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ブックマーク / www.tokyo-kurenaidan.com (2)

  • 村上春樹の世界を歩く(青山を歩く)

    ●《村上春樹の世界》青山を歩く 初版2002年7月9日 二版2003年2月17日 一部修正 <V02L04> 「村上春樹の世界」で、やり残したところを少しづつフォローしていきたいと思います。まず今週は「村上春樹お薦めの青山周辺」を歩いてみようと思ったのですが、内容は「村上春樹のを歩く」の「青山編」になってしまいました。 に関してはけっこうあちこちに書いているのですが、今日は「村上ラヂオ」から「リストランテの夜」をピックアップしてみました。「…我々がテーブルについたとき、少し離れた席に若い男女がいた。……男性は「そろそろ誘おうかな」と思っているし、女性の方も「応えてもいいかな」と思っている。うまくいけば事のあと、どこかのベッドに向かうことになるかもしれない。テーブルの真ん中にフェロモンの白い霧が漂っているのが見える。…プリモ・ピアットが運ばれてきたときに文字どおり雲散霧消してしまった。

    a1ot
    a1ot 2013/08/15
    大坊珈琲店
  • 藪蕎麦を歩く(御三家)

    ●藪蕎麦御三家散歩 2001年1月7日 V04L05 団子坂を紹介した時に藪蕎麦の発祥の地として紹介しましたが、今回は藪蕎麦の中でも特に有名な藪蕎麦御三家を回ってみたいと思います。あまりに有名なので何時行っても混んでいます。 団子坂でも紹介しましたが、藪そばの発祥地は”団子坂蔦屋(つたや)”です。「明治東京畸人傳:森まゆみ著」によると「初代はもと山口伝次郎といい、伊勢安濃津藩主藤堂和泉守の家臣であって、千駄木町にあった下屋敷に勤番でいたが、そば打ちが上手で、漆器の手細工も玄人はだし、・・・武士が性にあわず、齢三十のころ、家筋へは夫婦養子を迎え、自らは三輪姓を名乗り、町人になって団子坂の権現山に三百坪の土地を求め、そば屋を開業した。・・・明治に入り、三輪氏は、土地を買い足し商売を拡張した。『東京古事便』に、「田野眺望最もよく、また庭先には古苔滑らかにして、離座敷等多く、閑静なるものありて、そ

    a1ot
    a1ot 2013/02/19
    「団子坂蔦屋の神田連雀町店(現在の神田淡路町2丁目)を浅草蔵前で「中砂」というそば屋を営んでいた「堀田七兵衛」が明治13年に譲りうけ、屋号を「薮蕎麦」として”かんだ藪蕎麦”が営業を始めています」
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