シェイクスピアリアンでジェダイです。シェイクスピア、英文学、フェミニスト批評、ウィキペディア、映画、演劇などについての質問を歓迎します。人生相談は受け付けません。
![想像力が貧しくて困っています。 可もなく不可もない口当たりのいいアイデアしか思い浮かばず、斬新なアイデアを思いつくことができません。 どうすればいいでしょうか。 …と、突然返答に困る質問で大変恐れ入りますが、日ごろ色々な評論や映画を鑑賞して(これまたカテゴリーが全く異なるため、反応に困ることは自覚しております…すみません。ちなみにseabouさんのブログも入ります)、自分の観察眼がいかに凡庸か、イヤになってしまいます。 優れた作り手の方の背後にある、「バサっと切りながらズバリと言い当てる」的な洞察力はどう](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fdbc46145a605f837eae799f27c28e59587dfd32/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcasts.ask.fm%2Fassets%2FnoAvatar-2325eb51f8abe4e4678a25b16cb32a5399e84d9e82b5bc7efcc0b623c2aa12ec.png)
タイトルはもっとシンプルに「あずまんの」でよかったかもしれません。 prettycure 2013/05/14 00:54 しかし、ポストモダンからどうしてそういう帰結になるのか、というのがよく分からないところで、東さんの理論と東さんの批評との差を本人側も読者側もどうやって埋めてるのかというのが…… (http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130513/p1#c1368460496) 上記コメントをうけて。結論から言うともはや「ポモ」なんて関係なくなってますね。 これは一見したところポモっぽいように見えますが、「専門家でもないしよくわからん」というのは別にポモ関係ないですからね。で、「これは調べれば調べるほど込み入っている問題」なんてえらそうに評してますが、こいつは「調べれば調べるほど」どころか基礎文献すら読んだことがないですよ。「慰安所」制度を日本軍および日本政府
RuneFest, a convention run by the creators of RuneScape, is supposed to be an annual celebration of the fantasy MMO that came out in 2001 and has stayed improbably relevant in 2018 due to updates, iterations, and an active streaming community. This year, some attendees raised concerns about one streamer in particular,…
紙屋研究所の紙屋氏が東浩紀の「一般意志2.0」をdisっているのだけれど、何か本質を外している気がします。 ■架空インタビュー2.0 『一般意志2.0』ふたたび http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 特に違和感をもったのが、「差異の総和」について書いている部分。 ――「差異の和」のくだりですね。 そうです。岩波文庫の桑原・前川訳の方で紹介します。 これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。(岩波版p.47) この最後の部分「相違の総和として、一般意志がのこることになる」は、フランス語の原文では「reste pour somme des différences la volonté générale.」となるので、東訳よりも桑原・前川訳の方がいいと思いますね。 こ
既視感 古市憲寿さんの『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社、2011年)という本を読んだ。先月末のテレビ朝日「朝まで生テレビ」でのお題になる程度には話題になった本だ。 著者は1985年生まれの26歳(刊行時)。この若さですでに『希望難民ご一行様:ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書、2010年)とあわせて2冊目の単著。著者自身が「若者」世代だという位置づけも加わって、マスコミの話題にはなりやすく、またそれゆえにずいぶんと毀誉褒貶も激しい。大人気ない罵倒や感情的な表現に流れた反発・批判も寄せられたようである。そのなかには著者の肩書が「社会学者」となっていることに向けられたものもあった(どうでもよい)。 私はというと、率直に言って、面白かった。「若者論」の体裁をとった現代日本社会論である(現代日本の「一億総若者化」というのも本書の主張するところである)。読み始めてから一気に読了まで
2月のエントリ「約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論」は、本編があのような結末をむかえたこともあって、大きな反響を呼んだ。もちろん、あのエントリは予測でも願望でもなく、魔法少女の理念をただ著しただけにすぎない。しかし、内心の予想以上にあのエントリとぴったりくる結末だったのをみて、本人が一番驚いているとともに、ベンヤミンと『まどか☆マギカ』の相性はよいということを、ますます確信するに至った。 ところで、人気番組終了の常なのだが、最終回以後、様々な感想がネット上に飛び交っている。満足した者、満足してない者、それぞれいるだろう。あの結末は納得がいかない、という人がいるのはあたりまえのことである。ひとにはそれぞれ価値基準があるのだから。しかし、あのわかりやすい最終回を見て、なお見当違いな解釈をおこなっている人びとも多く見られる。それはたぶんにドグマ的であり、「誰かが幸福になるには誰か
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■東浩紀と宇野常寛とスネオ主義の臨界点 http://d.hatena.ne.jp/tomatotaro/20110416/1302962668 あずまんと宇野は既に燃料棒の99%が損傷したとの噂。 まあid:Cunliffe先生のいうとおり、「ポモ村の中でなら好きなだけやってろ」という話であるのだが、いちおう、松平さんがやっている『新文学03』という同人誌に書いた『ゼロ想』批判を抜粋しておく。 宇野は「物語」の内容の優劣や正しさを考えるのは意味がない、という。さらに南京大虐殺があったかなかったか好きなほうを信じればよい、と歴史修正主義まで容認する。これは、いかにポストモダン的相対主義者といえど言わなかったことである。日本には何人か見受けられるが、それは恐らくガラパゴス的な進化の賜物なのだろう。ともあれ、宇野がそう主張する根拠は当然「大きな物語」が崩壊し、それ自体完結した「小さな物語」を比
いま、福島で荒れ狂っている原発をみていて、今年、生誕100年をむかえる、花森安治のこの文章を思い出した。 もうけてなにがわるい、という、そのとおりだ。 他人の不幸を踏み台にして肥ったりせず、 人間の弱点につけこんで売り上げをのばしたりもせず、 ぼくらの暮しに役立つ いい品だけを作ったり、 売ったりしているかぎり、もうけてわるいはずがない。 そんなふうに考えて、仕事をしている会社や人間だったら、 大いにもうかるのが、ほんとうなのだ しかし、いま、そんな会社や人間が、 どれだけあるというのか。 ひとの暮しに役に立たなくても、 人の暮しをダメにすることがわかっていても、 売れさえしたら それでいい、 売れるためなら、どんなことでもする、 そんな会社や人間ばかりだ。 そんな会社や、そんな会社の後押しをした政府が、 いま、日本の繁栄をつくりあげてやったのは、 じぶんたちだ、と胸を張っているのだ。 そ
『魔法少女まどか☆マギカ』の設定と評を見ていて思い出した、他に類を見ない魔法少女作品がある。 ____ / \ / ─ ─\ / (●) (●) \ | (__人__) | 挫折した先輩、巴マミ・・・ / ∩ノ ⊃ / ( \ / _ノ | | .\ “ /__| | . \ /___ / ____ / \ / \ ,_\ / (●)゛ (●) \ | ∪ (__人__) | そして新キャラクターは佐倉杏子・・・ / ∩ノ ⊃ / ( \ / _ノ | | .\ “ /__| | \ /___ / ____ / \ / \ / \ | \ ,_ | / ∩ノ ⊃―)/ 佐倉・・・マミ・・・ ( \
「藤子・F・不二雄」追悼 『藤子・F・不二雄 SF全短編』第一~三巻(中央公論社)によせて ▼加藤 秀一 【はしがき】 本稿は、岩波書店から発行されている雑誌『へるめす』に掲載されたものである。いま手元に掲載誌がないため、何年の何月号だったかを記すことはできないのだが、発行されてからすでに半年は経っているはずである(1997年10月18日現在)。私としては、このまま消えていくにまかせるにはしのびない文章なので、ここにアップすることにした。近い将来、本稿で示唆したような考えを、よりまとまったかたちで展開する準備を進めている。 ジョン・レノンが狂人に殺されたとき、オノ・ヨーコが日本の新聞の一面全部を買い取って発信したステートメントのなかに、ジョンの死について書くことで日銭を稼ぐ人々を責めはしない、という趣旨の一節があった。それを読んだときの穏やかな感動に忠実であろうとすれば、つい最近亡くなった
今、魔法少女―変身ヒロインとしての―概念は危機に晒されている。『魔法少女まどか☆マギカ』に群がるキモヲタとサブカル評論家たちは、魔法少女概念を蹂躙し、ずたずたに引き裂こうとしているのだ。それが最終回を迎える4月ごろには既に、この王国には荒れ果てた大地しか残されていないだろう。われわれは簒奪者たちの手から魔法少女概念を救出しなければならない。それも、正しい魔法少女概念を、である。そのためには、『まどか☆マギカ』の正しい批評が必要なのである。それは、政治的な批評でなければいけない。実証主義の良心は認めなければいけない。だが、啓蒙的な実証主義は、悪意に満ちた大衆の前では無力である。かといってわたしは、大衆向きにアレンジされた世俗的な神話体系のひとつであるところの、魔法少女概念の「偽史」を構築しようと欲するものでもない。それは自己欺瞞であり、批評のための批評にすぎない。重要なのは理念であり、理念に
今日のティム・ガンのファッションチェック(NHK教育の『スタイルアップ』という番組です)は、ミュージシャンのエライザ。彼女は34歳で夫もいるけれど、まるでティーンエイジャーの頃のような安っぽいロックスタイルから抜け出せず、年齢にも場にも合わない服しか持っていない。いつもならこのファッションチェックでは最初にクローゼットをチェックして、とても気に入ってる服を一度没収するのに、今回は持っている服が全部ひどすぎるということですべて没収。彼女が気に入っている帽子も全部没収され、本当にクローゼットはからっぽになってしまった。 エライザは言う。「自分が裸になったみたいです」。自分なりにファッションセンスには自信があった、それを全部否定され、いちから服選びをやり直さなきゃいけない、そのことがとても不安だったと。 まず、ノーブラ上等! の彼女にきちんとしたブラを探しに撮影隊はランジェリーショップに行く。ブ
今月気になる作品 ● シルビアのいる街で (必見・必聴!『ぴあ』と『キネマ旬報』にコメントを書いた)。 ● ヒックとドラゴン (←リンク参照)。 ● セラフィーヌの庭 (←リンク参照)。 ● 瞳の奥の秘密 (ドラマ自体には政治を出さずに、知っている者には1974年前後の状況――チリの軍事クーデターがアルゼンチンに飛び火し、多くの拉致者や死者が出る――のミクロな面を描いていることを直感させる力作)。 ● ヤギと男と男と壁と (←リンク参照)。 ● ベスト・キッド (←リンク参照)。 ● ようこそ、アムステルダム国立美術館へ (←リンク参照)。 ● 小さな村の小さなダンサー (←リンク参照)。 ● ペルシャ猫を誰も知らない (←リンク参照)。 2010-08-19_2 ●隠された日記 (Mères et filles/Hidden Diary/2009/Julie Lopes-Curval)(
宗方姉妹 [DVD] 山村聡Amazon 小津安二郎監督、1950年の作品。 古風な姉(田中絹代)とモダンな妹(高峰秀子)を中心に、失業中で不貞腐れている姉の夫(山村聰)、姉に想いを寄せる優しいがやや優柔不断な元恋人(上原謙)、その彼に想いを寄せるリッチで勝ち気な未亡人(高杉早苗)、姉妹を見守る癌で余命幾ばくもない父(笠智衆)などの人間関係が、戦後間もない東京、神戸、京都、奈良などを舞台に描かれる。 旧い世代と新しい世代の考え方や感覚のずれ、そこに見られる変わっていくものと変わらないものの姿を、しばしば親子の関係で描いている小津安二郎だが、ここではそれが歳の離れた姉(今の感覚だと老けて見えるが、多分30そこそこくらいの設定)と妹(20代前半〜半ば)の対比に表現されている。 いつも着物姿で登場し、どことなく"戦前の日本の女"風な面長の少し寂しげな顔立ちで芯の強い姉役、田中絹代(当時41歳)。
わたしの そふは 「にほん いぞくかい(日本遺族会)」の かいいんでした。 かれは、へいたい として いった ちゅうごくで どんな けいけんを したのか。また、かれ じしんが なにを したのか。わたしたち まごに かたる ことは ほとんど ありませんでした。 ただ、かおに てっぽうの たまに よる きずあとが ありましたから、じゅうげきせんを けいけん した ことは たしかでしょう。 かれは ちゅうごくの ひとに むかって てっぽうを うったのだろうか? かれは ひとを ころしたり ぼうこう したり したのでは ないだろうか? そふは そういった ことを かたらなかったのですが、きずを おいながらも いきて かえって きたのは じじつです。 そして、かれが いきて かえって こなかったなら、わたしが ここに そんざい して いる ことも なかったでしょう。 そふは ちゅうごくでの じじつを
大杉文庫http://www.geocities.jp/sartla/oosugi/index.htmlを少し更新し、新しいファイルを追加しました。「政府の道具ども」「正気の狂人」「創造的進化──アンリ・ベルグソン論──」です。 「正気の狂人」と「創造的進化」も非常に興味ぶかいのですが、これについてはまた紹介します。 とりあえず今回は、1922年に書かれた「政府の道具ども」を紹介します。まあこの構図はいまもぜんぜんかわってないんじゃないかと思います。 政府の道具ども 大杉栄 今、政府の過激思想取締法案に対して、だいぶあちこちに反対の声があがっている。しかしそれは、はたしてほんとうに反対なのだろうか。試みにその反対の声なるものを聞いてみる。 無政府主義や、共産主義や、その他の朝憲を紊乱(びんらん)するような思想の宜伝を許せとは言わない。その宣伝や実行に対して厳罰を加えなければならんことはもち
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