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2008年6月30日のブックマーク (2件)

  • 承認フレームワークの拡張 - socioarc

    承認フレームワークの拡張 Society 1ヶ月ほど前に「国民総幸福量の増大には価値観の真の多様化が必要」というエントリを書きかけて放置していたところ、例の秋葉原の事件が起きてぎょっとした。「価値観の多様化」という言葉はモノやサービスが大量に売れなくなった原因として挙げられる訳だが、それはあくまでも商品の好みが多様化しているだけであり、こと生き方や幸福観としてみた場合には余り多様化していないどころか、むしろ画一化しているようにすら感じられる(例えば、「「見た目」依存の時代―「美」という抑圧が階層化社会に拍車を掛ける」とか「容姿の時代」)。 先の事件が承認の問題が遠因あるのではというのは、先日のニュースメモでも書いたが、socioarcでは以前から「ベーシックアクノリッジメント(基的承認)」などで取り上げて来たように、承認を得られないこと、承認格差が社会の不安定化に繋がるという問題意識があ

    massunnk
    massunnk 2008/06/30
    「家族(+恋愛/友人)」「仕事」「カネ」に「宗教・イデオロギー」「アキバ系」「ネット」…どれもK君を救うには十分ではなかった。グローバル時代では「仕事」「カネ」で報われない人は一定数出る。それをどうするか。
  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
    massunnk
    massunnk 2008/06/30
    「我々が欲しているのは、単なる承認でも物語でもなく、その奥にあるアイデンティティの統御システムである。」