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  • タイ流血衝突: 極東ブログ

    10日、タイの首都バンコクで、反政府デモ勢力と治安部隊が衝突し、ロイター通信の日人カメラマン村博之さんを含め21人の死者と900人近い負傷者を出す流血の惨事となった。私はここまでの事態は想定していなかったのでやや驚いた。 抗争の背景には、現アピシット首相を支える、対外勢力とも結びついた既存財閥及び官僚、都市中間層、さらに王室もこちらに近いと見られる既存勢力の黄色の派、民主化市民連合(PAD)に対して、タクシン元首相を支持する新興財閥勢力に地方農民や都市貧困層を加えた赤の派、反独裁民主戦線(UDD)との利害対立がある。が、そこまでは従来通りで、なぜ事態がここまで悪化したについては十分な説明にはならない。 おそらく過激な動向への変化には、バンコク週報「戦術を巡りUDD内で対立か」(参照)が指摘するように、UDD内の分裂から戦術変更が関係しているのではないだろうか。 UDD首脳部は、ベテラン

  • スリランカ内戦終結、雑感: 極東ブログ

    スリランカ内戦が終結した。この話題は大手紙の社説で読まなかったように思う。私の読み落としでないとするなら、重大なニュースとは判断されなかったのだろう。私はというと、この数日この問題について考える度に重たい気分になった。ブログに書くべきか悩んでいた。 スリランカ内戦には四半世紀の歴史がある。根は民族紛争とイギリス植民地政策だ。スリランカ人口の七割を占めるシンハラ人は、シンハラ語を使い、仏教徒が多い。二割はヒンドゥー教徒のタミル人だが、これにはその三分の二がスリランカに定住していたタミル人であるのに対して、植民地政策でインド領から強制移民させられたインド系のタミル人がいる。植民地時代にはタミル人が優遇されていた側面もあり、シンハラ人によるイギリスへの反抗もあった。 1948年、スリランカはイギリス連邦(コモンウェルス)として、「セイロン」国名で独立した。前年の議会選挙ではシンハラ人が多数派とな

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