というわけでたまには会員としての責任を果たすべく発表してみるわけだが、ここを読んでいる方々はお気づきの通り私あちらこちらに呼んでいただいてはお話ししているので正直タネ切れ気味であり、もう一人の報告者であるY村君がむつかしいことを喋ることが容易に予測できたこともあっておおざっぱに肌理の大きな話をすることにする。で、「法整備支援は何が面白いか:法哲学の観点から」。 まあその、最近学会の途中からいなくなってカンボジア出張とか正直法哲学会には不義理が続いているので、なんでそんなことになっているかという釈明も兼ねたわけであります。内容は、法整備支援の現状がどうなっているかということと、その理論的なバックグラウンドが実は貧弱であること(たとえばそこで頻発されている「法の支配」という言葉が何を意味しているのかさえ十分に共有されたイメージがないこと)、実はそのあたりって法哲学とか法社会学とか、つまり一国の