タグ

ブックマーク / thir.hatenadiary.org (3)

  • なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノート

    先日、栃木県にて、クレーン車が暴走し通学途中の小学生をはね死亡させてしまった事故があった。もちろん加害者を擁護することは出来ない。彼はてんかんを持っていた。そして以前にも「未遂」を起こし、かつ薬の服用を怠ったがためにこの事件は起きてしまった。報道の通り薬を飲み忘れたがゆえにこのような事故が起こってしまったのであれば、これは完全に彼の責任であると私は思う。しかし、多くの人がそれでも思うことは、「では、何故彼はクレーンに乗ることを選択したのか?」ということであろう。この事故に関連し、id:goldhead氏は、俺はたまたま子供を6人轢き殺していないだけ - 関内関外日記において、SASを患っているという観点から記事を書いていえる。その中で、次のような文章が目にとまった。 だから俺は、クレーン車で6人の子供を死なせてしまったやつのことを考えずにはいられない。彼が症状をおさえる薬を飲んでいなかった

    なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノート
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/04/23
    見えない障害にあまりにも冷淡な社会……エントリ内容は私も気になっていたことだった。/「薬を飲む」ことが自らを「欠陥あり」と印づけてしまう心理ーーは重要な指摘だと思う。
  • 「誰かが犠牲にならなければならない」ものは、システムとして欠陥がある - Thirのノート

    原発に関して、「誰か(具体的には復旧に当たっている東電社員や自衛隊員)が命や健康を犠牲になれば、原発自体は全く危険なものではない」という言説が散見できる。即ち「危機的な状況に陥っても、復旧作業を行えば何も地域全体が危険にさらされることはない、もちろんその復旧作業には危険が伴うが」と。 しかし、そのような、「緊急時には誰かが危険を伴う作業をしなくてはならない、あるいは命を犠牲にする覚悟を持たなくてはならない」ようなシステムは、そもそもシステムとして自己犠牲を内在化しており、その点においてこのシステムは全体として欠陥である。ゆえに、現時点において(あくまでも現時点において)原発というものが、いざというときにそのような犠牲を必要とするのであれば、そのようなものは消えてしまえばいい。 そして犠牲者は英雄となり、英雄となるという事実があることで犠牲は社会において再び要請される。映画「ハルマゲドン」で

    「誰かが犠牲にならなければならない」ものは、システムとして欠陥がある - Thirのノート
  • Twitterが怖いのはそこだけじゃないぜ - Thirのノート

    少なくとも私にはtwitterは弱者の味方とも、少数派の味方とも思えない。 http://d.hatena.ne.jp/what_a_dude/20100528/1275039006 Twitterに対する批判論が最近また活気づいていますが、僕がTwitterを怖いと思う理由もいくつかございまして。というのも、さんざん言われ続けているので改めて描く必要もないかと思ったのですが、技術面と環境面の両者から論じている記事があまりなかったので補足。 まず、現在のTwitterについてちょっとだけまとめ。Twitterは、いまや一つのネットサービスを超えて、ひとつの巨大なインフラとして我々の前に現前しているように思います。「卒業と同時にmixiに入って終わらない文化祭前夜を過ごす、それがmixiというツールだ」と僕は数年前に書きましたが、Twitterはもはや「終わらないコミュニケーションを楽しむた

    Twitterが怖いのはそこだけじゃないぜ - Thirのノート
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/05/29
    つまりは「スケルトン・タコ壺」である。
  • 1