ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥・京大教授がきのう9日(2012年10月)、夫人の知佳さんを伴って会見した。「家に帰ると笑顔で迎えてくれる」「家族の支えがなかったら」…。夫婦で会見するのは多いが、ここまで奥さんを立てた人は珍しい。 旧友「大学を神戸にしたのも、大阪にいた彼女と離れたくなかったから」 2人は中高校の同級生で、ともに50歳。 知佳さんは皮膚科医で、大学卒業後に結婚している。山中が臨床医を断念し、研究の道に入ったいきさつから何から全部をともにしているわけだ。 「やめたくなる、泣きたくなる20数年でした。家族の支えがなかったら研究という仕事は続けられなかった。あらためて家族に感謝です」という山中はにこりともしない。知佳さんが「普通の父親、普通の主人です」「(マラソンを)疲れていても走ろうとするので、走っているのを見たら『ほどほどに』と声をかけて」などとにこやかにしているのと
ノーベル医学・生理学賞を受けた山中伸弥京大教授(50)は会見で、「日の丸のご支援」があったと日本政府に感謝の言葉を述べた。しかし、そこには複雑な思いがあったようだ。 受賞が決まった2012年10月8日夜、山中伸弥教授は神妙な表情をして会見に臨んだ。 仕分けで研究費150億円が3分の1になった可能性 「まさに日本という国が受賞した賞だと感じています」 静かに受賞の喜びを語った山中教授は、何度も日本政府の支援への感謝を口にした。 確かに、国立の奈良先端科学技術大学院大に准教授として採用されてから、山中教授は国の支援に助けられた面があるようだ。まだ無名の研究者だったが、文科省所轄の科学技術振興機構を通じ、03年10月から5年半で総額3億円もの研究資金提供を受けた。その後、山中教授は、マウスのほか人でもiPS細胞の作製に成功し、世界を驚かせた。そして、08年4月からは、さらに5年間で約20億円の特
■踊りのほかは何もいらない --森下さんの後を追うように今は国際的に活躍する日本人バレエダンサーが多数出ています 森下 たくさんね。継続してほしい。私はとても不器用です。子供のころから、クラスではできなかったけれども、家へ帰って何回かやっているうちできるようになる。いつも、時間がかかるものとして取り組むんです。 今の若い方たちにも、そういう意味で、時間はかかっても、鍛錬の中から人間としての素晴らしさも出るから、あきらめないでほしいと思います。 --とはいえ舞踊生活61年は前人未到の境地です。長く踊るため、工夫していることは何でしょう 森下 毎日やることです。週1回ぐらい休むことはありますが、それでも私はストレッチを必ず家で30~40分やっています。そうでないと体がおかしくなる。飛行機の中でも毛布を借りてストレッチ。 --稽古内容は、以前と変化はありますか 森下 ないです。大体5~6時間毎日
ノーベル医学生理学賞に決まり、記者会見のため京都大に到着した山中伸弥教授=8日午後7時26分、京都市左京区 スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、2012年のノーベル医学・生理学賞を、あらゆる細胞に分化する能力があるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発した京都大の山中伸弥教授(50)ら2氏に授与すると発表した。患者自身の細胞を移植して病気やけがを治療する再生医療への道を開いた功績が評価された。 日本人のノーベル賞受賞は2年ぶりで、米国籍の南部陽一郎氏を含め計19人。医学・生理学賞は1987年の利根川進氏以来、2人目の快挙となった。 iPS細胞は、あらゆる細胞に分化する能力を持つ万能細胞の一種。これを基に神経や肝臓、心臓などの細胞を作製し、病気や事故で機能を失った患者の臓器などに移植することで、難治疾患を治療する再生医療の実現が期待されている。 研究はまだ安全性評価の段階で、実際に患者に使
ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、体のさまざまな組織や臓器になるとされる「iPS細胞」を作り出すことに成功した京都大学教授の山中伸弥さん(50)が選ばれました。 山中さんは、特定の4つの遺伝子を皮膚の細胞に組み込んで心臓の筋肉や神経などさまざまな細胞に変化するまったく新しい「iPS細胞」を作り出すことに世界で初めて成功しました。 日本人のノーベル賞受賞は19人目で、医学・生理学賞は昭和62年の利根川進さんに続いて25年ぶり2人目です。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く