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ブックマーク / oda-makoto.hatenadiary.org (14)

  • 「卵と壁」と社会の二層性  2009-03-02 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    話題となっていた村上春樹さんのエルサレム賞受賞講演について書こうと思っていながら、つい忙しさにかまけて時期を逸し、書きそびれてしまったなと思っていたら、きょうの毎日新聞の夕刊とサイトに講演の英文と日語訳(夕刊は日語訳だけですが)の前半部分が載っていました。残りは火曜日に載るようですが、この機会に書いておこうと思います*1。とはいっても、受賞講演のテキストは、共同通信エルサレム支局長の長谷川健司特派員が、エルサレム賞主催者から提供を受けたテキストを基に、実際の講演での修正部分も録音を使って再現したものを使うことにしますが*2。日語訳は拙訳です(といってもまずい訳という意味ではありませんよ)。 さて、レヴィ=ストロースの「真正性の水準」の帰結のひとつは、人は社会の二つの層を二重に生きているというものです。すなわち、近代になって地球上のあらゆるところで非真正な社会が真正な社会を包摂するよう

    「卵と壁」と社会の二層性  2009-03-02 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
  • 子どもに左翼になってほしいと願うこと - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    2009年最初のエントリーは、心に残っている言葉を紹介したいと思います。発言者は、アメリカの哲学者リチャード・ローティです。どんどんナショナリストになりつつあるローティの書いていることには批判的になることが多いのですが、つぎの言葉は腑に落ちます。 デスクの前に座ってキーボードをたたいているわれわれが、手をよごしてトイレを掃除してくれる人びとの十倍、われわれが使っているキーボードを組み立てている第三世界の人びとの百倍の報酬をもらっているというのは耐えきれないと思うように、わたしたちの子供を育てるべきである。最初に産業化した国々が、まだしていない国々の百倍の富を有しているという事実について、子供たちが確実に憂慮するようにすべきである。子供たちは、自分たちの運命と他の子供たちの運命との不平等を、神の意志だとか、経済効率のために必要な代価とかでなく、避けることのできる悲劇だと見ることを早くから学ぶ

    子どもに左翼になってほしいと願うこと - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
  • ベーシック・インカムについて(補遺) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    黄色い犬さん、コメントありがとう。予告編には期待していますというコメントをいくつかいただいたのに、編にはコメントがなかったので期待外れだったのかなと思っていました。これで心おきなく仕事をしようと思っていたのですが、黄色い犬さんのコメントに、 「労働倫理」が強力な足かせ(?)になってるのは当然にしても、「独り占めにしたい気持ち」や「人を見下したい気持ち」というようなたぶん誰にでも少しはあるような感情が「労働倫理」というものを支えているような気がして、ベーシック・インカムへの道はなかなか険しいような。 とあったのが気になりました。やはり、走り書きでしかもあちこち話が飛んだりしていたので、肝心なことを伝わるように書けなかったみたいと思い、補遺を書いておきたいと思います(念のため、黄色い犬さんが読解できなかったということではなく、コメントによって何を書き落としたのかが明確になってありがたかったと

    ベーシック・インカムについて(補遺) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    klov
    klov 2008/10/27
  • ベーシック・インカムについて(3) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    さて、連載3回目です。 前回の最後に、ベーシック・インカムによって労働意欲がなくなり、モラル・ハザードを招くという右派やエコノミストの危惧を挙げました。それと関連して、ベーシック・インカムに反対する人たちの理由として最も多いのが、「働く気もなくぶらぶらしているやつに税金から金を出すなんて」というものでしょう。つまり、フリーライダー批判です。 けれども、ベーシック・インカムの思想は、労働による所得以外にも所得があることが社会にとってプラスになるということであって、労働による所得を否定していません。否定していないどころか、むしろ「労働による所得」を全面的に純化しているともいえます。つまり、扶養家族がいるかどうかなどという基準はなくなるし、労働に純粋に応じた給与が支払われるようになり、有能に働けば働いた分だけ所得が増えるのですから、月10万円のベーシック・インカムとは別に労働による所得を目指す人

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    klov
    klov 2008/10/27
  • ベーシック・インカムについて(2) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    世界金融危機にはじまる不況によって、何かシステムを変えなくてはという流れができつつあるようにも思いますが、はたしてどういうシステムにするのか、またどういう人たちがそれを考えるのか。それを思うと、結局はなかなか変わらないのかなという気もします。少なくともエコノミストたちにシステム自体の転換を考えることを期待はできないでしょう。主流の経済学は、システム内の問題を考えることに特化したものであり、システム自体の大転換を考えることは苦手というか、むしろそれを考えないことを自らの立場としてきた学問だからです。「金融資主義」やネオリベラリズムを支えてきた「経済自由主義」からの脱却を唱えても、経済成長しつづけるというシステム自体への信仰を捨てない限り、エコノミストたちの思考は、もう一度なにか別のバブルを起こして景気回復をしなくてはというところに落ち着かざるをえないのでは。もちろん、そのバブルを安定的なも

    ベーシック・インカムについて(2) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    klov
    klov 2008/10/24
  • ベーシック・インカムについて(1) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    ようやく前門の虎も後門の狼もいなくなって一息ついたところです*1。その間にchinalocaさんからも催促をいただき(chinalocaさん、お久しぶり)、ベーシック・インカムについて書くことへのハードルがかなり高くなってきましたね*2。ちゃんと議論しようとすると長くなりそうなので、最初から連載にしようと思います。今回はその第1回目です。 さて、基的なおさらいから。ベーシック・インカム(基所得)は、「すべての個人へ無条件で給付される所得」を意味し、赤ちゃんから死ぬまで、生きているだけで一定の生存保障の所得を政府が分配するというものです。ベーシック・インカムについての文献は以下のものがあります。 トニー・フィッツパトリック『自由と保障――ベーシック・インカム論争』勁草書房 Isbn:4-326-60185-X →ベーシック・インカムを考える上での基文献。私の記事もこのに多くを負ってい

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    klov 2008/10/23
  • 気になる言葉シリーズ・第2弾——「他人に迷惑をかけないなら、何をしてもいいだろ」 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    ローランさんがコメントを下さったので、調子に乗って「気になる言葉シリーズ」の第2弾を。取り上げる言葉は「他人に迷惑をかけないなら、何をしてもいいだろ」って言葉です。気になるのは「何をしてもいい」という部分ではなく、「他人に迷惑をかけないなら」というところです。つまり、「他人に迷惑をかける」かどうかということが、このように重大な基準となっているのは、どこかおかしくないかと言いたいわけです。「他人に迷惑をかける」ことがそんなにも避けるべき悪いこととされているのはどうしてなのでしょうか。 なんらかのかたちで他人に迷惑をかけないで生きていくことは不可能でしょう。もちろん、だからといって、なるべく人に迷惑をかけないで暮らすように努力することは悪いことではないだろうと思われるかもしれません。しかし、人に迷惑をかけることから人との関係が作られていくわけで、迷惑をかけないということは人とのつながりを否定し

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  • 気になる言葉シリーズ――フリーライダー - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    3月になればひまになるはずだったんだけど、もうすぐ任期が終わるはずの学会の庶務担当理事の仕事やらがあって、時間はあるはずなのですが、気分的にひまになったというどうも気がしません。まあ、ひまになってもブログを書いていないことの言い訳でもありますが。 さて、「気になる言葉」または「気に入らない言葉」シリーズです(そんなシリーズあったの?って突っ込んでください)。これまでも、たとえば、1月21日のエントリーで、「受益者負担」という言葉を気になるというか気に入らない言葉として取り上げましたが、それをシリーズ化してみようというわけです。きょうは、その「気になる言葉シリーズ」の栄えある第1弾として、「フリーライダー問題」という言葉を取り上げたいと思います*1。 「フリーライダー問題(free-rider problem)」という言葉がいつごろから使われ始めたのかは知りませんが、最初のうちは労働組合等で

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  • 報復権は死刑存続の根拠たりうるか――ちょっと時期遅れの話題 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    1月21日のエントリーで、「そろそろブログを書いておかないと、1月のエントリーはゼロってことにもなりかねないので」と書きましたが、やっぱり1月のエントリーはそれだけで終わり、もう2月も中頃になりました。きのうで4日間の大学の独自入試の業務も終わり、締切も過ぎていた論文ひとつをきょう仕上げて、一息ついているところです。けれども、また2月の下旬は、推薦入学面接や大学院の入試があるので、そろそろブログを書いておかないと、2月のエントリーはゼロってことにもなりかねないので。 大学教員が1月から2月にかけてこれほど忙しいことはあまり知られていないために、ときどき授業がなく休みが多くていいですねなどといわれてしまいます。大学教員は授業のない時期のほうが忙しいくらいだと声を大にして言いたいところですが、よく冷静に考えれば、大学教員は1年間をトータルすれば基的には暇であることは間違いないので、言わないこ

    報復権は死刑存続の根拠たりうるか――ちょっと時期遅れの話題 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    klov
    klov 2008/02/17
  • 樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』を読む(ついでに宮台真司『亜細亜主義の顛末に学べ』も読む) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』光文社(光文社新書)、2007年7月刊。 Isbn:9784334034153 書のテーマは「はじめに」で明確に書かれています。樫村さんは次のように述べています。 社会の流動化が進むことで、社会の「恒常性」が奪われ、長期的展望が成り立たないこと――。これが現在の私たちに突きつけられている問題であり、書のテーマである。 そして、流動化に対する不安から反動的な政治制度に回帰したり、個人と社会の変化の自由を否定したりする、今日の復古的な社会的「気分」を批判すること――。すなわち、社会の解体と流動化を進める「再帰化(……)」をあくまで肯定し、「恒常性」と「再帰性」という衝突する問題を両立させること――。これも書のテーマである。(13-14頁) 「恒常性」と「再帰性」を両立させること、なるほどテーマは明確です。けれども、そ

    樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』を読む(ついでに宮台真司『亜細亜主義の顛末に学べ』も読む) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
  • 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 『現代アメリカの陰謀論』を読む

    安部首相のあまりにも不可解なタイミングの退陣表明のあと、ウェブ上ではアメリカ・ブッシュ政権の陰謀とか某カルト宗教団体の陰謀など、「陰謀論」が飛び交っているようです。「陰謀論」は、マスコミではほとんど流れていないという点に特徴があります。逆に言えば、麻生クーデター説のように、マスコミに出ているものは「陰謀論」とは呼べないということです。マスコミにはけっして出ない「真相」があるという信念の背景には、外国やエリート集団や秘密結社や宗教集団や宇宙人などといった、影で社会を動かしている巨大な権力が、政府やマスコミをも動かして「真相」を隠しているのだから、むしろ政府の公式見解やマスコミに出てきたものはすべてまやかしだという信念があります。 「陰謀論」の人気は、誰も全体を見通せなくなっている現代社会の複雑さを一気に単純にして縮減してくれることと、自分だけが「真相」を知っているという自尊心を与えてくれるこ

    小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 『現代アメリカの陰謀論』を読む
  • 感情労働」と「キレる」客

    久しぶりのブログへの執筆です。忙しくて、自分でネタを考えて書く暇がありませんでした。これまでけっこう書くことができたのは、書き込んでもらったコメントをネタにして書いたりしていたからですが、こちらが書かないとコメントももちろん書き込んでもらえず、コメントを書き込んでもらえないと書くネタがなく、という悪循環でご無沙汰したというわけです。 きょう沈黙を破って(?)書こうと思ったのは、ある偶然の一致のせいです。きょうの朝、電車の中の雑誌『AERA』のつり革広告で「『感情労働』時代の過酷――ひと相手の仕事に疲れ果てるとき」という記事の見出しが目に留まりました。ちょうど偶然にも、きょうの講義で「感情労働」の話をする予定だったので、参考になるかなと乗換駅の売店で早速買って電車の中でぱらぱら読んでみました。記事そのものは講義の参考にはあまりなりませんでしたが、まあ、その日の朝に読んだ雑誌を資料になるかなと

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  • 正月に化粧について考える(1) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    この時期になると、女性の化粧について考えさせられることがある。年末年始に女性の化粧が目立つから、というわけではなく、化粧をテーマに卒業論文を書く学生がだいたい2年に1人はいるから。 ということで、今年もまた女性の化粧について考える機会をもらった。女性の化粧について卒論を書く学生(たいてい女子学生だが)は、「どうして女性だけが化粧をするのか」という「問い」を設定したがる。女性だけが化粧をするようになったのは歴史的なことであり、男性が化粧をする文化は少なくなかったことを知ると、その「問い」は、「近代になってどうして女性だけが化粧をするようになったのか」というように変わる。こういった「問い」には、結局は1970〜80年代にフェミニズムが提示したような、「美の鎖」とか「美しさのイデオロギー」によって男性が女性を支配しているからという「答え」しか出てこない(たまに「女性のほうがきれいだから」といった

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  • 「ニューエイジ運動」との連続と不連続 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    現在のスピリチュアル・ブームについての文献というのは、まだあまりありませんね。当たり前ですけど、研究はかなり遅れてやってくるんですね。香山リカさんのと信田さよ子さんの『論座』(2006年6月号)の論文くらいしかまだチェックしていませんが、両方とも研究とは呼べないものです。香山さんにしろ信田さんにしろ、臨床心理士でカウンセリングをしているわけで(精神科医の香山さんが臨床心理士の資格を取ったことは今回はじめて知りましたが)、スピリチュアル・カウンセラーを名乗っている江原啓之さんはいわば商売敵(「同じ穴のむじな」と言ったら怒るでしょうか)だから、反応が早いのでしょうね。現在のスピリチュアル・ブームは、「オカルト」文化や「ターミナル・ケア」(死生学)をはじめとする「スピリチュアル・ケア」から出てきたわけではなく、広い意味での「セラピー/カウンセリング文化」の中から出てきたわけで、その点からすれば

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