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2011年7月1日のブックマーク (6件)

  • 被災地で支援を続けるイスラム教徒たち : 歩きながら思うこと。

    コメント一覧 (11) 1. A.N. 2012年02月25日 18:22 マンシャアッラー。アッラーから祝福がありますように。 2. 名無しの権兵衛 2014年07月02日 21:25 イスラム教徒の皆さん、東日大震災の際、助けていただきありがとうございます 3. まさき 2015年02月09日 04:18 当に ありがとうございます‼‼(^o^)v 日は あなた達を 忘れないです。 4. けんじ 2015年02月10日 22:51 首切る民族、信用できない 5. けんじ2 2015年02月10日 23:16 首切る宗教、信用できない 6. はじめ 2015年02月11日 07:10 日人こそ昔から首を落としてた民族だ!! 晒し首なんて、そこらに、飾ってた!! 信用出来ないなら、日から去れ!!! 7. 匿名希望 2015年02月13日 12:42 信じなくても良いけど、けんじさ

    被災地で支援を続けるイスラム教徒たち : 歩きながら思うこと。
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/07/01
    「この大震災は我々ムスリムにとってジハードです。ジハードというと聖戦、戦争という意味にとらえられがちですが、本来のジハードとは努力、困難な状況に立ち向かうという意味」←素直に頭が下がる。
  • 吉川三国志、新連載の予告記事 - 三国与太噺 season3

    1939年8月26日より中外商業新報などで連載を始めた吉川英治『三国志』ですが、それに先だって24日の夕刊に新連載の予告記事が出されていました。 作者が、新聞社が、この新連載をどのように考えていたかアピールしようとしていたか端的に窺えて、なかなか面白いです。戦前の大衆三国志観、大陸観が見え隠れしてるかなーって感じですね。 以下に全文を紹介します。太字はにゃもです。 長らく愛読を賜りました子母澤寛氏の「女夫系図」は好評裡に明日完結致しますので続いて、吉川英治氏の「三国志」を以て夕刊第一面を飾ることになりました。 呉、蜀、魏の三国鼎立に纏るこの大歴史小説「三国志」は、大衆文壇の第一人者吉川氏を得て新しい興味と感銘を盛ることと信じます。背景は今や皇軍活躍の天地、新東亜の建設と併せ考えて頂ければ興味は倍増することと思います。挿絵は南画壇の重鎮たる矢野橋村画伯にお願いしました。画伯の枯淡、雅到に富む

    吉川三国志、新連載の予告記事 - 三国与太噺 season3
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/07/01
    吉川英治は子どもの頃から嫌いだった。嫌いで良かったとこれ見て思った。
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「ご飯に毒が入っている」袴田さんは拘置所で精神をむしばまれた。3畳間の独居房、執行の恐怖…死刑が執行停止になるまで(前編)

    47NEWS(よんななニュース)
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/07/01
    地球のバチが当たらんければいいね(棒
  • 日本バプテスト連盟宣教研究所 - 宣研ニュースレター№81 2010.9.8

    宣研ニュースレター №81 2010.9.8 巻頭言 韓国強制併合100年、安保改定50年宣教研究所所長 濱野道雄  今年は韓国強制併合より100年です。既に連盟諸教会には、理事会声明「『韓国強制併合』100年の悔い改め」等が送られています。今号でも、これを宣教論の大切な事柄と受け止め、特集します。  教会は「和解の務」(Ⅱコリント5:18)を神から宣教として授かっています。「和解」とは、神と人、人と人の関係の回復でしょう。それを現代のグローバル化の文脈で考えるなら、誰かにしわ寄せ・犠牲を負わせて成立する「『平和』や社会」への批判と、「そうではない世界と個人の形成」が教会の宣教課題になるでしょう。  植民地主義とは、誰かに犠牲を負わせて社会を形成することです。ですから、今日の宣教論の課題はポストコロニアル(反植民地主義)神学に根ざすものになることでしょう。6月の連盟理事会時に開催された外登

  • asahi.com(朝日新聞社):「秩父事件像をゆがめる内容」TBSドラマに研究者ら抗議 - テレビ・ラジオ - 映画・音楽・芸能

    数千人の農民や自由党員が集結し、蜂起した椋神社=秩父市下吉田100周年を記念して建立された秩父事件記念像=秩父市下吉田の椋神社境内  TBSテレビが今年2月に放映したドラマ「菊池伝説殺人事件」をめぐり、秩父事件研究顕彰協議会(事務局・小鹿野町)の鈴木義治会長らが「秩父事件や人物を『火つけ強盗』のように、ゆがめて描いている」として、同局に抗議していることがわかった。同局は「あくまでもフィクション」との姿勢だ。  推理作家の内田康夫さんの同名小説をドラマ化した。背景として登場するのが秩父事件(1884年)や、長野県北相木村から参加した秩父困民党参謀長の菊池貫平(1847〜1914)だ。  1985年に設立の同協議会は、秩父事件の研究・顕彰や記念集会開催、出版活動などを続けている。会員は約200人。鈴木さんは「協議会だけではなく、多くの秩父事件研究者の研究を否定するドラマであり、見過ごせない」と

  • ともさんの「残しておきたい昔の姿」ー原爆スラム

    豊かになった日だが、残しておきたい記憶がある! <<<戦後の記憶・情報サイト>>> 当サイトでは、筆者が、時代と共に消えていった忘れてはいけない記憶を、筆者の記憶の元に、ネットの中より探し出して、昔の姿とその解説を、ご紹介しています。今では、見られなくなっている昔の姿を、お楽しみください。 第二次世界大戦後、多くの家を失くした人たちは、川べりへバラックのような家を建てて、雨露を凌いでいました。 日国中の大都市では、ほとんどの地域でみられた戦後のスラムですが、今では、面影を残しているものはなくなりました。 私が、高校生の頃には、私の故郷の広島でも、原爆スラムと言われている地域が残っており、日が貧しかった時代は、ほんの35年前くらいまで続いていたことに気付かされます。 下で示す赤線で囲まれた地域が、広島市で、最後まで残っていた原爆スラム地域です。町の真ん中に位置していることにびっくりされ