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歴史認識と歴史に関するyomimonoyaのブックマーク (10)

  • 世界の日本研究者ら187名による「日本の歴史家を支持する声明」の背景と狙い/小山エミ - SYNODOS

    米国をはじめとする海外の日研究者ら187名が、連名で「日歴史家を支持する声明」を発表した。 内容よりもまず注目すべきは、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』のエズラ・ヴォーゲル氏、『敗北を抱きしめて』のジョン・ダワー氏、『歴史としての戦後日』のアンドリュー・ゴードン氏、『歴史で考える』のキャロル・グラック氏、『国民の天皇』のケネス・ルオフ氏、『天皇の逝く国で』のノーマ・フィールド氏ら、学問的にトップクラスであるばかりか米国のアジア政策にまで影響を与えるような名を知られた大物が、ほぼ全員名を連ねていること。わたし自身も署名したが、あとになってリストを見ると、わたしなんかが入って当にすみません、と謝りたくなる気分だ。権威主義的だと言われるかも知れないが、これだけ有名人が揃うと壮観。そして、この声明が発表されたことが、尋常ならぬ事態だということが分かる。 声明は、安倍首相が日の総理として

    世界の日本研究者ら187名による「日本の歴史家を支持する声明」の背景と狙い/小山エミ - SYNODOS
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  • 【ニュース】 バリックパパンの日本海軍322基地に「設営班慰安所」 1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で開設 防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述   高知市の平和・資料館の調査で判明 (つづきあり。「設営班慰安所」の地図です)。: 短歌の花だより

    【ニュース】 バリックパパンの日海軍322基地に「設営班慰安所」 1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で開設 防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述   高知市の平和・資料館の調査で判明 (つづきあり。「設営班慰安所」の地図です)。 中曽根康弘海軍主計中尉がアジア太平洋戦争中に「外地」で海軍の慰安所を取りはからったとして各方面が追求してきました(人は、いわゆる「慰安所」ではないと否定してきました)。高知市升形9の11の平和資料館・草の家は、防衛省防衛研究所に、その問題に関連した資料があることをつきとめ、10月27日午前、その文書の内容を同館ホールでの記者会見で報告しました。その文書は、ボルネオ島バリックパパンの日海軍322基地に海軍の「設営班慰安所」があったこと、それは、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で「土人女を集め」、1942年3月11日に開設

    yomimonoya
    yomimonoya 2011/10/28
    ←新タグ作った。恥を雪ぐためにはまず恥の全貌を明るみに出さないとね。保守ってのはそれやった後からする話だと思う。
  • 壊れる前に…: 戦争の博物館

    yomimonoya
    yomimonoya 2011/07/14
    「歴史は決して美しいものではない」――げに。
  • 北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条

    明治政府はそのイデオロギー主柱が水戸学であったことが、北朝ではなく、南朝が正統であると考えられた根にあると思われる。江戸幕府の歴史意識では、後醍醐で王朝は終了して武家の世になっているのである。王朝交代の思想に基づけば、南朝正統の方が何かと好都合であった。松平定信の大政委任論から始まって、幕末の政治情勢の中で攘夷を決行できない「征夷大将軍」に対する不満が高まり、「尊王攘夷」から「尊王討幕」へと政治動向が変わり、明治維新に至る。明治維新では水戸学の影響やら、国学、特に大国学(おおくにがく=大国隆正の学派であって、「だいこくがく」ではない。念のため)を中心とする国学がヘゲモニーを一時的に握る。いわゆる祭政一致の段階で、神祇官が太政官の上に置かれた時代である。神武の昔にもどろうとしたらしい。やがて文明開化の中で彼等は非主流派に転落して行くのだが、彼等の思想は民間右翼団体やその影響を受けた地方の保

    北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/06/12
    菊花紋 浜の真砂は尽きるとも 世に藤原の種は尽きまじ。
  • 郭沫若・日本の旅 - Arisanのノート

    随行記 郭沫若・日の旅 作者: 劉徳有,Liu Deyou,村山孚出版社/メーカー: サイマル出版会発売日: 1992/10メディア: 単行 クリック: 13回この商品を含むブログ (1件) を見る 一番私どもに感銘を与えたのは、変化といえば変化ですが、人間と人間の関係、われわれとあなた方との間の感情が昔と違ったような感じがします。それは一番深く私に感銘を与えました。 学生時代、それから亡命の時代は、先生もご承知の通り、私の国が悲惨な運命に陥っている時代ですから、非常に肩身が狭かったのです。学校の先生からは愛され、同窓の間に友達もたくさんありますけれども、お国の方一般からは、これは無理もないですが、疎隔があったのです。もっと率直にいえば、軽蔑しているというようなところがありました。ところが今度来ると、そういうところが違ったのです。兄弟のような感じです。ことに田舎に行くと、ほんとうに真心

    郭沫若・日本の旅 - Arisanのノート
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/01/20
    「ところが日本の側は、その過去の事実(自分たちの行為)を、本当になかったもののようにした上で、「旧友」との再会と和解を求めた節がある」
  • 関東大震災・朝鮮人虐殺は「正当防衛」ではない

    (1) 表中の①②③の欄に属する者は、氏名または所在が不明の者、および氏名は判明しても逃亡または死亡している者などで、犯罪の確証は残されていない者たちである。その人数は約一二〇名で、それは司法省によって犯罪人とされた朝鮮人総数一四〇名の約八六%にも達する。 (2) ④の欄に属する三件は、取調べ、予審、公判の最中であって判決を受けていない者であるから、容疑者であっても、少なくとも法的には犯人ではない。法を司ることを任務とする司法省が、法を無視して判決を受けていない容疑者を犯罪人と決め付けた処置は、何が何でも犯罪人を捏造しようという姿勢を示すものであり、驚くべきことである。しかもこの調査書では予審中だった呉海模は、一一月三日に東京地裁から爆発物所持の理由で懲役一年の判決言い渡しを受けたが、爆発物と暴動の関係は証拠不十分とされた。(8) したがって呉を爆発物を利用して暴動を起こした犯罪人と判定で

  • スーパーゲームズワークショップエンターテイメント 「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その2

    今回は前回に引き続きプレシアンに掲載された記事の中から、林東源(イム・ドンウォンまたはリム・ドンウォン)インタビューの翻訳をお伝えします。 林東源氏は金大中政権時代の統一部長官であり、いわば南北首脳会談と太陽政策の立役者とも言うべき人物である事は多くの方が御存知でしょう。経歴もユニークで、北の平安北道出身で朝鮮戦争の際に南へ来た、いわゆる「失郷民」と言われる北出身者でした。その後朴正煕が政権を握ってからは陸軍士官学校で主に反共対策や対ゲリラ戦の専門家として活躍するという、典型的な軍事政権下の軍人であり、当時はおよそ朝鮮半島の平和や統一とは縁遠い存在だったのです。実際に軍人としてはかなり有能だったようで、80年の退官の際には当時大統領だった全斗煥(こいつも軍人上がりでした)が大いに惜しんだというエピソードも伝わっています。 若き日の林東源氏が軍事政権下で反共軍人として立身出世する道を選んだの

  • 鎮魂の寺院 - 我が九条

    恨みを残した死者は祟る。その祟りを避けるために鎮魂が行われる。 戦没者は自らを死に追いやった国家に祟る。だから祟らないように鎮魂を行う必要があるのである。秋山哲雄氏は『都市鎌倉の中世史』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー)で鎌倉に寺院が多い理由を考察しているが、そこで「鎮魂の寺院」について述べている。 円覚寺は「蒙古襲来」で戦死した全ての人々(日・高麗・元・旧南宋など)を、敵味方関係なく鎮魂するために北条時宗が建立した寺院である。永福寺は源平合戦や奥州合戦で戦死した全ての人々(源氏はもとより平家や源義経・藤原泰衡も)を、敵味方関係なく鎮魂するために源頼朝が建立したものであった。宝戒寺は鎌倉で滅亡した得宗家の人々を鎮魂するために後醍醐天皇が建立した寺院である。 秋山氏は次のように指摘する。「鎌倉時代から戦死者の供養は敵味方の区別なく行われていることに現代人は注目しなければなるまい。現代にお

    鎮魂の寺院 - 我が九条
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/08/15
    「鎌倉時代から戦死者の供養は敵味方の区別なく行われていることに現代人は注目しなければなるまい」←憶えておきたい。
  • 笹川良一とその後 - Living, Loving, Thinking, Again

    Karoline Postel-Vinay & Mark Selden “History on Trial: French Nippon Foundation Sues Scholar for Libel to Protect the Honor of Sasakawa Ryōichi” Asia-Pacific Journal: Japan Focus 17-4-10, April 26 2010 http://www.japanfocus.org/-Karoline-Postel_Vinay/3349 このテクストが書かれた背景を説明すると、2009年3月に日財団系のFondation Franco-Japonaise, dite Sasakawa (FFJDS)が上のテクストの著者のひとりであるCentre d’Etudes et de Recherches Internation

    笹川良一とその後 - Living, Loving, Thinking, Again
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/07/02
    「このテクストを読んでわかるのは、著者たちが(中略)「笹川ネットワーク」を日本的歴史修正主義の国際的〈大本営〉と見なしているということである」
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