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ブックマーク / tokyocat.hatenadiary.jp (9)

  • ★数とは何か そしてまた何であったか/足立恒雄 - 東京永久観光

    昨日紹介した『数学者の哲学 哲学者の数学』を読んでいて、アマゾンの書評が目にとまった。一部を引くと―― 《たとえば「空間」という言葉ひとつをとってみても、各時代によって、そして個人的にも、イメージは大いに異なる。今の幾何学者はギリシアの幾何学者と同じ図形的イメージや直観を基にして研究しているわけではない。実数や複素数を考えると「数」にしてもそうである。違うものをイメージしているのに、概念の永遠性・普遍性なんて言葉は数学にとって何か意味があるのだろうか?》http://www.amazon.co.jp/review/R11T4ITR13BU99/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4489021038&nodeID=465392&store=books 評者は「あだちのりお」、数学者の足立恒雄氏と思われる。だいぶ前、私はこの方の『無限の果てに何があるか』に出会い、

    ★数とは何か そしてまた何であったか/足立恒雄 - 東京永久観光
    massunnk
    massunnk 2012/06/25
    ★数とは何か そしてまた何であったか/足立恒雄 - 東京永久観光 (id:tokyocat / @tokyocat)
  • つぶやきの銀河 - 東京永久観光

    ツイッターを眺めていてつくづく感じるのは、情報もまた人間と同じように砂粒化が激しく進んでいるのだということ。同時に、インターネットに仮に意識みたいなものが生じても、それは1人のブログや1個のつぶやきの次元ではないということ。 ●流浪するつぶやきの民 ツイッターのつぶやきのすべては、たとえば「はてな」などといった古き良き領域だけに留まることはもはやかなわず、インターネット全体をコントロールするグローバルな情報の力学だけによって、まるで砂粒のように流動化し漂い続ける。 これはなんだか国家の形成と崩壊を思わせる。 国家と国民は人間の長い歴史に生じた一過性の奇跡だった。それと同様、はてな国やはてな国民の形成もまた、ネットの歴史においては幻のごとくであり、もはやそのタガは緩み崩壊は止められない。 そうしてどうなるのか。私たち国民はみなグローバルな経済や政治の力学だけで流動する砂粒になる。日もアメリ

    つぶやきの銀河 - 東京永久観光
  • 東京猫の散歩と昼寝 - 所有と国家のゆくえ

    稲葉振一郎・立岩真也『所有と国家のゆくえ』(asin:414091064X) 稲葉氏は、この対談で、自分が教わろうと思っていたことと、自分が教えようと思っていたことの、割合はどれくらいだったのだろう。半分半分? でも結果としては、どうも8割がた教えることになってしまったなと、感じているのではないか。 私はというと、「なるほど〜」「そうか〜」と知識が広まり深まったのは、100パーセント稲葉氏のレクチャーからだった。 なぜか。 じつをいうと、私が心のなかで思っていても世間の風向きを考えればいくらなんでもまともには口にできない類の、きわめて愚直な思いつきのまるで100パーセントを、気弱ながらも堂々たる論陣を張って展開しているのが、立岩氏だからだ。 「みんな生きなきゃいけない。だからとにかくみんなで分けよう」「あなたがもっているそれですけど、どうしてあなたのものだと言い張るのか、私にはわからないん

    東京猫の散歩と昼寝 - 所有と国家のゆくえ
  • 東京猫の散歩と昼寝 - 学問バトン

    SAKさんから回ってきた。http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20070725/1185348674 学問はそれこそ門外漢だが、一応。 ●あなたの専門・専攻・得意教科は? 認知構造分析。今考えた。もちろん先生でも学生でもない。ちなみに高校では数学と物理が、大学ではすべてが不得意だった。とはいえ、知ること分かることはことごとくエキサイティングなり。 ●あなたは、どのようなテーマに関心がありますか? 人間がこの世界を把握する方式の核心は何なのか。たとえば言語だろうか、意識だろうか、運動と感覚の媒介性だろうか、時間や空間の枠組みだろうか。またそれらは宇宙のさまざまな存在や現象の中でどれほど特殊なのか、はたまたどれほど普遍なのか。そんなことがとても気になる。それがインターネットによって変容しつつあるようなのもけっこう気になる。ただそれに先立って「宇宙とこの私がなぜ無いので

    東京猫の散歩と昼寝 - 学問バトン
  • 『大日本人』―松本人志の最高峰(追記7.21) - 東京永久観光

    前評判がほとんど聞こえてこなかったので期待もそこそこに足を運んだところ、ああ驚愕、逆転満塁場外ホームラン! ヘンなデキモノみたいな違和感から来るいわばじくじくした笑いの持続。そこに「ええっ、大日人ってそういうことなわけ!」に代表されるもはや唖然として高笑いするしかない奇天烈な転回。そんな独特でおなじみの世界が、やはりテレビとは比べものにならない大画面と大音量、さらに細部まで徹底したリアリティーでもって炸裂する。 頭をガンと殴られた感は、私としては『田園に死す』や『ゆきゆきて、神軍』に匹敵した。美術や演劇を含めてもこれほど面白がれた表現物はなかなか思い出せない。きょうびの芥川賞なら10作くらい束になってもかなわないだろう。 しかし考えてみれば、それほどの衝撃も当然予測してかかるべきだった。なんといっても松人志の集大成、総力戦とおぼしき大チャレンジなのだ。それにしては、カンヌの皆さんはさて

    『大日本人』―松本人志の最高峰(追記7.21) - 東京永久観光
    massunnk
    massunnk 2007/07/21
    まだみてねーや
  • ミクソリディアンモードって知ってる? - 東京永久観光

    ミソクソというかミクシーのことなんだけど、このところ朝メールをチェックすると、数々のジャンクメールに「mixi」というのが交じっている。「知人の日記が更新されましたよ」という速報がいちいち届くのだ。そう言われるとこっちもいちいち読みに行ってしまう。「はてなアンテナ」より先になったりするのだから、すごい。で、相手の素性は知っているし関心も似ているから、つい面白くて気軽にコメントしてしまう。 そんなわけで、ブログほど大海ではなく、MLほど井戸の中ではない、この微妙な領域が、こうしたオートパイロット式ネット生活を習俗化する。ただ、なんとなく嬉しくないのは、その日記をこの私が読んだということが、時刻や回数を含めて相手に正確に知れてしまうらしいことだ。この人ずいぶん暇なんだなとかずいぶん早起きなんだなとか、たぶん分かってしまう。もうそのあたりはまあどうしようもない時代なのか。 * ところで、ずっと「

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  • 東京猫の散歩と昼寝 - 私も東京から考える

    東浩紀・北田暁大『東京から考える』(asin:4140910747) * ショッピングセンターやファミレスなどが郊外の幹線道路沿いにボコボコと並び建つ。日のいずこでも顕著なこの光景。人々の生活や感覚もそれに応じて変化していると思われる。こうした現象は「郊外化」「ジャスコ化」などと呼ばれる。 実際この光景は、私も郷里でつとに目にしていたし、東京在住後も少し遠くへ足を伸ばせばいやでも実感する。毎度「いやはや」とつぶやきたくなる。 この都市構造の変質に、さて東浩紀はどうコメントするだろう。と思って読んでいくと、あっけない見解に出会う。要は「避けられないのだから仕方ないし、いくらか必要でもある」(引用ではない)というかんじ。たとえば――。 東 《僕としてはそれは必ずしも否定すべきものではないと捉えている。というのも、そのジャスコ的世界は、ある意味で安全で清潔な世界だからです。(略) 少なくとも東

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  • 東京猫の散歩と昼寝 小説の人間原理 ~ 佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」

    高橋源一郎のインタビュー(文藝06年夏号 聞き手=柴田元幸)に関して、もう少し。 インタビューの最後のほうで、高橋源一郎は、「近代文学あるいは小説が終った後には何が来るのか」という問いを発端にして、小説というジャンル自体への無条件の信頼を改めて表明している。 《小説というものは、言語芸術におけるいちばん新しい存在、ニューフェースですよね。だから、言語を使った、何か新しい芸術形式が生まれ、それが新しいジャンルとして成立し、みんないいということになって、小説がお役御免になっても、それはそれでいいんじゃないかというふうに思うんです。しかし、そのようなジャンルXの存在を僕は想像できません。なぜなら「小説」というものの最大の特徴は「人間」が、そこに登場することで、そして「小説」以上に「人間」というものを説明できる手段を我々は持っていないからです》 《…小説は、等身大の人間が出てきて何かを行なうという

    東京猫の散歩と昼寝 小説の人間原理 ~ 佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」
  • 東京猫の散歩と昼寝 - 演劇しゃべり場 ~ 『エンジョイ』

    『エンジョイ』(作演出=岡田利規 、新国立劇場、12.15) http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/10000119.html 演劇を見たことがないのはもちろん、そういうものがあることすら知らない者が、初めて演劇を見せられた時のように、というとさすがに大げさかもしれないが、そう言いたくなるほどビックリの連続だった。 ……というわけで、懸案の腰をこんどは抜かす。 舞台に出てくる人はみな、まず「**という人がいまして、その**さんが、このたび、〜ということになりまして」のごとく説明を入れ、その後からその**さんになりかわってしゃべるのである。 「**になりかわってしゃべる」人を役者という。だからつまり、役者がナレーターを兼ねている。いや、それは時々あることか。というより、ここではナレーターがデフォルトで、「じゃあここから役者も兼ねますよ」みたいに感じら

    東京猫の散歩と昼寝 - 演劇しゃべり場 ~ 『エンジョイ』
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