セッションという映画を見た。友人が「町山さんの映画評が嫌いだ」と言っていて驚いた。わたしは昔から町山さんの映画評が大好きで、だいたいあれを嫌いになりようがないじゃない、と思っていたからだ。でもその友人が言うには、 「町山さんの映画評は"正しい"。正しいが故に、他の解釈を許さない。いま日本の映画評は、町山さんの以外の見解が存在しないようになっている。それは映画にとってもすごく良くないし、あまりにも気詰まりだ。菊地さんはその状況の突破口を開いたんだと思う」 ということだった。なるほどなあ。 菊地さんとのやりとりで、町山さんがマジョリティだと言われているのが全然ピンと来なかった。「映画秘宝」節というのは永遠にマイノリティだと思っていたから。だが、町山さんの意見はいつのまにかメインストリームになっていたのだ。全然気が付かなかった。 従来の「映画評論家」の文章と比べて、宝島社から「映画秘宝」を経てア
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