ハム好きな皆様、ご視聴ありがとうございます。 今回は、雪見だいふくの入れ物にのせてみました。 ぴったりはまって、ぽちょこも居心地良さそうです。 ※容器はきれいに洗っております。中身はスタッフがおいしくいただきました。
![大福ぽちょこの冒険記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1ad0c779db883d85d37e6304a2e555efce402fb6/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fi.ytimg.com%2Fvi%2FSlaS3jLELAw%2Fhqdefault.jpg)
ちょっと前回書いたことに関連する話。 何度か書いたが、テレビ時代劇の『鬼平犯科帳』が好きで、再放送を毎週のように見ている。 今週の放送は「隠し子」という題で、主人公の長谷川平蔵の父親に、じつは隠し子が居たことが明らかになる。 この平蔵というのは、身分のある武家のせがれなのだが、前妻の子どもということで、後妻にたいへん苛められて育った、という設定になっている。そのためか、若い頃は放蕩三昧の日々を送った。長じて更正し、今では「火付盗賊改方」という治安組織の要職にある、というわけである。 この平蔵の父親に、隠し子が居た。それは平蔵の妹にあたる人で、場末で飲み屋を一人で切り盛りしている。 この役を美保純が演じていた。 ぼくは昔から好きな女優・タレントさんなのだが、この若い頃の演技(20年ぐらい前のはずである)を見ていて、正直、こんなに下手だったかと驚いた。 はまり役なんだけどなあ。 まあそれはいい
はじめに結論から書いておこう。「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。国家というのは、征服によるものであれ、共和主義的な統合によるものであれ、その集団がある領域内を実効支配した時点で、定義上、その領域内には少なくとも国家に匹敵しうるような暴力を行使可能な集団は存在していないはずである。だが、国家はなお支配のために「暴力を独占」する。それは、自前の暴力組織にのみ正統性を与えることによってであって、そうやって正統性を与えられた暴力組織を「軍隊」や「警察」と呼ぶ。ウェーバーによればその正統性の源泉は、近代国家においては「合法性」である。その正統性(=合法性)に基づいてはじめて、政府は国家内の自律的な暴力集団を規制したり弾圧することができるのである。 軍隊や警察は、人を殺しうる力を持っている。たとえ侵略軍から「国家を防衛」するためであ
一日経って、新聞その他も徐々に「暴力装置」が官房長官オリジナルのタームでないことは無視できなくなってきたようですが、いろいろと悪あがきをしている人もいます。 その一例として「自衛官の感情」を云々する人々がいますが、例えば「教育は国家のイデオロギー装置」と言われて腹を立てるような教師は100%ろくな教師ではないのであって、どうやって辞めてもらうかを早速検討すべきです。警察が「暴力装置」であるという自覚のない警察官は例えば任意取調べの参考人に対して「警察をなめとったらあかんぞ。殴るぞ」「一生を台無しにするぞ」「家族までいったる」などと口走ってしまうわけです。その意味で、今回の件は自衛隊および国民にとって格好の教材にできたはずです。間違っても「自衛隊は暴力装置なんだからご機嫌とらなきゃねウフ」なんてことを考えるのではなく。
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