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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (38)

  • わかちがきは、発明されたものだ。 - hituziのブログじゃがー

    I am a student. ああ、英語を かくのは いやなものです。「アイ アム ア ステューデント」。「わたし は 学生 です」。 ってことですね。言語音は、連続しているもので、アイとアムとアとステューデントの間に、音のきれめが くっきりあるわけではありません。けれども、文字で表記するときには、ことばの きれめにスペースを いれています。これを日語では「わかちがき(分かち書き)」と いいます。 世界の言語のなかで、この わかちがきを しない言語は日語と漢語(いわゆる中国語)ぐらいだと いわれています。もちろん、ほかにも いくつか あるはずですが、わかちがきを しない言語としては、日語と漢語が代表格です。 とはいえ、日語だって わかちがきされることも あります。小学校の教科書や日語点字では わかちがきを しています。語学書としての日語の入門書でも、よく わかちがき されてい

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  • ひとの数だけ可能性がある。 - hituziのブログじゃがー

    人間として、あたりまえのこと(アセクシュアルについて)。 - hituziのブログじゃがー うえの記事にたいして、興味ぶかいコメントをいただきました(はてなブックマーク - 人間として、あたりまえのこと(アセクシュアルについて)。 - hituziのブログじゃがー)。 2008年07月24日 id:kanimaster [sex] 「あたりまえのこと」ではないと思うんですよ。当たり前でないことを人間同士が、また社会がどう受け止めていくかが問題なのだと思います。別のマイノリティの一人として。人間のありかたを認識するさいに、ふたとおりのアプローチがあるでしょう。 ひとつは、「ふつう」というものを設定するアプローチです。「ふつう」な人間なるものを設定し、その「ふつう」という概念から はずれた「当たり前でないこと」を、どのように うけとめるかという問題設定です。これも、社会のシステムを検討するうえ

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    maangie
    maangie 2014/01/05
    ぶこめも
  • 「革命」と「少しずつよくなれ」 - hituziのブログじゃがー

    わたしは坂口安吾(さかぐち・あんご)の影響を かなり うけています。 安吾は、革命について、つぎのように のべています。 そのときも私が思ったのは、革命だの、国家永遠の繁栄のため、百年千年の計のため我々がギセイになる、そういうチョットきくと人ぎきのいい甘ッチョロイ考え方がナンセンス、又罪悪であり、人間はギセイになってはならぬ。自分一人好きこのんでギセイになるなら話は別だが、個人としての自我とは別に、社会人としての我々は誰のギセイになる必要もない。 人間は各人が各人の時代にだけしか生きられないものだから、その時代に於て最善の人生をつくったり享楽したり耐え忍んだりするべきもの、後世のためにまで自分がはからうオセッカイはいらないことだ。各時代が各時代の最善をつくし、誰もギセイにならずに、すこしずつ良くなる。そうしてバトンを渡す。 我々が千年万年、否、人間最後の理想社会などというものを設定し、今す

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    maangie
    maangie 2013/06/21
    「人は、言うまでもなく、その人の人生を生きるだけでなく、その人が生きた時代をも生きるのである」トーマス・マン『魔の山』(うろ覚え)。かつてサナトリウムとして機能した大学が崩壊してるのかもなあ。なんてね。
  • 「配慮の平等」という視点 - hituziのブログじゃがー

    先日おみせした「識字のユニバーサルデザインにむけて」という文章ですが、なかでも注目していただきたいのが、石川准(いしかわ・じゅん)さんの「配慮の平等」という視点です。いしかわさんは、盲人のプログラマで社会学者でもあります。いしかわさんは何度も何度も強調して、表現をかえて「配慮の平等」という理念を提示しています。その姿勢はとても参考になるものです。いしかわさんは、つぎのように議論しています。 多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。 たとえば、駅の階段とエレベータを比較してみる。階段は当然あるべきものであるのに対して、一般にはエレベータは車椅子の人や足の悪い人のための特別な配慮と思われている。だが階段がなければ誰も上の階には上がれない。とすれば、エ

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    maangie
    maangie 2013/05/21
    石川准。ピョン・ヂョンス「満場一致は無効だ」えっ、というタイトルだが、邦訳ないのか。ふーむ…。
  • 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー

    ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。 国家において、「民族」を 意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を 意識させるのだ。 それを 指摘し、多数派日人に「ヤマト人」や「和人」という名前を つけてみても、「名前のない多数派」は にげてしまう。「民族意識など、幻想にすぎず、そして わたしは「ナショナリズムに反対する」」のだと。そんな態度が良心的だと、なぜ おもえてしまうのか。 多数派は、名前を つける側である。そして、多数派は名前を もたない。多数派は、名前を つけられるのを いやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえし やっていることなのにだ。 民族は

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  • 日本の入国管理体制を 批判する。 - hituziのブログじゃがー

    の入国管理体制のなかで、収容されたり、強制送還されたり、労働や健康に関する権利を うばわれている ひとたちが いる。密入国した ひと、偽造パスポートで入国した ひと、資格外 労働をしてきた ひと、オーバーステイをした ひとたちだ。そのなかには出身国で迫害されていたため 国外に のがれてきた ひとたちが いる。難民と よばれる。 ほとんどの ひとが出身国では生活が たいへんだった。それは共通している。それなら、「入管に抑圧されている ひとたち」の うち、難民だけに焦点をあてることは あまり適切ではないと おもう。難民には難民の背景があり、移住労働者には移住労働者の背景がある。その ちがいは きちんと ふまえる必要がある。それぞれに支援団体が必要で、現に役割分担している。 けれども、日の入管体制に興味を もちはじめたときに、難民の人権だけに注目しようとする場合が あるように感じる。その点

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  • 反原発を 分断する優生思想。 - hituziのブログじゃがー

    反原発運動の なかでの「優生思想」の問題が、以前から指摘されてきました。たとえば、2011年2月には つぎのような記事が問題になりました。 上関原発、強行工事!! - ゆいわのきほくのわ この記事には、たとえば つぎのような文章があります。 日の原発は、たくさん放射能が漏れています。ごまかして隠してますが、原発地帯の子供達は奇形児や白血病が多いのです。 みなさんの子どもが、原発地域で育った女の子と結婚したいと言ったらどうしますか? 年頃の女の子は、奇形児を産む可能性が高いから結婚できないのです。 このひとは、結婚差別を 批判することなく、むしろ利用し、そして「奇形」を さけるべきものと規定しています。上関(かみのせき)に原発をつくるなと主張するために、このような論理は必要なのでしょうか。むしろ、反原発運動に差別を とりこむことによって、運動を 分断することになるのでは ないでしょうか。

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  • スラジュさんのことを かんがえるために(強制送還についてのリンク集)。 - hituziのブログじゃがー

    ガーナ人が強制送還の機中で「制止」されて「ぐったり」して「死亡が確認」された件についてガーナをふくむ世界のひとびとのコメント - ニートのあした ちょっと、それって・・・: ある男性の死 http://www.bochao.jp/article/13683529.html 強制送還中 ガーナ人男性死亡 詳細伝えず「捜査中」 「暴れて」手錠、タオル使用 不法残留のため成田空港から強制送還される途中だったガーナ人男性=当時(45)=が先月下旬、離陸前の航空機内で意識不明になり、搬送先の病院で死亡した。男性が暴れたため、取り押さえるために、タオルと手錠が使われたという。東京入国管理局側の対応や強制送還の決定に、問題はなかったのか。(篠ケ瀬祐司) ◇     ◇     ◇ 「謝罪も詳しい説明もなく、ただ、彼が死んだことだけ告げられた。東京入国管理局の対応には憤りを覚える」 亡くなったガーナ人、ア

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  • だれのためのデザインか(便座について)。 - hituziのブログじゃがー

    N700系の新幹線の11号車に、車いす対応トイレがある。まるい部屋に なっていて、ひろさを 確保している。ただ、ベンチレーターのひとは それでも せまくて 使用できないかもしれない。とはいえ、このトイレができたことで新幹線が利用しやすくなった ひとは たくさん いるのだろう。ひろさの確保という点では、限界があるにせよ、かなり配慮してあると おもう。 気になったのは、ちがう点だ。このトイレは、なぜか、自動的に便座があがるようになっている。手をかざすと水をながすセンサーがある。もうひとつセンサーがあって「便座をおろす」ためのものだ。これは おかしい。 なぜ、どうして、便座をあげた状態が標準設計なのか。 男性のうち、さらに、便座式のトイレで あえて便座をあげて おしっこをするひとのためのデザインになっている。便座式のトイレで、便座に すわって おしっこをすることに、なんの問題があるのか。 不潔な

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  • 原発の立地(「事故が おきたら賠償が たいへんだから」)。 - hituziのブログじゃがー

    武田徹(たけだ・とおる)『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』中公文庫(追記:このは『私たちはこうして「原発大国」を選んだ―増補版「核」論』中公新書ラクレとして復刊されました。) いっきに よんだ。参考になった。印象的だった部分は たくさんある。たくさん ありすぎるので、あまり要約したくない。ぜひ よんでみてください。 「1947年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と」(130-152ページ) この章で、武田は1961年の「原子力損害賠償法」の成立について紹介している。この法律をつくるとき、参考にしたのがアメリカの「プライス・アンダーソン法」(原発事故による賠償方法をさだめる法律)だったという。 原発事故による被害が あまりにも ひどい場合には、国が賠償するという、そういう きまりですね。 武田は、1964年に原子力委員会が つくった「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめ

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    maangie
    maangie 2011/04/14
    武田徹「「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ」isbn:4326652721。山崎隆敏「福井の月の輪熊と原発」isbn:9784938140175。中川平太夫。
  • 介護職の あなたへ。 - hituziのブログじゃがー

    介護職でも、看護師でも なんでも いいけれども。ケア労働者へ。 ありたい わたし。期待されている わたし。そういう理想像が かたほうに ある。 そして、そうでは いられない わたしが いる。そのとき、ひきさかれるように、つらくなってしまう。そういうことが ある。 武井麻子(たけい・あさこ)『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代』に引用されている短歌。朝日新聞に のったもの。 天使にもペテン師にもなりきれぬまま 二年目ナースの今日が始まる これは ないてしまう。ゆらぐ きもち。自信が もてないようす。肯定できずに、くるしい きもち。孤独。そういった感情を 感じさせる。 だけどなあ。これは ほんとうに、あなたは ひとりではないんだ。あなたの ことばに、うなづく ひとが たくさん いる。そして、それが わかったとき、わかちあえたとき、あなたは すこし楽になるだろう。そして、「今日も始ま

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    maangie
    maangie 2010/11/09
    三好春樹。高木俊介。前田拓也。
  • 介護職とボランティア。 - hituziのブログじゃがー

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20101022/1287712210 社会貢献活動というと、たいていある種のボランティア活動を指す。たとえば介護ボランティアなんかがあるが、これが素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかりというのはよく聞く話である。介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ。 んー。介護職が適切にアドバイスしたうえで、できることを してもらえば だいじょうぶだと おもいますね。「素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかり」というのは、責任を ボランティア側だけに おしつけてしまっている。そういうのは、うけいれる側(介護職)の問題でもあるでしょう。共同作業ですからね。 人間って おかしなもので、「介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ」などと いわれると、そんなことないよと いいたくなる。いっぽう

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    maangie
    maangie 2010/11/09
    「ベテランのほうが よっぽど わるいということが あったりもする」まあ、ねえ。
  • 漢字は、まちがえるのが あたりまえ。 - hituziのブログじゃがー

    漢字の よみまちがいで ひとを ばかにする反動保守を ゆるさない。 - hituziのブログじゃがーの つづきです。 うえの文章と あわせて よんでください。 ともだちに『カナ ノ ヒカリ』2009ネン、ナツ ゴウ(944ゴウ)を もらった。 『カナ ノ ヒカリ』とはザイダン ホウジン カナモジカイの機関誌です。購読すると2部もらえるので、購読している ともだちに もらっています。 さて、つぎの文章を 紹介します。 フジワラ タダシ「首相の漢字力不足と文化審議会の認識不足」『カナ ノ ヒカリ』944ゴウ、2-3ページ フジワラは、麻生太郎(あそう・たろう)が「国会答弁などで 漢字の ヨミを たびたび まちがえたことが 報道され、話題に のぼった」こと、その「マチガイ」を 紹介し、つぎのように かいている。 これについて、首相は「マンガ ばかり よんで いるからだ。」などと 批判され、また、

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    maangie
    maangie 2009/12/17
    カナモジカイの主張はあまりにラジカルで、ついて行けなかった覚えがある。昔のハナシ。id:mujige Spelling Bee Contestってのがあって、その手の問題は言語を問わないような。
  • こぼれおちたのは、異性愛か。それとも同性愛か。 - hituziのブログじゃがー

    韓国に留学していたとき、感動してよんだ文章を紹介します。 ハン・チェユン 2003 「ある非異性愛者、異性愛を問う」『当代批評』夏号(22号)、352-365。 ハンさんは、1998年の2月に『バディ(Buddy)』という同性愛専門誌を創刊した。2004年の12月に24号を最後にして、もう刊行されていないという。だが、韓国性的少数者文化人権センターは まだ健在だ。また、ひきつづき同性愛専門出版社「ヘウル」を運営している。 きょうは、そんなハンさんの文章を紹介しながら、わたしも異性愛について、ちょっと かんがえてみたい。 異性愛者たちが「自分を定義すること」に没頭したりはしないというのは、よくしられた事実だ。そのため わたしたちは、とてもマジメに「異性愛の正確な意味はなんだろう?」と質問を なげかけても、かんたんに こたえを きくことはできない。(354ページ)。 よくある表現を かりれば、

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    maangie
    maangie 2009/09/28
    まず、異性愛者や健常者の定義からはじめよう、というはなし。かな?→d:id:hituzinosanpo:20080722:1216733753
  • 集団主義をこえて、世界をいきる - hituziのブログじゃがー

    反日デモにせよ、反中国デモにせよ、韓国で集団主義的に さわいでいることに、なんでもかんでも肯定的にみるのは ちょっと いやだなあと感じてしまう。みくだして、あざわらうのは論外にしてもさ。まあ、日では韓国の反中国デモとかは あんまり しられていないか。あれも はげしいよね。はげしいから いやだなあと おもうのではなくて、その思想の方向性の問題。 韓国の反アメリカデモは「ろうそくデモ」とか、おもしろいし、魅力を感じる。だけど、反中国デモとかをみると「あーあ、はやく やめましょうよ」と感じる。排外的なナショナリズムでしかないから。もちろん、中国側で あおっている側面もあるやね。 いいたいのは どういうことかというと、韓国にいる キョクサ(極左)の友人たちとか、わたしの お気にいりの批評家たちは、そうした騒動があるたびに、いやーーーーーーな気分にさせられていることを おもうと、あーあと おもって

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    maangie
    maangie 2009/09/28
    ぶちこわすべきもの。
  • 漢字の よみまちがいで ひとを ばかにする反動保守を ゆるさない。 - hituziのブログじゃがー

    何度か かいてきたので、ながい文章にはしない。 それが だれであろうと、漢字を よみまちがえたなどといって ばかにするのは、最悪だということ。日語社会を、さらに いごこちの わるいものにする行為だということ。 麻生(あそう)は 漢字が よめないなどと いっている ひとは、思想的に あそうに ちかづいている。わたしは、あそうと ともだちになりたいとは、ぜったいに おもわない。だからこそ、「漢字の知識」で あそうを 批判するつもりはない。この漢字至上主義の 社会を 特権的に いきてしまっているものとして、漢字という障害を 批判する。それこそが、「あそう的なもの」と おさらばする道だ。 わたしは あそうが きらいだ。けれども、漢字の知識で あそうを ばかにする ひとは信用しないし、ゆるさない。そういう人物が 「自分は社会問題を かんがえている」と おもっていられる日社会は、なるほど ひどいも

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    maangie
    maangie 2009/08/25
    僕の言葉についての思想は保守的なんで、読み間違えは恥とす。が、このエントリも理解する。id:zu2氏に一票。新聞は戦前の様に総ルビにすべき。
  • 不平等な関係が「本名と通名」のジレンマを うみだす。 - hituziのブログじゃがー

    名? |liangのブログ まず、うえの記事を ごらんください。 いろいろな論点があるわけですが、ひとつ たいせつな点が論じられていないように感じました。それは、日社会において、多数派である日人は「名と通名」のジレンマを かかえていない。それにたいして、少数派である朝鮮系の住民だけが「名と通名」のジレンマに なやまされている。その非対称性が問題だということです。関係が不平等だということです。 少数派には通名がある。多数派には通名がない。 その不平等な関係に問題があるのですから、 そもそも「名」という名辞そのものがいかがわしくないか。当の自分どうように。というのは、もっとも「いかがわしい」ものを 放置してしまっているように感じます。もっとも、liangさんには とっくのむかしから わかっていることなのだと おもいますが。この記事で liangさんが とりたてて かいておられない

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  • 映画『クラッシュ』(主役も わき役も いない)。 - hituziのブログじゃがー

    アメリカのロサンジェルスを 舞台にした映画です。人種差別を テーマにしています。ぶつかりあうことで、うちとけていくという ものがたりです。なにが すばらしいって、エンドロールの「出演者の配列」です。ほとんど すべての映画では、主役から順番に 出演者の なまえを ならべています。ですが、『クラッシュ』では ABC順で ならべているのです! それは、まるで『クラッシュ』には 主役も わき役も いないんだ。それぞれに ドラマが あるんだ。それぞれに、それぞれなりの 生活が あるんだ。そんなふうに、さりげなく、そして つよく うったえているような 気がしたのです。あっぱれなもんだと よろこんでしまいました。こういうの、すきですね。 さて。 それにしても、わたしが いま こうして「人種差別」という表現を 安易に つかってしまうことに、人種を めぐる問題の ねぶかさを 感じます。属性差別(ぞくせい さ

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    maangie
    maangie 2009/06/22
    「現代アメリカを うつしだす『クラッシュ』は、「しろ・くろ・きいろ」という単純な わけかたが 通用しないことを ものがたっています」
  • 責任を ひきうける。 - hituziのブログじゃがー

    いくつかのはなし。「悪意ある責任論」の問題、いわゆる「たち位置(ポジショナリティ)」について、「おまえだって」という批判について。 差別について。 - hituziのブログじゃがー たとえば、わたしは知的障害者の施設で しごとをしてます(「あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。」)。わたしの職場はグループホームも いくつも運営しているのですが、わたしの部署は入所施設です。社会の都合で、制限された空間を いきているひとがいます。そこで しごとを している わたしは、毎日の業務で なにを どうしようとも、正義などではありえないのです。これは社会全体の問題ですから、社会をつくりなおさないかぎりは、胸をはれる日など、おとずれはしないのです。それまで わたしは、差別者でありつづけるのです。 でもだからといって、わたしが自己批判をつづけて絶望して、無気力になって、死んでしまえば正義にな

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    maangie
    maangie 2009/06/21
    ※「たとえ だれかを 傷つけるとしても、わたしは「天皇制を つぶそう」「ヤスクニを つぶす」と いいつづけます。そのへんは覚悟して いっている」ふーむ。
  • なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。 - hituziのブログじゃがー

    「われわれ」を想像する権利 - Danas je lep dan. うえの記事の、最初の部分に違和感がありました。全文は うえのリンク先を よんでください。一部分だけ引用します。 前に書いた 真に他民族を尊重するということ - Danas je lep dan. の補足のようなもの。 ぼくは前々から構築主義※1を支持しながらアイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持している事について矛盾があるのではないかと感じていて,その二つの立場の整合性を取ろうとしたのが前掲エントリなんだけれど,図書館で雑誌をパラパラとめくっていたらしっくりくる表現を見つけた。 ※1:構築主義と源主義の違いについては,質主義と構築主義 - Danas je lep dan.を参照。 「構築主義を支持」するなら、「アイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持」するのは「矛盾」でしょうか。そんなことはありません。

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    maangie
    maangie 2009/03/17
    「だれも、「髪の毛よりも まつげのほうが ながい ひと」に 名前を つけようとは おもわないし、そもそも そんなことに注目したりはしません」……禿。