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ブックマーク / setofuumi.hatenadiary.jp (4)

  • 瀬戸風味@はてな - 時かけ高瀬君問題

    あー、こういった流れはそれとなく知ってはいたんですがそれは資というかメディアというか、全国区なものになってしまっているもので、その部分が(差異化ゲームとかでなしに競技や娯楽として)発展していくのは良いことなんだけど、その流れによって狭い部分での差異化がスポイルされていたりするんではないかな、というのがあります。あ、でも(ただの優越感比べ的な)差異化がなくなればそれはそれでいいのか。いやでもそういった差異化から生まれてくるものもあるのでは、といったような。 んー、繋がってないな情けない。メディア/現場というところで引っかかったんだけど。 http://d.hatena.ne.jp/nitino/20060831 を読んでいて変な感情*1が湧き上がってくるのを強く感じたので薄ぼんやりと考えていたところ 恐らくhttp://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20060705#p

    瀬戸風味@はてな - 時かけ高瀬君問題
  • 書くことをスポーツに例えてみると - setofuumiの日記

    webで一行コメントをすることから作品として長い文章を書くことまで含めて、書くことというのは「うまくいくかどうかわからんけどやってみる」というものだと思っている。「こんな風になったらいいなあ」という理想(目標、目的、意図)があって、なるべくそうなるようにやってみる、が、結果がどうなるかはやってみないとわからない、といったような。 スポーツでいうと「幅跳びの自己記録を伸ばしたいので助走つけて飛んでみる」とか「ランナーを2塁に進めたいのでバントをしてみる」とか。 時折、結果から全てを逆算して「バントを失敗したということはランナーをアウトにしたくて自チームを負けさせたいためだな」とか看破してしまうエスパーさんが出没したりするけど、意図と結果というのは直結するものではないし、他人の意図というのはそう簡単に見えるもんではないよな、と思う。 もちろん、観測できるものが多ければ(1スイング→1打席→1試

    書くことをスポーツに例えてみると - setofuumiの日記
    massunnk
    massunnk 2007/06/21
    とりあえず言葉にしてみること
  • 2007-02-20

    http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20070217/p1 大変面白かった。「Rule-Breaking」というフレーズはいいなあ。俺がゲームを語る時に意識していることはこういうことだと思った。 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060629/p3 に関しての「やりこみの陳腐化」みたいな問題に関してはhttp://d.hatena.ne.jp/setofuumi/10060706#p1で過去に書いたのがあるか。なんだかんだいって「ゲームプレイ、あるいはゲーム結果を人に見せる(そして評価される)」という部分が重要になってくるよね、というか。*1 あと音ゲーに関して受動的というのはどうなんだろうかなあ。多少音ゲーやるものとしては(STG愛に溢れる人から怒られそうだが)レバーに特化したのが弾幕STG、ボタンに特化したのが音ゲ

    2007-02-20
  • 2006-09-08

    「しない」教の信者、というフレーズを最近考える。 というのは数年前の自分が色々とすることしなかったせいでだめなことになってたのもあってここ最近の俺は「しない」ことにあまり価値を見出さなくなってきているのだけれども、それでもやっぱり世の中には「しない」ことに価値がある、という価値観が結構あるわけで、それというのはまあバッサリ言ってしまえば「しない」我々は素晴らしい、「する」彼らはろくでもない、というルサンチマンなんだろうけれども(○○したら負けだと思ってる、ってか)、それはまあしょうがねぇのかなぁ、とか思ったりしないことも無い。誰もが誰も超人じゃねぇし俺もちょっと前まではそうだったわけだしまだ抜けきってないし。 というか何なんだろうな。彼らは来的に「しない」=価値アリと素朴に感じているのか、それともオフラインでの反動としてのネット上での振る舞いなのか(つまりオフラインの一場面では過剰に「し

    2006-09-08
    massunnk
    massunnk 2006/09/12
    斎藤環か!
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