タグ

political thoughtに関するmicrotestoのブックマーク (502)

  • 事前的ルールを選ぶ自由──リバタリアンはハイエクを越えよ/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    事前的ルールを選ぶ自由──リバタリアンはハイエクを越えよ 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リバタリアン#ハイエク この連載では、ここ数回、「固定的人間関係がメジャーだった世の中から、流動的人間関係がメジャーな世の中への転換に合わせて、それにフィットした政策を支える思想も転換しなければならない。それは何か。」ということを見ています。新自由主義も第三の道も、それぞれナショナリズム、コミュニタリアニズムという、固定的人間関係にフィットした思想を採用したために矛盾に陥ってしまったのでした。 そこで前回から、流動的人間関係にフィットした思想として最有力の、リバタリアンの思想を検討しています。リバタリアンと言えば、「税金なんか払わないよ」と言っている人たちというイメージが強いのですが、「左翼リバタリアン」と呼ばれる一派は、困った人のために税金をとることを正当化しています。彼ら

    事前的ルールを選ぶ自由──リバタリアンはハイエクを越えよ/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 2013年の政治思想

    大仰なタイトルに見えますが,昨年の試みを継続して,政治思想史・政治理論分野での収穫を簡単に振り返ってみるというだけのことです.内容に踏み込んだコメントを付す力量はありませんので,あくまで表層的なまとめに徹します. さて,昨年同様に教科書・概説書から入るなら,まずは宇野重規『西洋政治思想史』有斐閣(有斐閣アルマ Basic)の刊行が目を引きます.西洋政治思想の通史としては川出/山岡『西洋政治思想史』が昨年出たばかりですが,単著の通史はしばらく現れていませんでした.やはり昨年に川崎/杉田 (編) 『現代政治理論』新版が出ていますので,これでテキストはかなり充実を見たはずです(残るは日/東洋政治思想史でしょうか).なお,同著者による宇野重規『民主主義のつくり方』筑摩書房(筑摩選書 76)は,現代民主主義の可能性をプラグマティズムに見出そうとする卓抜なエッセイです. 刊行中の古賀敬太 (編) 『

  • Amazon.co.jp: ドイツ保守革命―ホフマンスタール/トーマス・マン/ハイデッガー/ゾンバルトの場合: 伯水,青地, 裕,國重, 健太郎,恒木, 和秀,友田: 本

    Amazon.co.jp: ドイツ保守革命―ホフマンスタール/トーマス・マン/ハイデッガー/ゾンバルトの場合: 伯水,青地, 裕,國重, 健太郎,恒木, 和秀,友田: 本
  • 松尾隆佑 2012, 政治/理論, 政治をめぐって, 31, 1-25.pdf

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • 「一般意志」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20120308/p1 ジャン・ジャック・ルソーの「一般意志(volonté générale)」の意味が問題になっているようだ。そこで、『社会契約論』第2編第3章「一般意志は誤ることがありうるか(Si la volonté générale peut errer)」の井上幸治訳(中公文庫)と仏語原文*1を見てみた。曰く、 全体意志と一般意志には、しばしば多くの差異がある、一般意志は共同利益にしか注意しないが、全体意志は私的利益を注意するもので、特殊意志の総和にすぎない。しかし、この特殊意志から、相殺される過剰の面と不足の面を除去すれば、一般意志がその差の合計として残るのである。(p.41)ルソーの謂う「一般意志」って

    「一般意志」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 山口二郎氏の反省その2 参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!? - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    雑誌『月刊マスコミ市民』2月号で、山口二郎氏が今さらのように「参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!?」と語っています。 >大阪の動きを見ていて私たちが反省しなくてはいけないと思ったのは、参加とか直接政といった概念が、決して自動的に民主主義をもたらすわけではないということです。憎悪や怨念など人間の感情を基にした参加は、極めて破壊的な効果をもたらすことがあるのです。 立派な政治学者が今頃になってそんなことを言い出さないでよ!!といいたくなりますね。 実は、山口二郎氏と私は同年齢。同じ年に同じ大学に入り、同じような環境にいたはずですが、私がその時に当時の政治学の先生方から学んだのは、まさに歴史が教える大衆民主主義の恐ろしさであり、マスコミが悪くいう自民党のプロ政治のそれなりの合理性でした。 >今までは、自民党一党支配という大きな構造や霞ヶ関の官僚支配といった強固な枠組みがありました

    山口二郎氏の反省その2 参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!? - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • Papers on Epistemic Democracy in Practice

  • ヌスバウム『感情と法』(1)[感情は認知的価値を持つ] - charisの美学日誌

    [読書] ヌスバウム『感情と法』(慶応大学出版会) (1) (写真は原書表紙。Hiding from Humanity というタイトルだが、Humanityという語の意味が通常とは違う。「おぞましさ」や「弱さ」を持つ「人間であること」の意味で使われている。邦訳ではこの絵は使われていない。) 現代アメリカリベラル派哲学者マーサ・ヌスバウムは、2004年にHiding from Humanity ―― Disgust, Shame and the Law を刊行した。2010年には邦訳『感情と法――現代アメリカ社会の政治的リベラリズム』(慶応大学出版会)も出た。書は、「怒り」「嫌悪」「羞恥」などのネガティブな感情の性を分析し、概念を十分に区別することによって、これらの感情が我々の生において果す役割、とりわけ公共的行為やジェンダー文脈における重要な機能を考察している。そして、それらが法の規

    ヌスバウム『感情と法』(1)[感情は認知的価値を持つ] - charisの美学日誌
  • 熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground

    日々不勉強を沁み込ませている身では、専門的なことについて何かを言うということははばかられるのですが、しかしそれでも感じたり考えたりしていることを折々に吐き出しておかないと、いつまで経っても何も言えないことになるので、最近細切れに書き付けていることなどをラフにまとめておきます。お題は「熟議」です。 松浦正浩([twitter:@mmatsuura])さんは、社会的合意形成を導く営みとしての「交渉」と「熟議」を、それぞれ次のように特徴付けています。すなわち、交渉が「各当事者の価値観や利害関心は不変であることを前提に、それぞれの利害関心を満足させる最適解」を模索する点で「利害調整に主眼」を置くものであるのに対して、「利害関係に縛られない自由な対話」を通じて「公共的な価値観を創生していくこと」を重視するのが熟議的デモクラシー(deliberative democracy)である、と(松浦 [201

    熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground
  • [書評]いまこそルソーを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ

    ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)については、翻訳だが私もそれなりに主要原典を読んできた。カントのように「エミール」(参照上巻・参照中巻・参照下巻)には一種の衝撃も受けた。これは難しい書物ではない。先入観なしに誰でも読むことができる。長編の割に読みやすく、おそらく読んだ人誰もが人生観に影響を受けるだろう。特に娘をもった父親には影響が大だろう。他、「告白」(参照上巻・参照中巻・参照下巻)は、ツイッターで元夫の不倫をばらすような近代人の猥雑さが堪能できる奇書でもある。 そして、と紹介していくのもなんだが、私はこうしたルソー人への関心と、政治哲学の基礎文献でもある「人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)」(参照)や「社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)」(参照)などの理解とは旨く像が結びつかない。前者の人文学者としてのルソーへの共感と、後者の

  • 「壁と卵」の現代中国論6

    第6回 中国の「人権」の話をしよう 2010年ノーベル平和賞の衝撃 10 月初めに発表された2010年のノーベル賞に際して、中国の民主化運動の中心人物である劉暁波の平和賞受賞のニュースが中国の内外で大きな波紋を投げかけたことは記憶に新しい。受賞が発表された瞬間、共産党政権に批判的な中国人ネットユーザーが多数アカウントを登録しているツイッターのタイムラインでは、「祭り」といってよいほどそれを歓迎する中国語の書き込みが相次いだ。ちょうどその時期日を訪問していたジャーナリストの安替(マイケル・アンティ)は、東京のモンゴル料理店で仲間たちと受賞を祝い、中国の民主化を願ってテレサ・テンの「月亮代表我的心」を合唱した、という「つぶやき」を残している。 劉の受賞は日のマスコミにおいても異例の注目を集め、その思想的な背景についての紹介がなされると共に、長らく絶版になっていた彼の旧著『現代中国知識

  • https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=sites&srcid=ZGVmYXVsdGRvbWFpbnxwb2xpdGljYWx0aGVvcnlvZmVnb2lzbXxneDozNGJhMjFhMTYxNmRmNjhm

  • ニコ生サンデル@20100827 - D's BLOG

    昨晩のニコ生サンデル、メモはとったものの、twitter でつぶやくには長くなりすぎたのでブログのエントリに変更。 #sandel 001 昨日のニコ生サンデル。冒頭の早川社長挨拶。よく聴き取れなかったが『憲法で読むアメリカ史』 http://amzn.to/bp75Jh http://amzn.to/9hqkSu の阿川尚之さんが関わっているとのこと。『ジョージタウン・ロー・スクール留学記』 http://amzn.to/dtNoxJ で有名な方だが、『合衆国憲法のできるまで』 http://amzn.to/aEKL1A の訳者でもある。 #sandel 002 こういう場合に必ず何かジョークを入れなければならないようで、今シーズンのボストン・レッドソックスの調子について質問。「はかばかしくない。イチローを借りることができたら」とサンデル。つかみはオッケー。素晴らしい人間力。 #sand

    ニコ生サンデル@20100827 - D's BLOG
  • 政府:不必要だが避けられないもの - Shouting Fire in a Crowded Theater

    リバタリアニズム内の論争のひとつに、どのような国家までを正当とみなすのかというものがある。ひとつは現実政治にも大きな影響を与えたミルトン・フリードマンやフリードリッヒ・ハイエク等の一定の役割に「制限された政府(limited government」)を主張する立場だ。リバタリアニズムの(学術的な)代表的論者とみなされているロバート・ノージックのような「最小国家論(minimal statism)」も基的にはこちらに分類できるだろう。もうひとつの立場が国家の完全な廃絶を目指す立場、いわゆる無政府資主義(anarcho-capitalism)だ。この考えを代表する論者としてまずマレー・ロスバード、それからD・フリードマンらがあげられる。 ぼくは自分のことをハードコアなリバタリアンだと考えているが、実際自分が上記のどちらの立場なのかという点について今まで明確に書いたことはなかったように思う。

    政府:不必要だが避けられないもの - Shouting Fire in a Crowded Theater
  • いただきもの - sunaharayのブログ

    御厨貴先生から『権力の館を歩く』を頂きました。ありがとうございます。毎日新聞の連載をまとめられたもので,連載中からいつかになるのかと楽しみにしていたものです。 最近の社会学での「環境管理型権力」の議論とか,アーキテクチャへの注目にもあるように,建築と政治の関係はますます重要になっているにもかかわらず,(少なくとも政治学者の)研究としてはほとんどされていないところかと思います。しかしこのを読むと,この分野の研究が非常に挑戦的なもので,そしてまた今後有望な分野であることを強く感じます。特に,このでは東京都庁・北海道庁(赤レンガ)・沖縄県庁が扱われていましたが,それ以外のところを含めた地方自治に関する「権力の館」についても,地方ごとの異同も含めて議論されるところだろうという印象を持ちます。 ただ,その方法というのはなかなか難しいだろうな,という直観も,感想としてもったところです。理論志向を

    いただきもの - sunaharayのブログ
  • 千葉 2009 - tamuraの日々の雑感

    以前に頂いていた、千葉眞『「未完の革命」としての平和憲法』(岩波書店、2009年)を、手に取り、読み終える。 「未完の革命」としての平和憲法 作者: 千葉眞出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/12/22メディア: 単行 クリック: 20回この商品を含むブログ (2件) を見る僕の理解では、書の主張は次の二つである。一つは、一般的に(近代)立憲主義を、「法の支配」に基づく支配権力の制限と抑制という意味での「消極面」(リベラル・モメント)だけでなく、人民主権に基づく支配権力の創出と制定という「積極面」(構成的モメント)においても理解するということである。もう一つは、具体的に日国憲法において、「デモクラシー、人権尊重主義、平和主義」を、その構成的モメントとして理解することができる、ということである(日国憲法は、これらの構成的モメントの将来における実現を約束する「未完の革命」と

    千葉 2009 - tamuraの日々の雑感
  • PDF : 安藤馨『統治と功利』合評会 ― 江口聡

    安藤馨『統治と功利』合評会 江口聡∗ 東京法哲学研究会 2007/1/12 成城大学 • 80 年代以降の功利主義・帰結主義の重要な論点をほぼ網羅。 • 時点主義・極小化主義をとる間接功利主義の観点からの議論は注目に値する。 • 功利主義 FAQ と一応の(過激な方の)答として、標準的な功利主義擁護ガイドになることを期待。 1 功利主義の魅力 1.1 世俗性・直観との適合 • 特殊な形而上学的前提に訴えない。 •「結果は大事」「幸せは大事」「なにかよいことがあればそれはなるべく多い方がよい」「みんなが幸せに なるのがよいことだ」といった道徳的直観に適合。 1.2 問題解決能力 • 道徳的ジレンマを解消できる。 • 事実に関する十分な知識があれば、一応どんな道徳的問題についても答えが出せる。 • 予測が難しいことについてもそれなりの答が出せる。 1.3 シンプルさ ヘア (Hare, 19

  • 再び代表について - 研究生活の覚書

    代表するとはいかなることであるのか。以前、このブログでは、国会議員についての二つの代表観を検討したことがある。国会議員は、「地域代表」であるかのか、それとも「国民代表」であるのか。議員の選出が各地選挙区で行われる以上、その議員は、あくまで選出地域の代弁者であるというのが「地域代表」という考え方である。それに対して、選挙区が分割されているのは利便性と多様な国民の意見を吸収するための手段なのであり、国会議員として選出されたからには、議員は全体の利益を自らの裁量と責任によって独自に判断し、国民全体の奉仕者となるべきとするのが「国民代表」という考え方である。おおよそ大学で学ばれる法学(スコラ法学)は、後者の立場、すなわち「国民代表」を通説としている・・・ような印象がある。 民主制とは、議決が自分の見解と違ったものであっても、多数意見に従うこと、その「当は不同意」の多数意見がもたらす帰結を自己の責

    再び代表について - 研究生活の覚書
  • 政治思想学会2010に参加 - 山中優の教育・研究随想録

    今日は、東京大学・郷キャンパスで開催された2010年度政治思想学会に参加してきた。今日・明日の二日間の日程での開催だが、私自身は日帰りで今日のみの参加とさせていただいた。いま帰りの新幹線の中で、この文章を書いている(学会プログラムの詳細はこちら。ただし、報告ペーパーのダウンロードは政治思想学会員に限定されている)。 今回の共通テーマは《福祉社会と政治思想》というもので、私の研究テーマと密接に関わるものだった。とくにシンポジウムⅠでは「市場イメージの再検討」がテーマとされており、その第三報告が、ハイエクの市場イメージについて、その法の支配概念と科学論の検討を通じて論じるものだったので、大変興味深く聞かせていただいた。 その報告者だった酒井弘格会員(法政大学)に、私の方から質問を2つさせていただいたのだが、その1つ目は、「ハイエクが、みずからの市場イメージとの首尾一貫性が損なわれてしまうにも

    政治思想学会2010に参加 - 山中優の教育・研究随想録