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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/ikedanobuo (10)

  • 技術への問い - 池田信夫 blog

    書は、ハイデガー晩年のもっとも重要な論文「技術への問い」を中心にして5の論文を集めたものである(復刊)。最初に断っておかなければならないのは、訳があまりにもひどく、とても通読できないということだ。たとえば有名な、技術をGe-stellという奇妙な言葉で表現する部分は、書ではこう訳されている:われわれはいま、それ自体を開蔵するものを用象として用立てるように人間を収拾するあの挑発しつつ呼びかけ、要求するものをこう名づける――集‐立(Ge-stell)と。この文を理解できる人は、まずいないだろう(訳者が理解しているかどうかも疑問だ)。私は原文を読んではいないが、英訳のほうがはるかにわかりやすい。英訳ではGe-stellはenframingと訳されており、自然を一定の枠組の中で理解し、利用することだ。 この論文が重要なのは、若きハイデガーが『存在と時間』で提起した形而上学批判という問題に、

    contractio
    contractio 2011/10/07
    「訳者から指摘があったので、誤字を修正した。」
  • 自家用ジェット機というメタファー - 池田信夫 blog

    世界が注目する中で行なわれた米自動車産業の救済に関する公聴会をぶち壊したのは、「ビッグ3のCEOは納税者の金を求めて自家用ジェット機でやってきた」というABCのスクープだった。 「自動車産業の首脳が250億ドルの資金援助を求める」というニュースは、金額が大きすぎて普通の人にはピンと来ないが、「デトロイトからワシントンまで1時間足らずのフライトに2万ドルもかけた」といえば、誰でもわかる。「エコノミーだったら288ドル」と聞いたら、怒りが爆発する。このニュースはdiggのトップを飾り、2385もブックマークがついた。 これはレイコフのメタファー理論(あるいは行動経済学のプロスペクト理論)の鮮やかな例証だ。もちろんジェット機のリースをやめたところで焼け石に水にもならないのだが、そんなことはどうでもいい。問題は自家用ジェット機というフレームで人々が問題を見るようになったことだ。3分半のリポート

    contractio
    contractio 2008/11/24
    レイコフかわいそうだな。
  • 生政治の誕生 - 池田信夫 blog

    書のタイトルから、生政治という言葉でよく語られる「監視社会」批判の類を想像する読者も多いだろうが、フーコーはこうした問題にはまったく触れていない。彼が主題とするのは、生政治のもっとも洗練された形態としての経済的自由主義であり、その代表はハイエクである。生政治と自由主義というのは、常識的には対極にあるように思われるが、フーコーが晩年の『知への意志』でも警告しているように、自由を抑圧からの解放と考えることは、ナイーブな左翼的錯覚である。逆に、自由主義はきわめて高度な統治技術を必要とするのだ。大いなる規律の技術、すなわち個々人の行動様式をその最も細かい細部に至るまで毎日規則正しく引き受けるものとしの規律の技術が発達し、急成長し、社会を貫いて拡散するのは、自由主義の時代と正確に同時代のことでした。[・・・]ここにおいて管理はもはやパノプティズムの場合とは異なり、ただ単に自由に対して必要な歯止めで

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    contractio 2008/09/23
    ブクマコメントたちがキモい件↓
  • MIAU「後見人」になった公文俊平の正体 - 池田信夫 blog

    私はMIAUの「賛同人」の1人だったが、今度MIAUが中間法人として発足するに際して「後見人」に公文俊平が就任するという通知があったので、「公文を後見人にするような組織とは縁を切る」とメーリングリストで告げ、幹部には彼が犯罪に関与した容疑を具体的に明らかにした上で、木曜までに回答するよう求めた。しかし今日に至るまで何の回答もないので、予告どおり事実関係を以下に明らかにする: 東京地検特捜部は2004年、公文が所長をつとめていた国際大学GLOCOMを贈賄および背任の容疑で捜査した。事件は多岐にわたるが、もっとも重要なのは、経済産業省の「デジタルニューディール」という総額20億円以上の研究プロジェクトをGLOCOMが受注するため、金子奉義なる人物に1000万円を渡した事実である。金子は、防衛省汚職で逮捕された秋山直紀と並んで「政界のフィクサー」として知られ、防衛省の守屋元事務次官と山田洋行の

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    contractio 2008/09/06
    珍獣大集合。みんなキャラ立ち過ぎ。
  • 「仮想大学院」の挑戦 - 池田信夫 blog

    10月から、SBI大学院大学でも客員教授として講義することになった。これは今年スタートした「起業家精神」を学ぶ大学院で、学長はSBIホールディングスの北尾吉孝CEO。最大の特徴はキャンパスをもたず、すべてインターネットによるe-ラーニングで講義を行なうことだ。私は、今年度の後期は「イノベーションの経済学」を担当する。その最初の部分だけをYouTubeにアップロードした。 将来は、ウェブカメラを使って質疑応答や演習をやったり、SNSの中に大学サイトをつくろうという構想もある。こうした「仮想大学」は、世界的には珍しくなく、日でも京大がYouTubeでコースウェアを公開している。インターネットではすべてが無料になってゆくが、学位はコモディタイズしないので、映像サービス産業としての可能性は大きい。日の私立大学の30%が定員割れで、これから淘汰が始まるが、これは「創造的破壊」によるイノベーショ

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    contractio 2008/08/29
    こ、これは....
  • プライバシー幻想ふたたび - 池田信夫 blog

    かつての櫻井よしこ女史のように「ストリートビューは国民を裸にするものだ!」と叫ぶイナゴが大量発生しているようだ。同じ話を繰り返したくないが、今後も同様の騒ぎが起こりそうなので、基的なことだけ: まず海外まで紹介された樋口理氏の文化論はナンセンスである。私的な空間についての自衛意識は、欧米人のほうがずっと強い。日の少年がハロウィーンで庭に入り込んで射殺された事件を覚えている人も多いだろう。「他人に自宅を撮られるのは気持ち悪い」というのは東洋も西洋もなく、現に欧米で訴訟が起こっている。 「地図データとリンクされるのがプライバシー侵害だ」という批判も、以前の騒動のとき、地図データベースについて出てきた話だ。おかげで田園調布などの住宅地図は、空白だらけで使い物にならない(個人情報保護法で世帯主の氏名は個人情報に含まれるので、これは助からない)。ストリートビューもopt outにしているよう

    contractio
    contractio 2008/08/13
    「山形が「私は早漏である」というプライベートな事実を隠すのは自由です。」
  • ハイエク 知識社会の自由主義 - 池田信夫 blog

    やっとハイエクができた。発売は19日だが、アマゾンでは予約の受付が始まった。あくまでも新書なので、「ハイエク入門」として誰でも読めるようにやさしく書き、専門的な議論や文献は省いた。しかしケインズとの論争は現在の世界経済を考える上でも示唆に富んでいるし、彼の法哲学はShleiferなどの実証研究でホットな話題になっている。また「合理的経済人」の仮定を徹底的に拒否した彼は、行動経済学の元祖としても再評価されている。そういう専門的な議論や参照文献のリストアップは、サポートページでやる予定である。序文を引用しておこう: 世界の金融市場を、前代未聞の危機がおおっている。現代の金融商品は数学やコンピュータを駆使した「金融工学」によって合理化され、あらゆるリスクは技術的にヘッジされ、世界中の市場がいっせいに暴落するパニックは起こりえないはずだった。今回のサブプライム・ローン危機による株価の暴落は、通

  • 北一輝 - 池田信夫 blog

    北一輝といえば、一般には二・二六事件を煽動した狂信的なファシストぐらいにしか思われていないだろう。しかし私は、彼は近代日のもっとも重要な思想家の一人であり、現代にも深い影響を与えているという点では、ほとんど福沢諭吉に匹敵すると思う。彼の伝記の決定版は、松健一『評伝北一輝』だが、書もコンパクトな入門書としてよくまとまっている(1985年初版のの文庫による再刊)。 著者も指摘するように、北の基思想は昭和期の右翼のような超国家主義ではなく、むしろマルクスに近い社会主義である。それが国体に反するがゆえに、彼は天皇を前面に出したが、実質的には天皇機関説に近い立場をとっている。彼は明治維新を、天皇という傀儡を立てた「社会主義革命」だと規定し、来るべき革命はそれを完成させる第二の革命だと考えていた。 彼が1920年に書いた革命構想、『日改造法案大綱』はウェブサイトで全文が読めるが、華族制

  • アルチュセール全哲学 - 池田信夫 blog

    昔、廣松渉のゼミでアルチュセールが話題になると、彼はよく「あんないい加減な読み方を『徴候的』などといって正当化できるなら、文献考証はいらない」と批判していた。アルチュセールのいう「認識論的切断」は、廣松の「疎外論から物象化論へ」という図式と似ていただけに、その読解のずさんさに腹が立ったのだろう。 事実、アルチュセールは晩年(といっても1980年に発狂する直前という意味だが)に書いた「限界の中のマルクス」という未発表の草稿では、初期の議論を撤回する。マルクスの歴史観は、疎外論どころかヘーゲルからも脱却できていない観念論であり、進歩主義的な目的論だと批判し、「自由の国」という透明な共同体としての共産主義はヘーゲルの絶対精神の焼き直しだ――という全面否定に近い評価をマルクスに下すのである。 彼は『資論』の価値論も(英米の経済学者が指摘するように)論理的な矛盾をはらんでいるとし、その原因をマ

    contractio
    contractio 2007/12/15
    ごもっとも。<「あんないい加減な読み方を『徴候的』などといって正当化できるなら、文献考証はいらない」
  • 自由の過剰な世界 - 池田信夫 blog

    finalvent氏から、拙著への書評をいただいた。彼は私と同世代なので、マルクスを軸にして私の議論を理解したのだと思うが、これは当たっている。実は私も、ドゥルーズではないが、死ぬまでにマルクスについてのを書こうと思っている(出してやろうという版元があればよろしく)。サイバースペースに見えてきた世界が、彼のいう「自由の国」に似ているからだ。 マルクスは自由の国を、労働が生活手段ではなく目的となるような世界とし、そこでは生産力は増大して無限の富が実現すると考えた(『ゴータ綱領批判』)。これは彼のユートピア的な側面を示すものとしてよく嘲笑されるが、サイバースペースでは、人々がOSSを開発するのもブログを書くのも生活手段ではないだろう。労働が目的になれば、マルクスも予言したように貨幣(賃金)は必要なくなる。またデジタル情報に稀少性はないから、「協同的な富が過剰に湧き出る」ので、財産権には意味

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