適解が最初から用意されていた。だから、現場レベルの個別の判断がなくても回るように社会ができていた。 しかし、最適解は、状況が変わると往々にして全く使えない解になってしまう。 ソフトウエア開発でも、「いつどの程度最適化するか」というのは永遠の難問である。 多分この問題は、Lisperの臆病さに根ざして