デジタルならではの「生みの苦しみ」 内沼:さきほどのケヴィン・ケリーの「本とは持続して展開される論点やナラティヴである」という定義(※Part 1を参照)は、ウィキペディアで定義されているような「本とは冊子である」というのとは別の話で、最初のほうで話題に出た「本とは生みの苦しみである」という話に似てる気がします。そもそも生むのが苦しくなかったら、論点とかナラティヴが持続しないと思うんですよ。 ――ただケヴィン・ケリーの言葉だと、紙の本かどうかという話は抜きになるんですよね。紙だからこそ「生みの苦しみ」があるとしたら……ああ、こっちも紙か電子かは関係ないのか(笑)。 吉本:紙のほうが「生みの苦しみ」がより強制的に……。 内沼:そう、比較的に起こりやすい、というだけの話で(笑)。 河村:それに、紙のほうが手触りや雑誌のレイアウトによって、行間に込められた「苦しみ」が分かりやすいんですよ。デジタ