歴史修正主義者の多くが(排外主義的)ナショナリストであることは事実だが、歴史修正主義者をして日本軍の戦争犯罪を否認せしめている決定的な動機はナショナリズムではなく、上記ツイートに現れているような「権利を主張する“弱者”」への憎悪だろう。なにしろ自国の戦争被害者に対しても冷淡なのだから。 そして「権利を主張する“弱者”」への憎悪という点で、上記2ツイートは当然これともつながってくる。
スペイン語メディア担当のSです。気になっている舞台があります。南米チリのシンガーソングライター、ビクトル・ハラを題材にした『FROM/TO 9.スペイン語メディア担当のSです。気になっている舞台があります。南米チリのシンガーソングライター、ビクトル・ハラを題材にした『FROM/TO 9.11』という舞台です。気になっている理由は、1月9日発売のクーリエに、チリの記事を書き、ちょうどそのなかで私もハラに触れたからです。 ハラは、60年代から70年代にかけて活躍したチリの国民的歌手でした。けれども1973年9月11、米CIAの支援を受けたチリの軍部がクーデターを起こし、世界初の選挙によって選ばれた社会主義政権を倒す。その直後に、ハラは多くの左派の人々とともに連行され、ある室内競技場に収容されます。そこでハラは仲間を励まそうと、歌を歌うが、軍人にその場で殺害されます。享年40歳でした。 クーリエ
3月11日の夜、菅直人首相は大震災の発生後、初めての首相会見を開いた。わたしはそれをテレビで見ていたのだが、強烈な違和感をもったことを覚えている。会見の内容自体は、震災直後に首相が発するコメントとしては無難なものだったと思う。問題は、その呼びかけ対象である。かれは、終始「国民」ということばを使っていた。「住民」でも「市民」でも、いろいろ選びようがあったはずなのに、である。少なくとも、東北地方に一人の外国人もいないなんてことはありえない。ぼくはそのうち外国人へのフォローがあるのだろうと見ていたのだが、結局最後までかれは、「国民」に呼びかけるのみで、それ以外のことばは一度も用いられなかった。 菅首相のコメントに呼応するかのように、次の日からあらゆるマスメディアでは「国民」あるいは「日本」の文字がおどった。東北地方で起きた大震災および津波の被害は、何の留保もなく「(日本)国民の危機」と同一視され
6月5日の大阪のサウンドデモ、主催者、参加者のみなさん、お疲れさまでした。 以下のサイトにも映像がアップされてるようですが、一応感想めいたものを書いておくことにします。 http://osaka-antinukes.tumblr.com/ のっけからなんだけど、率直に言って、一番強い印象は、警察のひどい警備。 不当逮捕のあった5月7日の東京のデモの様子を詳しく聞いてたので、この日のサウンドデモ(以前からサウンドデモは警察の目の敵にされてるらしいので)は一応予測はしてたんだけど、それにしても嫌がらせとしか思えない警備の仕方だった。 三つに分けられた隊列の間を出来るだけ離そうとしたり(百メートルぐらい離されて前の隊が見えなくなることもあった)、そうかと思うと各隊列が延びすぎないように、隙間を作らないように強制的に急がせたり、両側から挟みこんでプレッシャーをかけたり、まあやりたい放題やられた感じ
最近、こういう物言いが一段と増えてきて目に余るので、一言言っておかないわけにいかない。 東日本大震災:福島第1原発事故 崩壊した「ゼロリスク社会」神話=中川恵一 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110525dde018040043000c.html ただし、喫煙や飲酒などは(リスクと知らない場合も多いかもしれないが)、“自ら選択する”リスクといえる。一方、原発事故に伴う放射線被ばくは、自分の意志とは関係ない“降ってわいた”リスク。放射線被ばくは自分では避けられないという意味で、受動喫煙に近いタイプのリスクといえるだろう。 今回の原発事故によってあからさまになった、原発という存在そのものが体現している悪の本質は何かというと、それは権力の問題であり、差別や搾取によって成り立っている我々の社会と生活、ということである。 社会の中で弱い立場
拙著『俺俺』の中で、【以下、ネタバレあり】「俺」化しない人たちが出てくる。「外国人」である。曖昧に「外国人」としか書いていないので、「外国籍」なのか、「外国育ち」なのか、「外国籍の親を持つ」なのか、わからない。要するに、日本社会の中で「異質」と見なされるがゆえに、「俺」社会からハズレることを恐れて「俺」化していく、という過程からも自由である立場の人たちである。もちろん、「外国人」でない人でも、そのような人はたくさんいる。が、小説では、あえて「外国人」に限った。なぜなら、視点人物が「俺」だからだ。「俺」には、そのような立場の人間が「外国人」として見える、というわけだ。 『俺俺』を読んでくださった方で、自分は「外国人」の側にシンパシーを感じる、という感想もいくつかあった。じつは、これまで私は基本的に、『俺俺』で言う「外国人」の側から小説を書こうとしてきた。かくかくしかじかのマイナーな存在は、現
『祇園囃子』(溝口健二監督、1953) 祇園囃子 [DVD] 出版社/メーカー: Cosmo Contents発売日: 2007/08/20メディア: DVD クリック: 37回この商品を含むブログ (15件) を見る <あらすじ> 置屋に所属せず一人で商売を営む芸妓、美代春は、没落した昔の馴染み客の娘、栄子に頼って来られ、「芸妓になりたい」という彼女の願いを聞き入れて祇園を仕切る女将のお君に借金の相談に行く。修行を重ね「美代栄」としてお披露目となった席で栄子は、車両会社の御曹司で専務の楠田に見初められ、同時に美代春も、そこで接待を受けていた役人の神崎に一目惚れされる。 神崎に取り入って大きな仕事の受注を受けたい楠田の部下の佐伯は、美代春が神崎と寝るように計らってくれと女将のお君に頼む。お君の説得に美代春はなかなか良い返事をしない。 進展しない事態に焦れた楠田は東京見物を仕組み、強引に美代
以前にも書いたことがあると思うが、テレビ時代劇の『鬼平犯科帳』シリーズが好きである。 今でも時々新作が放映されたり映画になったりするし、毎週、20年ほど前に放映されたものを再放送してるのを、よく見ている。 このシリーズの特徴のひとつは、蟹江敬三や梶芽衣子、それに先代の江戸家猫八などが演じる「密偵」たちの存在感だ。 彼らは、元盗賊だったが、「鬼平」(中村吉右衛門)に捕まったり関わりを持ち、その人柄に感化されて、今ではその手下となって働いているのである。 いわゆる「お上の犬」と呼ばれる立場になり、かつての仲間たちを裏切るようなことをする仕事である。 無論最終的には、元の仲間たちを裏切って「お役目」を果たすのだが、そこに至るまでに毎回いくらかの逡巡や苦悶が描かれる。ここにこのシリーズの、魅力のひとつがある。 それに関して特に興味深いのは、その際に、結局彼らがそうした最後の決断をする決め手になるの
『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』の全体は3部に分かれている。 第1部「主権の論理」は、これまで述べたとおりの「例外状態について決定する者」としての主権者の論理をさまざまにあとづけている。暴力と正義の関連、主権権力に先行して前提される構成権力(憲法制定権力)の逆説、「意味なく効力をもつ法」の問題(フランツ・カフカ「法の前」における法の形象をめぐって)などが論じられている。 たとえば、構成権力 (potere costituente)。構成 (costituzione)とは、ヨーロッパ諸語では、憲法のことでもある。構成権力とは、憲法によって構成される諸権力ではなく、それに先行して憲法を制定する源泉のことである。この権力は、自らを他の権力から例外化することによって憲法を可能にする以上、主権権力(自らだけに自然状態を保存して他を統治するリヴァイアサンの権力)へと回収される危険を常にもっ
足利事件の再審公判で菅家利和さんに対する「推定有罪」がどう「事実を明らかにする場」を歪めていったのか、が問われている真っ最中にもかかわらず、小沢民主党幹事長に対して「有罪」が前提となっているのはなぜなのか? 「何で僕の目を見て言わないの」菅家さん取り調べテープ(asahi.com) http://www.asahi.com/national/update/0122/TKY201001220210.html 栃木県足利市で1990年に当時4歳の女児が殺害された「足利事件」の再審第5回公判が22日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)であり、午前中は菅家利和さん(63)に対する当時の取り調べの録音テープが再生された。テープの主な内容は次の通り。 【1992年12月8日分】 森川大司検事「今、起訴している(足利)事件ね。あれは君がやったことに間違いないんじゃないのかな」 菅家利和さん「違います」 検事「
下記の件について、今ここで書いておきたいことは一点だけ。 メールからの転載文の後に、それを書き加える。 (MLより転載) 皆様 私は朝鮮第一初級学校に二人の子どもを通わせている 保護者の金と申します。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが 先日4日に名前を言うのも忌まわしいようなレイシスト(人種差別)団体(注:在日特権を許さない会)が 京都朝鮮第一初級学校のすぐ前で騒乱を起こしました。 http://corea-k.net/date/000.wmv 今まで生きてきてこんな腹立たしく悔しい思いをしたことがありません。 学校の前で子どもたちに聞こえるように “スパイの子どもたち!”“朝鮮学校を日本からたたきだせ!”などと 人として信じられない暴言を拡声器の爆音をもって騒ぎ立てました。 子どもたちはおびえて、中には涙を流すこどもたちもいたそうです。 私が悔しい、腹立たしいと思ったのは、何もその団
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