科学の権威への不信感は大学1年、18歳の時にさかのぼる。祖父、父とも医学博士の家に生まれた島薗さんは医師になるため猛勉強し、現役で東大に受かった。「金沢大付属高校時代、自分の道を考える前に競争に乗った。現在の経済にも似て、目的を定める前に競争に勝たねばならない。そこに疑問を感じていた」 大学に入った67年、医学部闘争が始まる。「先輩たちの闘争を見ていて、医学者の権威主義、ごまかしを知った。東大医学部長を務めた祖父は水俣病の病因隠蔽に関わったし、いのちを守る学問という姿勢が欠けているように見えた。もっと科学技術の陰を直視せよと学生だった自分は感じていた。その経験が今、原発問題を考える原点になっています」 紛争後、医学に戻る気がせず、収容所文学など人間の苦悩に向き合う思想にひかれ、「人間を学ぶ場として宗教学に進路を変えた」。 科学と人間の関係を直視するようになったのは、28歳の時の闘病も影響し
特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 宗教学者・島薗進さん− 毎日jp(毎日新聞) 科学と人間の関係を直視するようになったのは、28歳の時の闘病も影響している。「胃腸を悪くし、病院で薬を飲み続けたがまったく治らず、最後はおきゅうで治したんです。病気をねじ伏せる西洋医学と違う方法、価値があるという考えがその時はっきり出てきました」 ※強調は引用者による 「おきゅうで治した」という現象を、より正確に記述するならば、「おきゅうを使った→良くなった」という事だろうと思われます。と言うのは、「おきゅうによって治った」事を言うのはむつかしいからです。 確かに、色々試してみて、その後に改善された時に、その試した何かが効いた、と考えがちで、そういう経験を周りに話す時も、○○が効いた、とか、△△で治した、みたいな言い方をしてしまう事はあります。雨乞い三た論法みたいな感じで、実は因果関係に無いかも知れないのに、そ
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