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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (7)

  • @ProdigalSon_JPなる人物による韓西満と私とのやりとりに関するデマについて(下) | 私にも話させて

    3. 青瓢箪は「結局知人は謝罪したのですが、金はブログ記事を削除しませんでした。」と書いている。だが、上のやりとりから明らかなように、私は、韓にブログ記事の削除などそもそも約束していない。 しかも、謝罪すれば実名および関連個所を削除する、などという取引もしていない。韓のメールからも明らかなように、謝罪は韓が自発的に行なったものであり、そのことを韓は何度も強調している。また、私による韓の実名の削除も、「先ほど、当該記事の、貴殿の実名および関連個所は削除しましたが、これは、取引として応じたということではなく、これ以上のメールのやりとりがあまり生産的ではないと思ったからです。貴殿も、当該発言を削除しておいてください。」と書いているように、謝罪すれば実名および関連個所は削除するなどという約束なしに、韓の謝罪を受けて、私から自発的に行なったものである。 また、上の経過から明らかなように、大学時代の出

    @ProdigalSon_JPなる人物による韓西満と私とのやりとりに関するデマについて(下) | 私にも話させて
  • メモ20 | 私にも話させて

    岩波書店の公式ツイッターを見て驚いた。 http://twitter.com/#!/Iwanamishoten/status/115258775400755200 「1931年9月18日,柳条湖の鉄道爆破をきっかけに勃発した満州事変.国際連盟脱退,2.26事件などへ連なり,日中国との長期持久戦体制へと突入していきます.満蒙開拓団など中国に渡った人々が味わった数々の辛苦も忘れてはなりません.」 侵略の片棒を担いだ満蒙開拓団(その他の大多数の「中国に渡った人々」もそうである)の「辛苦」を「忘れてはなりません」とする一方、侵略を受けた中国の民衆の被った惨害には一片の言及もない。驚愕である。また、「勃発」や「長期持久戦体制へと突入」など、まるで他人事のような言葉遣いをしている。侵略戦争・加害責任といった認識がもう根的になくなっているのだろう。もちろんあれが侵略戦争かと聞かれれば「侵略戦争」と

    メモ20 | 私にも話させて
  • 「日の丸」論議について(1) | 私にも話させて

    このところ、日の丸・君が代訴訟で教員側の敗訴が相次いでいるが、いくつかの論評を見てつくづく思ったのは、強制反対の論理が「思想・良心の自由」論の論理にほぼ席巻されてしまった、ということである。これは、リベラル・左派系のマスコミだけではなくて、ウェブ上でよく見られるような、「思想・良心の自由」論とは一線を画しているつもりであるように見える反対論もそうである。後者は、例えば、「沖縄や在日の人々の歴史を考慮しない日の丸強制はおかしい」とか、「日には在日をはじめとした多くの外国人が住んでいる」とかそういったものであり、これらは確かに「思想・良心の自由」論に比べればマシではあるが、論理的には同型である。 私は5年以上前の「「思想・良心の自由」による反対論の陥穽」というブログ記事で、「東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書、

    「日の丸」論議について(1) | 私にも話させて
    yomimonoya
    yomimonoya 2011/07/22
    「靖国問題でもそうだが、日の丸・君が代問題は、大日本帝国との連続性の象徴として認識されない限り、議論としてはほぼ無意味である」←この点をどう考えているのか、を自らに問うことを。
  • 和田春樹について(1) | 私にも話させて

    1. 新刊の和田春樹『これだけは知っておきたい 日と朝鮮の100年史』(平凡社新書)を読んだ。突っ込みどころも多いが、なかなか勉強になった。ただ、こののテーマが多岐にわたるので、通して読むと、和田による問題の捉え方の特徴がよく見えてくるように思った。和田については、以前書いた「日は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」の7~10 である程度触れたが、今回は別の角度から見ることにする。 和田は、批判的研究者(多くは朝鮮人)による司馬遼太郎や戦後日の「平和主義」への批判について、その批判の正当性を認める。また、書で和田が提示している、日清戦争や日露戦争を「朝鮮戦争」と捉える視点も、姜徳相ら朝鮮人の歴史研究者がそれらを「日による朝鮮侵略戦争」と捉えているのに似ている。 和田は、そうした批判的研究に正面から反論するのではない。その正当性を認めた上で、ほとんど説得力のな

    和田春樹について(1) | 私にも話させて
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/12/26
    「和田は、批判にも留意するという姿勢を打ち出すことによって、批判と批判対象の理論的な接触(対決)を回避する」「批判の効果を無化すると同時に、批判対象の問題性を温存することになる」
  • イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて

    1. 最近、イスラエル/パレスチナ問題に関するブログ記事を読んで、強い違和感を覚える機会があった。発言者の方々は、<佐藤優現象>批判や岩波書店による私への嫌がらせ・弾圧に積極的に賛同して下さっている方がであるが、リベラル・左派批判が「内輪化」することを防ぐ意味から、率直に異論を出した方がいいと思うので、以下、述べることにする。また、これを機会に、イスラエル/パレスチナ問題に関する言説の最近の傾向について、思うところを述べておきたい。 2. ブログ「media debbugger」の吉沢樹氏が、最新記事で、「「STOP!!無印良品キャンペーン」への賛同と若干の疑問について」という一文を書いておられる。 http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-109.html 吉沢氏については、上で述べたように私は感謝しており、また、伊勢崎賢治やら竹内好やらを持て

    イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/08/16
    踏まえておきたい問題がいくつも提示されている。
  • 共和主義的レイシズム――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足② | 私にも話させて

    最近発表された、菊池恵介「植民地支配の歴史の再審――フランスの「過去の克服」の現在」(金富子・中野敏男編『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社、2008年6月)所収)は、フランスにおける植民地主義の問い直しに向けた動きとそれへのバックラッシュの相克を描いた、大変有益な論文であるが、『週刊朝日』の「いい加減にしろ!韓国人」の見出しについて考える上でも、重要な示唆を与えてくれる。 菊池は、現代フランスにおけるマイノリティー排除の論理を、「共和主義的レイシズム」として分析する、ピエール・テヴァニアンの見解を紹介している。菊池の文章を引用しよう(強調は引用者)。 「(注・テヴァニアンは)国民共同体の文化的マジョリティーの側が、「共和国」対「共同体主義」という虚構の二項対立を作り出し、フランス共和制の礎となる普遍的理念の名において、マイノリティーの排除を正当化しているというのである。

    共和主義的レイシズム――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足② | 私にも話させて
    yomimonoya
    yomimonoya 2010/05/12
    「共和主義的レイシズム」
  • 在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題 | 私にも話させて

    朝鮮総連の高校無償化排除への日での反対論を見るにつけて、それらに一定の敬意は払いながらも憂慮せざるを得ないのは、有力な反対論のほとんどが、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていない点である。反対論の主な論拠は、外国人の教育権の擁護、差別禁止といった、一般的な権利論であり、それら自体はもちろん重要な論点であるにしても、植民地主義の問題はほぼ全くといっていいほど触れられていない。日の任意の反対声明を、韓国の「真実と未来,国恥100年事業共同推進委員会声明」と比べてみれば、そのことは明らかであろう。 念のために言っておくが、私は、植民地主義の問題が触れられていないから駄目だ、と言っているのではない。私は、反対声明の表明等の行為については一定の敬意を払っているし、この問題を、外国人の一般的権利の侵害として捉えること自体は、もちろん間違っているわけではない。 だが、以下に述べるとおり

    在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題 | 私にも話させて
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