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ブックマーク / crow-henmi.hatenadiary.org (9)

  • 卵と壁のアナロジーの欺瞞――村上春樹エルサレム賞講演についての雑感―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    人は卵であるとともに他者にとっての壁でもある。ほうっておけば互いにぶつかり合って粉々になる。それを互いに避けるため、それぞれ似た形の卵が互いに力学的に支えあう形の卵ケースに入ることで、互いにぶつかり合うのを避ける。しかし卵ケース同士もまたぶつかり合う。それを避けるため卵ケースの間に緩衝材を入れ、互いに支えあうようにして箱詰めする。だが卵の箱詰め同士がぶつかり合うことを和らげる仕組みはまだ完成していないし、それどころか卵ケースや箱自体の梱包が緩んできている、というのが現在だ。 ここでいう卵のぶつかりあいとは排他的権力関係、卵ケースや箱は排他的権力関係を緩和/止揚するための中間集団や国民国家などと考えて良い。これらの効力は再帰的近代化やグローバリゼーションにより失効しつつあるし、国民国家間の利害を有効なレベルで緩衝し得たものはただひとつ、恐怖の総和にほかならなかった。そこから垣間見えるのは、む

    卵と壁のアナロジーの欺瞞――村上春樹エルサレム賞講演についての雑感―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    klov
    klov 2009/02/19
    個人的には「あえて」の方に賭けたいけれど。/何故このエントリにいちゃもんが付くのか、あまり分からない。ヤングの『後期近代の眩暈』とかが元ネタかしら。
  • おれには口がない、それでもおれは叫ぶ――複雑化社会における心情倫理―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「自己責任じゃないならなんだってんだ」 まあいつものみちアキ氏なんだが、あえてマジレス。 ひどく単純明快な答えを述べるとするならば「確かにそうした社会システムを作り出すことに寄与したぼくたちのひとりひとりに責任があり、ゆえにそれを正すべく、できる範囲でできる範囲のことをしよう」ということになる。blogで批判エントリを書くのもそうした運動のひとつで、特に矛盾したものではない。より効率的な戦略、より深いコミットメントなども可能だろうが、ボランティアの典型的なパラドックスである「自分はより役に立つ行動をしなければならないのではないか」と考えてその場その時の行動を躊躇することにもつながりかねないので、とにかく自分のできる範囲で何かをする、ことが重要になる。 ただ、そのコミットメントは、ぼくたち自身が作り出すことに寄与した社会システムの欠陥に阻害されて効率が悪くなるので、責任に対して十分なリソース

    おれには口がない、それでもおれは叫ぶ――複雑化社会における心情倫理―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    klov
    klov 2009/01/20
    分業論の公共性への応用(というかむしろ歴史的経緯は逆なんだけど)。
  • もし「涼宮ハルヒの憂鬱」が60年代学生運動を背景にしたドラマだったら - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    ハルヒ第2期情報と、先日放送していた安田講堂攻防戦を見て、ふと思いついたネタ。元々はTwitterで書いたのだが、結構Favられたので再掲。 「ただの人間には興味ありません! この中に革命的プロレタリアート同胞がいたら、私のところにきなさい!」と入学早々トラメガでぶちかますハルヒ。それにオルグされるキョン。気が付けばノンセクトラジカルの活動組織「世界を大いに革命する涼宮ハルヒの団」が結成されてる。 文芸部の部室を溜まり場として空回り気味の学生運動に熱中するハルヒ一同。構成員はインテリ天然左翼の長門、道端でオルグされたみくる、公安のエスの古泉*1。最初はアジプロとオルグ中心の活動だったのが、だんだんとエスカレートして行き、デモ参加、党派との接近、そして武装闘争にまでいたる。 先鋭的な党派への合流を選んだハルヒと、袂を判ったキョン。ハルヒはその後パレスチナに行ってアラブゲリラと共闘。2000年

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    klov
    klov 2009/01/16
    いいぞいいぞもっとやれ
  • 伊藤計劃「ハーモニー」――「わたし」と「世界」を巡る物語―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション) 作者: 伊藤計劃出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/12メディア: 単行購入: 50人 クリック: 931回この商品を含むブログ (329件) を見る先日読了したので、Twitterでメモしたことなどを下敷きに、少しばかり論じてみたい。 伊藤計劃の小説は常に一人称で書かれているのだが、この「わたし」への固執――すなわち実存への固執という問題意識が、彼の書く物語のテーマやギミックと密接に絡まりあっていること――具体的には「わたし」という存在と、それを生み出した近代的スキームの解体を追求するために、あえて使われているということを指摘したい。 そもそも近代において、「わたし」という存在は世界との対立に生ずる存在であるがゆえに、「わたし」にとって世界は来的に異物であり、耐え難い。しかし「世界」は「わたし」に対して圧倒的であり、ゆ

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  • 飛べ、ヨッサリアン!――派遣村に集う人々の生の目的論的意味論争についての所感―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    みちアキ氏のエントリ「派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと」について。 ぼくが云いたかったことの大半は安眠練炭氏のエントリ「生きるということは手段ではない」で語られているのだが、少し余禄があるので書いておく。 まず、派遣村に集まる人々に生の目的がないかのように論難しながら、一方で彼らをそのような状態に追い込んだシステムについて、みちアキ氏には批判的視座がないことがあげられる。これは、みちアキ氏にとって「運が悪い」ですむことだというのは、ガザ虐殺問題に関する過去ログを参照すれば理解できるのだが、そのような態度は「人間の作り出した、改変しうる仕組みに対する盲従」の内面化、すなわち自己奴隷化ではないだろうか。そのような自己奴隷化をなしている人間が、その範囲で「生の目的」を語っても、その自由は「仕組み」の内部の自由――端的に云うと奴隷の自由でしかありえない。みちアキ氏が

    飛べ、ヨッサリアン!――派遣村に集う人々の生の目的論的意味論争についての所感―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 「空がなぜ青いか」には応えていきたい  BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    ここのところ、個人的にせわしない日々が続き、はてなハイクとついったーで散発的な文章を書くだけの日々が続いていたけど、久しぶりにまとまった文章がたまったので、蔵出しなどしてみる。 ついったからの蔵出し、改稿。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20081013/p1を読んでの感想。 ジジェク云うところの「子供が親に「空はなぜ青いの?」と問うのはそれに応えられない/それに対して何もできない親の無力を糾弾しているのだ」という例えについて。そこで「俺は糾弾されている!」と受け止めて「空が青くて悪いか!」とか云ってしまう親は親失格なのではないか普通に。そこはきちんと応えるか、子供に向き合って対話の中に彼なりの答を見出すように導くか、あるいは「彼の問いに秘められた糾弾を暴きだしその正当/不当を自他に問う」べきではないだろうか。 で、その例を引き合いに出したhokusyu氏のエ

    「空がなぜ青いか」には応えていきたい  BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
  • 2008-06-22

    今日は外に遊びに行く予定だったのだけど、体調が急降下してだるかったので家でごろごろしていた。来週こそリベンジ。 「サバルタンとしての加藤智大」(http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20080621#1214062132)について、あちこちからツッコミを受けて多岐に渡る議論になった。それについて、ある程度まとめておきたいと思う。ただ、気力がないので手短に。 サバルタン性は加藤という存在、あるいは加藤が属していた社会階級のみの問題に収斂されるべきではないのでは? コミュニケーション不全と自己疎外による徹底したサバルタン性というのは、確かに加藤個人や加藤の属していた社会階級のみに止まる問題ではなく、現代社会において普遍的に存在する問題といえる。主体性への接近不可能性(後述)や、他者との了解不可能性という問題は、程度や状況の差こそあれ現代社会に属する個人にとって普遍的

    2008-06-22
  • サバルタンとしての加藤智大 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    今日は1日中ついったしていた。明日は外で遊ぼう。 加藤智大はサバルタンである。なぜならば、彼は社会から疎外され、ネットからも疎外され、自身の主体性からも疎外されている存在だからだ。 加藤が社会的にもネット的にも疎外されていたことについては、既に多くの語りが存在する。では、自身の主体性からも疎外されていた、というのはどういうことか。それは加藤の供述書に見られる決定的な類型性から読み取り得る。 加藤は自己がいかに社会に疎外され、ネットにおいても疎外されていたか、そしてそれはなぜなのかを語るが、そこに読み取れるのは類型的な――極一般的にネットで流布されている非モテ言説のテンプレートでしかない。そこからは白昼衆人環視の中で大量殺人を起す動機を読み取ることができない。もしそこから動機を読み取れるというのなら、非モテ言説を述べるbloggerのほとんどは大量殺人者予備軍であることになるが、もちろん、そ

    サバルタンとしての加藤智大 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
  • 2008-04-15 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 確率性・流動性・家族・コミュニティ

    帰りがけ図書館に行ったら中上健次のが置いてないでやんの。もう過去の作家ですか。家族論とか地域論とか語るためのスタディに使おうと思ってたのに。まあ仕方なし。 http://d.hatena.ne.jp/i04/comment?date=20080414#c 上記でこんなことを書いたのだけど、補論。 それと、家族やコミュニティに関してはライフサイクルと流動性の問題があるんでそこんとこ着目してほしいです。擬似家族もトゥルー家族も小さな成熟共同体も「流動性」と「確率性」の中にあって、便宜的かつ暫定的にそうした関係が結ばれ、あるいは解体されるものだ、ということです。しかしなおトゥルー家族は強い物語的吸引力を持ち、それに引きずられる形で擬似家族や小さな成熟共同体の形相というものもあります。それは近代における家族が自己のルーツであり生存の支えであり離れてもいつかは帰る場所であるからなのですが、そうした

    2008-04-15 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 確率性・流動性・家族・コミュニティ
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