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本能寺の変に関するib700のブックマーク (1)

  • 本能寺の変、原因は四国にあり?元親の書状発見 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    明智光秀が織田信長を討った能寺の変(1582年6月2日)の直前、四国の戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)(1539~99年)が、光秀の重臣・斎藤利三(としみつ)(1534~82年)に宛てた書状が、林原美術館(岡山市)所蔵の古文書群から見つかったと、同美術館と岡山県立博物館が23日発表した。 書状は1582年の5月21日付で、「東州奉属平均之砌、御馬貴所以御帰陣同心候」(甲州征伐から信長が帰ってきたら指示に従いたい)と記し、四国を攻めようとする信長に恭順の意を示す内容。 信長は75年頃、元親に四国を治める許可を出したが、後に土佐と阿波の半分しか統治を認めないと翻意。光秀は、信長と元親の仲介役を務めていた。 能寺の変の原因には諸説あり、信長が四国統治方針を変え、光秀が面目をつぶされたことから謀反を起こしたとする「四国説」がある。書状はこの間の経緯を示すもので、同博物館などは、四

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