『論座 1月号』の赤木智弘さんのテキスト『現代の貧困』を巡ってネットで色々取り上げられ、ワタリさんの真情のこもったスレから、「ためにする議論」など様々な言説が飛び交っていますね。僕は大雑把なオヤジなので些末なところで、ほじくり返す「再帰的な応酬」は軟化した脳ではついてゆけません。だからと言って「再帰性」のやりとりを否定するわけではない。むしろ積極的にやって欲しい。ただ、些末を基盤としたものではなく、「問いを共有」出来るものであって欲しいということです。その問いの今の段階で見えることは「生き辛さ」に関することだと思う。 僕は過去ログ藤原新也の『黄泉の犬』をめぐっての赤木さんのコメントで《藤原さんの怒りと赤木さんの怒りは攻撃の先が同じ方向性でありながら、急に赤木さんは別の道を指し示す。藤原さんの道は理解できる。でも赤木さんの道はわからないと言うのが本音です。》このように書いたのですが、《そりゃ