自立志向の女性たち、めっちゃフェミニズムしてると思うんですけど フェミニストを名乗る方々はお気に召さないんですよね。 「フェミニズム vs フェミニスト」という構図がずっとあると思っています。 実態としては後者はパターナリズムでしかないのだけれど。
![「フェミニズム vs フェミニスト」という構図](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
双子で女性で、漫才師。黒いスーツにピンヒールで舞台に立ち、新約聖書、チーマーの後輩、首輪のついたみょうが、水瓶の女神様などを登場人物とする不可思議な日常をしゃべくりで紡いでいくDr.ハインリッヒ。2020年を最後にM-1参戦を終えるも、来月のなんばグランド花月の単独公演チケットは即完売、今最も勢いのあるコンビとなった。 双子あるあるも女あるあるもしない孤高の漫才師は、女芸人が抱える“矛盾”にどう向き合ってきたのだろうか。テレビが彼女たちに突きつけた「現実」を聞いた。(2回中の第1回/2回目を読む) ◆ ◆ ◆ 「女芸人」という言葉に違和感があるのに、取材を受けた理由 ――取材をお引き受けくださって本当にありがとうございます。Dr.ハインリッヒさんはアーティストスポークン(音声配信サービス)でも「女芸人」と呼ばれることに違和感を抱いているとお話しされていて、もしかしたら断られてしまうかな……
ハラスメント行為を受けたあとも、被害者は延々と続く日常を生きていかなくてはなりません。フェミニズム批評家として積極的に執筆・発信されている北村紗衣さんに、女性研究者としての体験や、2021年3月末のtwitterでの誹謗中傷事件とその後も止まらない二次被害、ミソジニーへの対処の仕方、死にたくなる前にみておくべきサバイバルのための映画、おすすめフェミニズム本などについてお話を伺いました。 北村紗衣さんプロフィール 1983年、北海道生まれ。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評。東京大学の表象文化論にて学士号・修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士号取得。現在、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。ウィキペディアンとしても活動。著書に『批評の教室』、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』、訳書にキャトリン・モラン『女
15歳のとき、ベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズムの説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元の図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子の世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitterや消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。 何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州の田舎で育った孤独なティーンエイジャーにとって、フェミニストの冒険譚を読むのは
フェミニズムの最大の功績は、男女の性別役割の分担や価値観を崩壊させたことだと思う。 男というだけで、経済力や甲斐性を求めることは悪い事になった。 男も女に対して、自分以上の学歴や年収を要求することが当たり前の価値観になった。 いまどきの若い女性は、学歴や経済力が無いと恋愛も結婚も出来ない社会になってきている。 フェミニズムのおかげで、女性も徴兵することが出来るようになり、命も男女平等になった。 過労死や自殺の男女比も限りなく均等に近づいて行くことになるだろう。 フェミニズムの浸透によって男は生き辛くなる、と批判されてきたが実際には真逆のことが起こってしまった。 むしろ男性側は男性優位社会の呪縛や男らしさから解放されて、その社会的強者の役割を女に押し付けることが出来るようになったのだ。 逆に、フェミニズムによって女の方が生き辛い社会になってきているのではないか。 昔は、女性は全員平等に弱い立
ここ数年、海外ではフェミニズムに関連する絵本や、子供・ヤングアダルト向けにやさしく女性史などを解説する本がよく刊行されています。サッサ・ブーレグレーンの『北欧に学ぶ小さなフェミニストの本』(岩崎書店)や、ユン・ウンジュとイ・ヘジョンによる韓国の絵本『女の子だから、男の子だからをなくす本』(エトセトラブックス)などは日本語にも翻訳されています。どちらも手軽に読める本です。 子供たちが差別や偏見、セクシュアリティなどについて学ぶことができる本が増えているという点で、こういう風潮はとても良いことです。ほとんどの人間は遅かれ早かれなんらかの問題にぶつかり、人それぞれの生きづらさを抱えるようになります。幼い頃からいろいろなことに疑問を持つ子供もいれば、成長してから壁にぶつかる人もいます。そういう悩みやトラブルに対処するにあたり、幼い頃からこうした情報を提供してくれる本があるのはとても役立つはずです。
『白雪姫』から『アナと雪の女王』まで、ディズニーの夢のような世界の裏側で忘れ去られた女性たちにスポットを当てる『アニメーションの女王たち――ディズニーの世界を変えた女性たちの知られざる物語』が、2021年2月26日に刊行される。ノンフィクションである同書では、ビアンカ・マジョーリーやメアリー・ブレアといったウォルト・ディズニー・スタジオで重要な仕事を残した女性たちだけでなく、アジア系のアーティストや黒人のキャラクターなどにもふれていく。 本書の関連企画として、専修大学で教授を務める英文学者の河野真太郎の書評を公開。フェミニズムや労働という観点から『アナと雪の女王』などのディズニー作品に言及した著書『戦う姫、働く少女』をもつ河野が、本書の中で語られるウォルト・ディズニー・スタジオ内での女性たちの戦いと、同スタジオが制作してきたアニメーション作品の物語について読み解いていく。また、「政治的正し
ここ数年、フェミニズム関係の本は人気を博すようになっており、海外の書籍が続々紹介されています。韓国文学をはじめとするフェミニズム系の文学作品は相変わらず人気がありますし、文学作品以外でも、2020年はシンジア・アルッザ、 ティティ・バタチャーリャ、ナンシー・フレイザーの『99%のためのフェミニズム宣言』(惠愛由訳、人文書院)やキャロライン・クリアド=ペレスの『存在しない女たち――男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(神崎朗子訳、河出書房新社、これは私が書評も書いています)など、フェミニズム関係の重要な英語の本が日本語に翻訳されました。 2021年最初の連載となる今回の記事では、2021年に翻訳が期待されるジェンダー関係の英語のおすすめ本を3冊、選んで紹介しようと思います。 デボラ・キャメロン『フェミニズム――思想、議論、政治運動入門』 Deborah Cameron, Fem
筆者も観始めたら止まらなくなり、睡眠時間を削って一気に観てしまった。もちろん、手に汗握るチェスの試合の展開とベスの痛快な快進撃が、純粋なエンターテインメントとして成功している(それも、チェスのルールが分からなくても楽しめるように作ってある)ということもある。そしてアニャ・テイラー=ジョイ演じるベスという主人公の魅力もある。 だが、このドラマの魅力の本体は、それがかなりクラシックな成長物語、専門用語では「教養小説(ビルドゥングスロマン)」の形式を取りながら、それを非常に現代的な形に組み直してみせたことにあるだろう。それは現代の女性の教養小説なのだ。 「成長」はどのように描かれてきたか 教養小説とは主人公の少年時代から成人するまでの成長を物語る小説である。「ビルドゥング」とはドイツ語で「形成」、「ロマン」は「小説」の意味なので、「自己形成小説」とでも訳した方がより直訳的だろう。 『クイーンズ・
女性の権利向上を目指すフェミニズムなんだけど、これって本当は女性がどう変わるかじゃなくて男性がどう変わっていくかの問題なんだよね。女性に変化が必要ないというわけじゃないんだけど、男性がより変化をする、もうちょっと言うと判断材料から「女性」を外すという作業が必要になる。 なんだけど、今の日本で見えているフェミニズムって、「社会的弱者である女性が自分たちが差別を受けていることを根拠に男性を見下してぶん殴って差別することを正当化する」ものに成り下がっている。 当然しっかりとフェミニズムを普及したい女性、受け入れていくべく頑張っている男性というのもいるんだろうが、それ以上に、こういう人たちの声がとにかくでかい。 特にはてなやツイッター界隈ではこういった声がものすごい。もう変化を促すとかじゃない。変化するか死ぬか選べくらいの強烈さだ。当然これに対するアンチもやられる前にやれと言わんばかりに先鋭化して
「明らかな味方」を執拗に叩く心理 ここ最近、「ツイッターフェミニズム」(ツイフェミ)と呼ばれる動きが一部で広がっている。一見すると、ツイフェミはミサンドリー(男性嫌悪)によって突き動かされているように思える。だが、ツイフェミ=ミサンドリストという理解は、決して正確ではない。 ツイフェミの言動が過激化する背景には、「男が許せない」という怒りに加えて、もう一つの大きな怒りが存在する。 ツイフェミが攻撃するのは、女性嫌悪に満ちた男性だけではない。女性嫌悪に染まっておらず、フェミニズムに対して理解を示すリベラルな男性たちもまた、彼女たちの攻撃対象になる。女性への性暴力に反対するデモやイベントに来た男性に対して、主催者が「男性の方もこんなに来てくださった」「賛同してくださる素敵な男性もいらっしゃった」と感謝の意を述べると、「少しでもまともな男に出会った時に感謝する癖は見直すべき」「被災者がボランティ
先日、「 #私たちのフェミニズム をみんなで語ろう」という連載の第一回として、「ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか?」というインタビューが公開され、さっそく炎上しています。 火をつけて回っているのは例によって「フェミニスト」を名乗り、「ツイフェミ」と呼ばれている一群の人たちであるように見えます。いったいかれら、彼女たちは何が不満なのでしょうか? それらの批判意見をひと通り見てみたのですが、そこにはおどろくべき光景がひろがっていました。その批判内容の是非以前に、そもそも文章の意味を理解できていないのです。 このインタビューはきわめて易しい日本語でやり取りされており、小学校高学年くらいの読解力があれば十分に理解できると思うのですが、それにもかかわらず、多くの人がかってに頭のなかでパラフレーズして読み、結果として誤読しています。 いったいこ
「メディアが取り上げて、『男女平等が当たり前だよね』と言い始めたのは、ここ10年くらいじゃないかな。それもインターネットメディアが増えたからじゃないかな」
『チャーリーズ・エンジェル』の映画新作が2月21日に日本公開予定です。『チャーリーズ・エンジェル』といえばテレビシリーズ『チャーリーズ・エンジェル』(1976–1981)に始まる有名フランチャイズで、2000年には映画『チャーリーズ・エンジェル』(2000)としてリブートされ、その続編『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(2003)も公開されました。2019年版はさらなるリブートとなります。 私は2000年のリブートを映画館で見て以来このフランチャイズのファンです。テレビシリーズもほとんど見ています。新作も、幸運なことに試写会で見る機会がありました。 実はこちらの新作『チャーリーズ・エンジェル』はアメリカでは興行的にあまり当たっておらず、評価もよろしくありません。批評でとくに言われているのが、この映画が含んでいるフェミニズム的メッセージが非常に軽薄だ、というものです。 たしかにこの
「私は、母にいじめられたんですよ」 ―― 世間の田嶋先生へのイメージは「怒れるフェミニスト」ですが、実はとても明るい方なんじゃないかと思ってるんです。 田嶋 さっきもタクシーに乗ったら、「意外におとなしいですね」だって。みんなさ、私がいつも暴れてると思ってるの。タクシーの中で暴れるわけないよね(笑)。 ―― それだけテレビの印象が強烈なんですね。そう思わせるテレビの「演出」についても伺いたいのですが、まずは田嶋先生のフェミニズムの原点について、お聞かせください。 田嶋 私は、母にいじめられたんですよ。母は戦後すぐ、脊椎カリエスという病気にかかって、長く生きられないと思ってたみたい。自分が死んだら、私が一人になってしまう。だから、私が早く自立できるように、非常に厳しくしつけられました。小学校から帰ると、母が寝たきりで身動きできないから、私はベッドの隣に座って勉強しなきゃいけないのね。教科書が
最近思う、もうフェミニストやめたいなと。 もともと、フェミニストは資格制度でもなんでもない。ざっくり言えば、女性の人権を求めて何らかの言動をする人のこと……くらいに思ってもらって構わない。 そして、その中には過激派と穏健派がいる。過激派は「ラディカル・フェミニズム」と呼ばれ、ポルノの弾圧やこれまで自分たちの人権を奪ってきた男性からの復権を訴える。 対して穏健派の「リベラル・フェミニズム」は、弱者男性(KKO=キモくて金のないおっさんという、最も支援の手が届きにくいとされる方を指す界隈の用語)らとも組んで、男性だから稼げ、女性だから家事をやれといった性差別からみんな解放されて楽になろうよ、という立場だ。私はがっつり後者で、リベラルどころか「ゆるふわフェミニスト」くらいの位置づけにいると思う。 ゆるふわフェミニストから見た世界 専業主婦になりたい人はなればいいし、共働き志向ならそれもいい。私は
日常風景の中での男女平等感 「女であるという理由で差別された経験がないから、フェミニズムが言う女性差別というのはよくわからない」 「現代ではもう女性差別みたいなものはないと思う」 フェミニズムについて、現在の女子大学生に聞いてみると、こんな答えが返ってくることがある。 たしかに、日常生活において露骨な男女不平等を経験することは減ってきている。その変化自体は望ましい。 しかし、ここで注目したいのは、「もはやフェミニズムは不必要である」、「フェミニストは不当に男女不平等を取り上げて騒いでいる」と主張する女性たちが出てきていることだ。彼女たちの目には、フェミニストの主張がなにか不快なものとして映っている。 こうした傾向は日本だけに止まらない。後述するように、一般の女性たちが「フェミニズム」「アンチフェミニズム」という語を使って激しく議論を交わしている英語圏では、フェミニズムに反対するハッシュタグ
「ありのままで」と聞くと、「ありのままの自分になるの」と歌う2013年のディズニー映画『アナと雪の女王』のテーマソングを思い出す人が多いだろう。すでに指摘されているように、“Let It Go” を「ありのままで」と訳すのは正確ではない。この映画を一言で説明するならば、触るものすべてを凍らせてしまう魔法の力を、父王に秘匿することを命じられた孤独のプリンセスのエルサが、自己の力を肯定し、妹アナと和解する物語だ。彼女の歌う“Let it go”の it とは、映画に即して考えると、彼女の父が述べた「力を隠せ。感情を抑制せよ。人に見せるな(Conceal it. Don't feel it. Don't let it show)」の it すなわち彼女の魔法の力である。つまり “Let it go” を説明的に理解するなら「自分の力が知られたって構わない」の意となる。ここで指摘したいのは、制約の
ウィキペディアはドレスがお嫌い? 2011年4月29日、エリザベス二世の孫で、英国王位の継承権を有するウィリアム王子とケイト・ミドルトンが結婚した。この結婚式は非常に晴れがましいもので、世界中で報道された。 多くの人が2人を祝福する一方、王室に反旗を翻す共和主義者は結婚式報道一色でうんざりしていた…のだが、そんな中、晴れがましさや反骨精神とは関係ない問題で沸き立っているコミュニティがあった。 ウィキペディアだ。 ウィキペディアが「コミュニティ」なの?と思う方もいるだろう。ウェブ上のフリー百科事典であるウィキペディアを編集する人のことをウィキペディアンと呼び、ウィキペディアにはウィキペディアンたちのコミュニティがあって、日々、サイト運営のために様々なことをウェブ上で相談している。 英語版ウィキペディアのコミュニティは結婚式のお祭り騒ぎを尻目に、ケイト・ミドルトンのウェディングドレスに関する記
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