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2022年1月1日のブックマーク (2件)

  • 「流行は終わった」という認識切り替えて 西浦博さんが訴えるオミクロンの脅威と3回目接種の重要性

    これまでにないスピードで感染を広げていくことがわかっているが、私たちにはどんな対策が打てるのだろうか? BuzzFeed Japan Medicalは、京都大学大学院医学研究科教授の理論疫学者、西浦博さんに、聞いた。 ※インタビューは12月23日午後に行い、その後もやり取りしながら書いている。 ブースター接種 発症予防効果は低いが、重症化、死亡は防いでくれるーーオミクロンに対し予防接種は発症予防効果は低いとされていますが、一方で重症化や死亡を予防する効果はあるとも言われています。デルタ株に比べて重症化もしないと言われています。実際どうなのでしょうか? オミクロン株が現れた時に、みなさん「これまでよりも軽症になっているのではないか」と話していました。慎重論もある一方で、「進化の過程で弱毒化していることを期待したいし、もしそうなら、それほど恐れるものではなくなったのではないか」など、様々な推測

    「流行は終わった」という認識切り替えて 西浦博さんが訴えるオミクロンの脅威と3回目接種の重要性
  • 無名選手だったイチローに、オリックス仰木監督がひとつだけ施した"手直し"の中身 わずか1年でスーパースターに変身

    優勝から遠のいていたオリックスは仰木彬を監督にした 1994年(平成6年)。 オリックス監督就任1年目の仰木は、その前年の3位から2位へと順位を押し上げていた。 近鉄の監督就任は1988年(昭和63年)。その2年目、昭和から平成に元号が変わった1989年にパ・リーグ優勝。近鉄での5年間は、すべてAクラス入りを果たしている。 退任直後から、水面下で監督就任への打診が相次いだといわれている。 その引く手あまたの仰木が、次なる挑戦の場として選んだのが、近鉄のライバルで同じ関西の神戸を拠地とするオリックス・ブルーウェーブだった。 前身にあたる阪急時代の知将・上田利治のもと、1984年(昭和59年)のリーグ優勝を最後に、オリックスは長く栄光の座から遠ざかっていた。 西武は1985年(昭和60年)からの10年間で、9度のリーグ制覇。その黄金期真っ只中の1989年(平成元年)に、西武を制して優勝したの

    無名選手だったイチローに、オリックス仰木監督がひとつだけ施した"手直し"の中身 わずか1年でスーパースターに変身