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*readingとcriticに関するklovのブックマーク (6)

  • 『1冊でわかる文学理論』 ジョナサン・カラー (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 入門書として有名なオックスフォード大学出版局の Very Short Introductionsが岩波書店から「1冊でわかる」シリーズとして邦訳されている。 フランス産の文庫クセジュは良くも悪くも百科全書の伝統に棹さしており、とっつきにくい面があるが、こちらは英国産だけに読み物として気軽に読める。もちろん、気軽といっても、内容は格的である。訳文は読みやすいものもあれば読みにくいものもあるが、わたしが読んだ範囲では文庫クセジュの日版よりは概して読みやすいという印象を受けた。訳者もしくは斯界の第一人者による解説と文献案内がつくが、どれも中味が濃い。 好企画だと思うが、「1冊でわかる」という物欲しげな題名だけはいただけない。原著は Very Short Introduction だから、あくまで基礎づくりであり、その先があるのだ。「1冊でわかる」ではなく、「超短入門」と

    『1冊でわかる文学理論』 ジョナサン・カラー (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 「『萌え』の正体」(「國文学11月号」) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    國文學 2008年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 学燈社発売日: 2008/10/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (15件) を見る 「國文学」が、トチ狂って「萌え」についての特集を組んだので、一応買った。「萌え」というのは単なる流行語*1にすぎないだろうし、数年後にはたぶん「そんなのもあったねえ」とか言われるのだろう。もう「萌え」の話は飽和状態だし、今回の特集もあまり期待していなかった。 ところが、意外と数は面白い文章が載っていた。中でも、田透「『萌え』の行く先――文学は敗北したのか」は印象に残った。田さんは、以下のように文学史をまとめる。 吉隆明ふうに言えば、「大きな物語」=「共同幻想」に自己の居場所を見いだせなくなった70年代後半以降の大衆は、徐々に「小さな物語」=「対幻想」の内部へと入りこんでいった。この「対幻想」の中に「

    「『萌え』の正体」(「國文学11月号」) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 第5回monado niteで出た本 - tyoro.txt

    先週の土曜日は半年振りくらいのmonado niteがあったりして、批評理論の話とか実験文学の話とか聞いていました。 今回もメモに取ったんだけど、聞いてメモしてた範囲はある程度理解出来てはいるのだけど、IRCチャットも絡んだ会話になると、もはや何の事だか分からない世界になってたりもして、うーん。 まぁそんなこんなで途中、意識を別所に移したりもしてたので、一部聞き逃しがあったりする。 まぁ動画見て補完すればいいのだけど、今6時間もの動画を見て情報を咀嚼する余裕もない( ´-`) とりあえずメモ書きから出てきた羅列しておくだけでもしとく。 ちなみに動画はここの下の方のサムネクリックで録画された放送映像を見れる。 monado, Ustream.TV 時系列的には「monado nite 5-1」から「monado nite 5-5」まで。 今回はIRCとの対話が最後の質疑応答までほとんど無い

  • 『あたし彼女』について - Feeling or Thinking?

    第三回ケータイ小説大賞大賞受賞作『あたし彼女』(著:kiki,リンク:http://nkst.jp/vote2/novel.php?auther=20080001)を読んだ。 あわせて、『ケータイ小説的。』(著:速水健朗)を読んだのだが、そこで書かれているこれまでのケータイ小説と『わたし彼女』とを比較してみると興味深い点が見つかったので、少しばかり考えてみようと思う。(ちなみに、僕はこれまでケータイ小説をまともに読んだことがないので(汗)、この考察はあくまで『ケータイ小説的。』でのケータイ小説観と『あたし彼女』についての比較に基づいたものです) 『ケータイ小説的』によると、ケータイ小説で頻繁に、しかもリアルに描かれているものはデートDV(恋人同士でのDV)と呼ばれる恋人同士の関係である。彼氏が彼女のことを束縛し、時には暴力を振るう。そして彼女はそんな彼氏に対し、自分が至らないせいで彼は怒っ

    『あたし彼女』について - Feeling or Thinking?
  • 母殺しの文学――宇野常寛『ゼロ年代の想像力』に寄り添って - らいたーずのーと

    ■ 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』は、1990年代から2000年代にかけて日の若者向けに作られた無数のフィクション・コンテンツを題材に、それらに感情移入する読者たちが生き方のモデルとして選ばれるべきキャラクターのあり方(そしてそのような物語、キャラクターを作る製作者側の倫理)を論じる、という形で進行していく。たとえばアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公、碇シンジの生き方を「引きこもり」と断じ、漫画『DEATH NOTE』の主人公、夜神月の暴力に対抗する力をシンジ少年は持つことができないと非難する。もちろん夜神月の暴力を肯定するわけにはいかず、引きこもっているだけではどうしようもない世の中でいかにうまく生きていくかを、例として宮藤官九郎のテレビドラマやよしながふみの少女マンガの主人公たちの生き方を参考に論じていく、という感じだ。 そのとき重要になってくるテーマとして、「母性のディストピア

  • 斎藤環『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』 - logical cypher scape2

    小説トリッパーでの連載をまとめて、加筆したもの。 トリッパーの連載もほぼ読んでいた。というか、自分がトリッパーを読んでいたのは、ほとんどこの斎藤環の連載を読むのが目的だった。トリッパーをチェックしていた時期と、これが連載されていた時期はちょうど重なっている。 かなり、時評的な色彩が強く、今となってはちょっとなあと思うところもあったりするが、逆に、今でもいけるだろうというところもある。 取り上げられる作品は、いわゆるファウスト系であったり、参照される論も、東、大塚、笠井といったあたりが中心なのだが、しかしそれ以外にも、『DeepLove』『いま、会いにゆきます』『電車男』を取り上げてみたり、『となり町戦争』『りはめより100倍怖ろしい』を取り上げてみたり、あるいはもっとそれ以外の作品(『メタボラ』や『悪人』、『ベルカ、吠えないのか』、『ニート』、『半島を出よ』など)が取り上げられていたりする

    斎藤環『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』 - logical cypher scape2
    klov
    klov 2008/07/22
    たまきせんせーも読まねばならんか
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