履歴書の正しい書き方、効果的な書き方とは?:2005年秋編:履歴書の正しい書き方、効果的な書き方とは? 転職に必要となる書類のうち、必須、かつ最も基本的な書類「履歴書」。その効果的な書き方について、元IT系人材ビジネス企業の採用担当者が解説します。なお、この記事は「@IT自分戦略研究所 Weekly」のメールマガジンで連載したコラムに加筆修正したものです。
というくだりを思い出しましたが、これを習慣に置き換えれば、「人生の半分は習慣で、あとの半分はそれを作り出すためにある」と言えるかも知れません。 習慣については、「習慣を継続させるための10のコツ」というエントリで10のコツを紹介したうえで以下のように書きました。 4.Remember why the habit is important – what is the long term benefit. その習慣の大切さ、そして継続することで到達できるゴールの尊さを忘れない。 (中略) 一番大切なのは4ではないでしょうか。“what is the long term benefit”を忘れてしまうと、続ける意味がなくなってしまいますから。 でも、ゴールの尊さは十分にわかっていても続かない時は続きません。原因は何でしょう? 『パフォーマンス・マネジメント』という本にその答えが書いてありました。
仕事においても生活においても、毎日の習慣が大切です。「心は行動となり、行動は習慣を生み、習慣は人格を作り、人格は人生を決する」という言葉がありますが、意識しなくても体が勝手に動く(=行動できる)ように、プログラム化、すなわち習慣を根付かせることができれば、後に続く人格形成や人生改革にもつながっていきます。 でも、習慣を変えるのはたやすいことではありません。従来からある習慣が邪魔をするからです。 そこで、習慣を変えるコツとして、新たな習慣を“インストール”し、古い習慣を“アンインストール”するという記事をご紹介します。 Installing a new habit and breaking an old one そもそも習慣ってナニ? というところから始まって、習慣を根付かせるためのノウハウや失敗しないためのコツなどが丁寧に解説されています。 What is a habit? Habits
シリコンバレー・ツアーを自主企画して夏休みにシリコンバレーをまわっている大学生8人(東大の1-2年生)が、昨日、僕のオフィスにやってきた。 はてなでいつも会っている連中が1975年から1978年生まれくらい。先週会ったグーグルの日本人インターン5人は皆大学院生なので1980年から1982年生まれくらい。昨日の皆はそれよりもさらに若く、1985年から1986年生まれ、というわけで、世代の違いを実感して楽しかった。大学の先生って仕事は、自分は毎年一つずつ歳をとっていくのに、相手は同じ年代で固定、だんだんに少しずつ学生から年齢が離れていく感覚ってどういうもんなんだろう。 質問の内容は「大学について」が多かった。確かに半年前まで高校生だったんだもんね。 「大学時代は何をしていたか」「大学時代に得たことは何か」なんて質問に対しては、人それぞれ全く違う答があるわけだけれど、そんなこと久しく考えたことが
日々のスケジュール管理には Yahoo! カレンダーを使っていて、毎日リマインダを送ってくれるので便利です。このリマインダのメールにはリマインダ以外に「今日の作業」という項目があるのですが、その日のTODOは特にリストアップとかはしてません。せっかく空いたこの欄には、以前に読んだ書籍から学んだ、自分を見直すためのメモを入れてあります。 毎日来るのでスルーしがちになるのですが、今日たまたま目がいって、はっとしました。すぐ忘れがちになる色んなことが書いてありました。 自分を正当化するための相手の弱点を必要としていないか? 働きかけることのできる唯一のものは「自分自身」である 無理に自分を優秀だと見せ付ける癖は何も生み出さない 物事を成し遂げた結果どういうプラスがあるか、常にイメージする 反応は自分で選択する 「できない」は「できるかわからない..."まだ今のところは"」ではないのか? 「言い訳
はてなはよく「変な会社」と言われます。社内の会議の様子を音声ファイルでラジオのように毎日配布したり、合宿でサービスを開発したり、ユーザーとの対話からサービスを改善するためにアイデアの取引を行う市場を用意していたり、とあまり聞き慣れないような取り組みをあれこれやっています。 このブログでは恐らくそういうはてななりの取り組みとその背景についてご紹介していくことになると思うのですが、その前に、なぜそんなに「変な会社」になってしまったのか考えてみたいと思います。 僕はなぜか、「世の中は誰かが適当に作ったとんでもなくでたらめな仕組みで動いている」という世界観を持っています。「世の中は遠い過去からこれまで人類の英知が作り上げてきた精巧な仕組みで動いていて、現時点での最適解になっている」などとは到底思えないのです。 ですので、誰もが当然と思って使っている仕組みや環境に対しても、常に「本当にこれがベストな
2.ビジネスリサーチの情報収集 デスクトップ調査 の基本〜アニュアルレポートなど公開情報から… デスクトップ調査 とは、主にインターネットなどを使用して、公開情報を調査して整理・分析を行うものです。「CIAも収集する情報の95%が公開情報」ということで、情報不足とい… 2021.01.28 2021.05.13 1915 view コラム〜リサーチャーの日常 人生を通じてマッチクオリティーを追求する 知識の幅が最強の武器になる という本で初めて知った「 マッチクオリティー 」という言葉は、経済学の用語で、ある仕事をする人とその仕事がどれくらい合っているか、その人の能力… 2021.05.04 2021.05.13 295 view 2.ビジネスリサーチの情報収集 日常的な情報収集・整理術(Feedly+Dropbox) 【 ビジネス 情報収集 と 情報整理 の基本 】いま目の前にあるリサー
半分まで入っているコップの水を見て、「半分しか」(残っていないぞ大変だ)と思うか「半分も」(残っているから安心だ)と思うか。僕自身、生きていくさまざまな局面で、「半分しか」と「半分も」を使い分けている。 「失業率が5%で大変だ」も「失業していない人が95%もいるから安心だ」に読み換えることができる。いくら事業が斜陽傾向にあっても「5年で売上げが半分以下になってしまう」ケースはそれほど多くない。これも「5年経ったって半分近くある」と読み換えることができる。こういう例は枚挙にいとまがなく、ここ数日のエントリーに対する反応の中にも「コップ半分の水」論っぽいものがだいぶ含まれてきた。 本欄の立場は、「半分まで減る」なんていう目に見える変化より前の、「コップの水が減り始めているぞ」あるいは「減る気配があるぞ」くらいのところで「大変だ」と言ってみよう、という趣旨のブログだと思っていただければいい。IT
雑誌や新聞の原稿の締め切りが重なっていて、ここに何か書いている場合じゃないんだけれど、あんまり面白いので、朝起きるとどうもこっちを書いてしまう。それで他のことが押せ押せになっていく昨今だ。 トラックバックいただいた「勉強のできない人から職を奪う生き方の提案」 http://deztec.jp/design/05/06/25_job.html を是非読んでほしい。このエントリーの一つ前に書かれた「梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界」 http://deztec.jp/design/05/06/23_real.html だけだと色々な読み方ができてしまうが、この二つをセットに読むと徳保さんというこの二つのエントリー筆者の凄さがよくわかる。 宮台真司が「まったり生きろ」と言い、森永卓郎が「年収300万円幸福論」を説く中で、「そこまで書いちゃまずいだろう」という(たぶん)自己規制ゆえに書けなか
「「知の創出」のコモディティ化への戸惑い」 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050622/p2 を含む一連のエントリーには、たくさんのコメントやトラックバックをいただいた。まだきちんと言葉にならないもやもやしたことを「考えるために書いてみる」という試みを続けているわけだが、そういう作業をするにはBlogというのは最適なメディアだなと思う。たくさんの編集者に囲まれて原稿を書く仕事をしているみたいだ。もちろんその過程を公開して恥ずかしいという気持ちを払拭できればという話ですが。アメリカのジャーナリスト/物書きの中に、本や記事の草稿をBlogで公開して、読者からフィードバックをもらいながら書くというアプローチを取ろうとしている人がいるが、その気持ちがよくわかる。まぁ僕の場合、以前にも書いたように、新しい現象に直面すると「人体実験」してみようとすぐに考える「
梅田望夫さんの記事って、どんな層を対象に設定して書かれているのだろう。そして実際の読者は、どんな人々なのだろう。 「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと 「勉強能力」と「村の中での対人能力」 「知の創出」のコモディティ化への戸惑い 世の中は日に日に複雑化し、「勉強能力」「学習能力」が仕事上ますます大切になっているのは事実である。ただその一方で、それだけで飯が食える場(チャンス)が確実に減っている気がしている。インターネットのおかげで。あるいはインターネットのせいで。 それで一つの仮説として、「飯を食うための仕事」と「人生を豊かにする趣味」はきっちり分けて考え、「勉強好き」な部分というのは「音楽好き」「野球好き」「将棋好き」と同じ意味で後者に位置づけて生きるものなのだ、と考えるってのはアリなのかもしれないなと思い始めているのである。文学や哲学が好きで文学部に進んだ人なんかの場合は
コメントやトラックバックを拝見しつつ、難しいことを書き始めてしまったなと思う。今日は 「「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと」 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050618/p1 「「勉強能力」と「村の中での対人能力」」 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050620/p1 の続きだ。結論があって書き始めているのではなくて、書くことで考えてみようという試みだ。元「勉強好きな少年」の一人として、今起きている大きな流れについて、僕自身も実は戸惑っているのである。 世の中は日に日に複雑化し、「勉強能力」「学習能力」が仕事上ますます大切になっているのは事実である。ただその一方で、それだけで飯が食える場(チャンス)が確実に減っている気がしている。インターネットのおかげで。あるいはインターネットのせいで。 それ
「「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと」 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050618/p1 にいただいたコメントで、 逆に聞きたいのですが、「勉強が好き」「勉強さえできれば」でよかった時代というのは、いつぐらいの時代でしょうか?学生時代はともかく、社会に出ても「勉強が好き」「勉強さえできれば」だけで通用する時代があったとは思えませんけど……。 というのがあった。このコメント欄筆者morichuさんの感覚の方が正しいのだけれど、これまでの日本では、大雑把に言えば「通用していたんだ」と思う。むろんあくまでも、「野球がうまい」「将棋が強い」「音楽が好き」で飯が食えるか、ということとの比較ではあるのだけれど。 コメント欄でこう返答したのだが、 これまでは、官公庁の世界でも技術開発の世界でもビジネスの世界でもメディアの世界でも、特に大組織の中に
今野純くん http://jkonno.exblog.jp/ 主宰の「これからの10年飲み会」に昨夜招かれた。早寝早起きの僕としては珍しく帰宅が深夜になった。とても楽しい会であった。「ウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まる」 http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u105.html でも詳述したように、コンテンツ世界の需給バランスがこれから崩れる。コンテンツとはデジタル化可能な情報すべてを意味する。そしてそれは「次の10年はどういう時代か(6): Peer Production」 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050614/p1 で紹介したエール大学Yochai Benkler教授のこの発言でわかるように、 There's a subcategory of things that ca
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