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生に関するyomimonoyaのブックマーク (10)

  • 無題 - blog.922(移転しました )

    20歳の頃、アダルトビデオを人生で一度も見たことがないという男の人と親しくなった。彼は自分が痴漢に遭った話を静かに語ってくれた。自分の性自認がよくわからないようなことも言っていた。おれ、女々しいらしい、とよく笑った。恋人とのコミュニケーションとしての性接触に限定すれば賛成だが、それ以外はどうしても受け付けられないようだった。ハグは好きだが、性器接触も興味がないと言っていた。 19歳の冬にバイト先の店長から性暴力に遭い、必死で逃げ帰った後、身体に付着した精液をシャワーで一生懸命流した。20歳の冬には最寄駅のエスカレータで同じ歳くらいの男性にスカートの中を盗撮された。どちらも被害届の甲斐なしで犯人には逃げられてしまった。涙をぬぐって、マフラーを巻き直して警察署を出た。ひとりに耐え切れず、その彼に電話をかけた。私が理由を語れずとも、いつもの寝巻姿で招き入れてくれた。一緒に大根を切って、グツグツと

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  • ぬかるみの兵士たち

    Nazi's Concentration Camp Song | Johann Esser / Wolfgang Langhoff / Rudi Goguel 竹田賢一(vocal, 大正琴)、小山哲人(bass)、石渡明廣(guitar)、久下恵生(drums)、工藤冬里(piano, organ)、John Duncan (whispering) ハンス・アイスラーに、「私は、この歌こそ国際労働者階級の運動の中で最も美しい革命歌だと思う」といわしめた「ディー・モールゾルダーテン」は、1933年8月、北ドイツのパーペンブルク強制収容所の中で生まれた。このナチスの収容所の周囲は、ベルガーモールという泥炭の沼地が広がっている。共産主義者、社会主義者、無党派の労働者5000人からなる囚人たちは、2時間歩かされて現場へ行く。排水溝を掘る労働を強いられていたのだ。もちろん、衣類、事、労働条件など

    yomimonoya
    yomimonoya 2013/02/19
    「これらの歌の持った意味は何なのか? そしてぼくたちにあてがわれる歌の意味は?」
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 他者・死者たちの近代 - kanjinaiのブログ

    他者・死者たちの近代 (近代日の思想・再考3) 作者: 末木文美士出版社/メーカー: トランスビュー発売日: 2010/10/02メディア: 単行 クリック: 90回この商品を含むブログ (10件) を見る 末木文美士の新刊。なかでも死者とともに生きるリアリティについての議論は刺激的である。「死者と共に闘う―上原専禄」と題された章は読み応えあり。死者はどこかへ消えていって、この世には追憶のみが残るのではない。むしろ残された私と死者とがこの世界で共闘する、ということすらあり得る。よく死者が死後に審判にさらされると言われるが、実はそうではなくて、死んだ人たち、殺された人たちはことごとく審判の席に座って生者を裁く主体となっているのではないか。というような次元のことが、1973年の上原の仏教的死者論において展開されているとのことだ。死者とともに生きるということのリアリティから何を学べるのか、と

    他者・死者たちの近代 - kanjinaiのブログ
  • 劇団タルオルムの公演を見て - Arisanのノート

    さる6月19日、東大阪朝鮮初級学校で行われた劇団タルオルムの公演、『金銀花永夜−クムンファヨンヤ−』を鑑賞してきた。 http://hamoblo.com/talorum/ この劇は、ある朝鮮学校の校長を勤める女性を主人公にしたものである。 彼女には、朝鮮学校が日に作られ、また激しく弾圧された時代の記憶が鮮明に残っている。劇の始まりでは、暗転すると何の前触れもなく、客席とまったくフラットな舞台の上で弾圧当時の回想シーンが演じられ、観客は一気に緊張感に包まれる。「我々は朝鮮学校の存在を許さない」というスピーカーの声が響き、異様な服装の男たちが室内に乱入して人びとに暴行を働こうとしているその禍々しい回想には、どこか現在の状況が二重写しにされているようでもある。 朝鮮学校を取り巻く苦しい状況のなかで、子どもたちだけでなく、教師たちの数も減り、この年配の教師の負担も多大なものになっているのだが、

    劇団タルオルムの公演を見て - Arisanのノート
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/07/16
    「つまり問題なのは、誰にも、当たり前に生きていくための確かな拠り所が、提供されなければならない、ということである。在日朝鮮人は、日本の社会のなかで、ずっとそういうものを奪われてきた人たちだった」
  • 2010-04-30

    3月下旬、日に。一周忌を執り行う。森閑としたお堂の中で、若い禅僧たちが低音で朗々と経を斉唱し、ぐるぐると回りながら法要を行うのを眺めていて、楽しみの少なかった昔の人にとって、強烈な体験だったのだろうな、と思う。キリスト教会が一種のエンターテインメントであったのと似ているのかもしれない。お墓には友人たちが供えてくれた花がたくさんあって、なによりの供養だと思った。 日ではちょうど桜の時期。花見をしているうちに泣いてしまった。 4月に入ってから、無珍先生が歩き始めた。最初は数歩だったが、日々歩数を伸ばしてあれよあれよというまに、歩けるように。月ぎめで借りている公共駐車場から家まで50メートルほどの距離もなんとか歩いてこれるようになった。今では転げるように(実際こけつまろびつであるが)家の中を走り回っている。歩き始めると共に我も強くなっているようで、自分の意志が通らないとすぐにゴネる。床に転が

    2010-04-30
  • 武道

    yomimonoya
    yomimonoya 2010/04/29
    「技術としての武術はあらゆる技芸に共通してやはり動きの熟練による技術の(異質化)を目指したものであった」
  • Moji Pest Control

    When you hear the word sunroom many different pictures come into your head.  First and foremost is how much will it cost?  For those interested in these types of additions, price shouldn’t be a factor.  You need to look at this as an investment in your home and you will get the monetary value back out if and when you sell your home. This is why sunroom additions in Columbia, SC are so popular.  Pe

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

    yomimonoya
    yomimonoya 2010/02/07
    「人は向上しながら、滅びる。その滅びをいかにして飲み込み、人生の物語に昇華させていけるか」確かに。しかし米国タイプの宗教社会はごめんこうむりたいなぁ……。
  • まなざされる私 - Arisanのノート

    「対他存在」を論じた『存在と無』の第三部(ちくま学芸文庫版 巻2)のなかで、サルトルは「対象‐他者」と「主観‐他者」の二つを区分して、次のように書いている。 私はただちに、「まなざしを向けられている」ことを、確信をもって体験するが、しかしそれにしても、私はこの確信を、「対象‐他者」についての私の体験の内に、移行させることはできない。事実、この確信が私にあらわにしてくれるのは、「主観‐他者」、すなわち世界への超越的な現前であるとともに私の「対象‐存在」の現実的な条件であるような「主観‐他者」でしかない。それゆえ、いかなる場合にも、「主観‐他者」についての私の確信を、この確信のきっかけとなった「対象‐他者」のうえに移すことは、不可能である。(p152) この「対象‐他者」というのは、日常の世界のなかで私によって対象として見出される他者の存在のことだが、一方、「主観‐他者」とは、「まなざしを向け

    まなざされる私 - Arisanのノート
    yomimonoya
    yomimonoya 2009/11/06
    まなざし、まなざされる「私」。
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