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東浩紀と思想に関するmn_krのブックマーク (21)

  • 確率の前と後 - on the ground

    東浩紀が福嶋亮大にインタビューを受けた「オルタナティブの思想」『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』(講談社BOX、2007年)から(初出2006年)。 じゃあおまえはなぜ一回性とか確率とか言うんだ、というと、これはちょっと難しい話で、僕もよく言語化できません。そのうえで言うとこんな感じです。つまり、人生が百万回くらいあったとする。永劫回帰です。みな人生は一回しかないから貴重だと思っているわけだけど、当はそうじゃない。それで、僕の人生はすでに十回繰り返されていて、いまがその七回目だとする。僕の哲学というのは、その七回目の人生は七回目なりにグッドエンドを目指そう、みたいな感じなんです。僕が『ファウスト』の原稿で言いたかった一回性は、そういう一回性です。無数の反復のなかの一回。 こんなことを言うとバカにされそうだけど、僕のポストモダンの二層構造とか、ああいう話の根底にあるのは当に美少女ゲ

    確率の前と後 - on the ground
  • 講談社BOOK倶楽部|最新公式情報満載! お気に入りの一冊に出会える書籍ポータル

    なぜ抜ける?白くなる?「頭皮のツボ」で解決!【Matty式・解毒棒マッサージ】 『Mattyのまいにち解毒生活 太らない、疲れない、病気にならない。』 著:Matty 最近白髪が目立つ、トップにボリュームがなくなってきた、首の横ジワが気になる ……そんな方におすすめしたいのが、カリスマ足ツボ師で解毒のプロであるMattyさん が推奨するシャンプー法。49歳の今でも白髪・抜け毛知らずのMattyさんが長年続け ている方法を、詳しくご紹介します。

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    mn_kr 2009/08/12
    最終結果の発表(村上が選出)。一年間ウォッチし続けてきたので記念にクリップ。
  • 韓国「教授新聞」 - hazumaのブログ

    韓国の「教授新聞」という大学関係者向けのメディアより、メールインタビューを受けました。下のサイトに韓国語で掲載されています。 http://www.kyosu.net/news/articleView.html?idxno=18058 日語で記した応答の全文を以下に公開します。誌面の都合上、翻訳掲載されているのは一部だけかと思います。 ぼくのところにはしばしば外国から取材依頼が来るのですが、「オタクの心理について知りたい」とか「萌えについて説明してくれ」というものが圧倒的に多く、そういうのは軒並み断っています。しかし、このメディアの質問はとても真摯なものだったので、引き受けたのでした。 ■ ――1.初期デリダに対する研究から、おたくなどサブカルチャーに対する研究に至るまで東浩紀先生の軌跡には、他の研究者からは独特だと思われている点も多々あるのではないかと思います。先生が研究者として生きな

    韓国「教授新聞」 - hazumaのブログ
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    mn_kr 2009/04/25
    “イデオロギーがない状態、つまり「友」と「敵」が単純に区別できなくなった世界において、言論人がどうあるべきかと考えていくのが、とりあえずの課題だと考えています”|「人間的部分と動物的部分の解離的共存」
  • アーキテクチャと思考の場所

    今日の建築を巡る問題とは何か。そして社会の問題にその問題系は接続しえるのか。2009年1月28日に開かれた巨大なシンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」は、そのような問いを共有した1,000人もの聴衆がその答えを求めるべく、6名の白熱したパネラーの議論を4時間もの長きに渡り追い続けた一夜だった。 モデレーターは東浩紀、パネラーは磯崎新、浅田彰、宮台真司、宇野常寛、濱野智史。建築のみならず社会学から経済学、文芸批評、情報社会論まで、今日の各分野を代表する識者が集い、今日の建築と批評を巡る問題系について議論を展開するというかつてないセッティングが行なわれた。そこで議論されていたテーマの可能性についてここで振り返ってみたい。 アーキテクチャの生態系 タイトルの「アーキテクチャと思考の場所」に関連して。アメリカの法学者L・レッシグらが語るアーキテクチャ型権力といういわば匿名の権力が物理環境と情報

    アーキテクチャと思考の場所
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    mn_kr 2009/04/13
    “ルフェーブルは科学者・建築家・計画家による空間の概念を「空間の表象」と呼び、対してユーザーの身体的な経験に基づく空間の概念を「表象の空間」と呼び慣わし、両者の相互作用によって現実の空間が生産される”
  • 政府紙幣 - hazumaのブログ

    たまには慣れない政治の話を。といっても別にオリジナルの意見があるわけではなくて、感想ですが。 政府紙幣の発行に向けて議員連盟が出来たらしいですが、この「政府紙幣」というアイデア、学生のころに岩井克人の『貨幣論』などまじめに読んだ身からすると、とんでもない話に聞こえます。それとも、ぼくの知らぬあいだに経済学のブレイクスルーでも起きたのでしょうか。日銀の管理を外れて、政府がじゃんじゃん紙幣を刷って公共事業でもやろうという話のようですが、常識で考えてそりゃまずいでしょう。 なんというか、不況や派遣切りばかりがマスコミで取り上げられて、財政改革とか言っているやつはネオリベで氏ねみたいな空気になっていますが、日の財政赤字はこの10年間でとんでもないことになっている。それは事実なわけです(下に財務省のサイトからわかりやすいグラフを張っておきます。慣れない資料を探してしまったw)。 http://ww

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  • 090128_Wed 東工大シンポジウムをポメる――〈切断〉と〈署名〉 - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

    筑波批評社の面々が都内まで来て聴講しに来るということを聴きつけ、補講終了後、だらだらと大岡山に向かいました。 到着するまで、大学の教職で知り合った親切な教官から印刷代をお支払いして譲っていただいた、J.ジェインズの私家版訳を読んでいました。ISBNコードがついたもちゃんと出ているのですが、この同人誌の方が翻訳に気合が入っている(らしい)。 面白いです。神話・哲学・心理学・物語論・レトリック論が渾然一体となったような魅惑的な議論が序盤からひたすら続いている。しかもアイディアの核となる〈双脳精神〉という概念がとてもよい。私たちの祖先は、「意識」と呼んできたものを外にも置いていた頃があったかもしれない(そしてそれが「神々」と呼ばれていたのではないか)というようなことが仮説として論じられている。トンデモ一歩手前ですが、これって宮崎駿映画の主人公達にそのまま当てはまりそうです。彼・彼女らは、自我の

    090128_Wed 東工大シンポジウムをポメる――〈切断〉と〈署名〉 - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)
  • 東京工業大学・世界文明センター・講演会「アーキテクチャと思考の場所」レポート - 萌え理論ブログ

    概要 公式 東京工業大学 世界文明センター:講座・催しへようこそ 講師 浅田彰 磯崎新 宇野常寛 濱野智史 宮台真司 東浩紀(司会) 講演内容: 建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの3つの意味をあわせもつ言葉「アーキテクチャ」。それは、現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。では人文的な知は、そのような権力の台頭にどう対峙すればよいのか。 建築家の磯崎新、社会学者の宮台真司、経済学者の浅田彰を招き、新世代の論客が論戦を挑む。 2009年1月28日(水)、東京工業大学・大岡山キャンパス講堂にて、「アーキテクチャと思考の場所」と題する講演会が開催された。まだ公式な数字ではないが、平日にも関わらず、1000人以上もの聴衆が、会場に詰めかけたという。筆者も実際に観客の一人として聞いてきたので、そのときの様子をお伝えしたい。 冒

    東京工業大学・世界文明センター・講演会「アーキテクチャと思考の場所」レポート - 萌え理論ブログ
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    mn_kr 2009/02/01
    “この日の議論は、「生成」と「切断」の対立図式のように思えた。”
  • ポストモダニズム系リベラルの観点から東浩紀氏を全面的に擁護する - 法華狼の日記

    敵対する言説にも場を与えるべきと主張し、自らの講義へ来るよう批判者を挑発あるいは招待しながら、実際に出向いた批判者を選別したため*1、批評家の東浩紀氏が批判されている。 hirokiazuma.com 文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。 hirokiazuma.com 結局、東工大の授業に歴史認識問題を問いただす学生などだれひとり現れず、それどころか先週はいたゼロアカ生さえすっかり消え、いささか拍子抜けした東浩紀です。 つまりは、あいつらにとっては東浩紀はネタでしかな

    ポストモダニズム系リベラルの観点から東浩紀氏を全面的に擁護する - 法華狼の日記
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    mn_kr 2008/12/28
    “自分自身はポストモダニズム系リベラルを体現するつもりはない、それが東氏の「立ち位置」だ。”
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病

    どうも 授業を始めます 例によってプリントを待っている 今日はちょっとプリントが多く時間がかかるので雑談もしない 当は今ドゥルーズの「管理社会について」の一部を読んでいることになっていた しかし予定を変更して、 ブログとかで問題になっていると風の噂で聞いた歴史修正主義その他に関して話す 例外版 「ポストモダンと情報社会」とは関係ない 基的に僕が展開している主張はきわめてシンプル まず第一に僕の立場を明確にすると、 私的には南京事件はあったと思う 南京事件はこの際例に過ぎない、なんでもいい 数十万ではないだろうけど、数万規模であったと思う 専門家でもないのでこれ以上は言及しない ブログを見てもぐっている人居る? …居ない なら構いません 二番目 公的な信念としては、こう思う 1、 南京虐殺があると断言する人 ないと断言する人 かなりのボリュームでいる まずこれは事実 2、 ポストモダン系

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病
  • [lecture]東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第7回(11/21) - 2008-11-21 - メタサブカル病

    どうも 遅れてすいません この前の授業でも言ったけど、今度「思想地図」でシンポジウムをやる 「アーキテクチャと思考の場所」1月28日 17:30〜20:30 タイトルが変わった シンポジウムの広告を出さなさなければいけないので、 浅田彰の肩書きをどうするか相談していた 浅田さんにメールを送ったら、「なし、敢えて言うなら批評家」という返事が来た そんな話し合いをしていた - フーコーの話をしていた 田村哲樹『熟議の理由』 僕と似たような年の政治学者 公共性の問題について話をしている 別の角度から議論 補助線を引いてみたい ゼロアカ系現代思想 今度思想地図にも書いてもらう どんなことを言っているか 政治学の世界では ・熟議民主主義 一生懸命話し合おう ・闘技民主主義 民主主義は戦いだ という考え方がある 熟議民主主義の擁護 それが成立する条件について書かれている 北田暁大『責任と正義』への応答

    [lecture]東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第7回(11/21) - 2008-11-21 - メタサブカル病
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第8回(11/28) - メタサブカル病

    どうも遅れてすみません 例によって後でプリントが来るのでそれを待つ--プリントが来ないので授業をする 今回はテキストを読むぞ系でやっていた オタクにとって公共性とは何か 動物化とは何か ハンナ・アーレント、斎藤純一氏の一部のを読んでいた 斎藤純一氏が読むアーレントの公共性の定義 ・現われの空間 表象の空間、固有名として尊重される空間 ・世界への関心 共通世界 この2つが公共性を定義付ける 「現われの空間」は匿名性の空間に近い だったら2chの名無しの空間がもっとも公共的になるのでは 絶対的な真実は無い いつまでも議論が続く だったら南京大虐殺はなかったという話も認めることになる もし斎藤氏の定義に基づくならそうなる 認めないなら別の要素が必要 南京大虐殺については あったという奴、なかったという奴、 それを併せ持つ形で設計されなければならない 僕はあったと思う、と何回も言ってるけどみんな

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第8回(11/28) - メタサブカル病
  • land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」

    『思想地図』が出版されるようである。予告どおり、ここに完成稿を公開する。もとより勝手な「挑戦」であるから、その結果については読む方の判断にゆだねたい。 「トランスクリティークとポストモダン」 なお、これまでいささか冗長な「草稿」を公開してきたが、稿はそれとは独立した単独の論稿である。それでも、稿を読んで細かい議論に興味をもった方には、「草稿」と「『世界共和国へ』を読む」は参考になると思う。サルトルについては、あらためて時間をかけて取り組むつもりである。 また、稿の完成に先立って柄谷行人氏とお会いする機会があった。後半部分は、そのときのやりとりに着想をえて書いたものである。付記するとともに、この場を借りてあらためて柄谷氏に謝意を述べたい。 鈴木 基 ポスト・モダンな言説の「嵐」は、すでに少数の学者・批評家の範囲をこえて吹きまくっている。私自身の書いたものがその原因の一端であるといわれる

    land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

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    mn_kr 2008/11/08
    講義録1-4まで
  • 「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」『情報環境論集』 - logical cypher scape2

    LSDを買うかどうかは迷っていたのだけど、http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20070825/p3をきっかけに購入。 滅茶苦茶面白い。 これは、結論が出なかったという点では「失敗作」なのかもしれないが、こんなに面白いとなると「失敗作」と呼ぶのはもったいない。 この作品から『動物化するポストモダン』が生まれてくることになる。 この論文は、面白いというか示唆に富んでいるというか、動ポモではわからなかった哲学的ないし思想史的背景がよくわかる。 東ってやっぱり滅茶苦茶読んでいるんだなー、ということもよくわかる(^^; 哲学畑に閉じこもっていてもよくないから出ていこう、とした、東の考えはよくわかるんだけど*1、もうちょっと哲学畑でいじくりまわしてみたい自分としては、この論文はスタート地点になりうる気がした。 『不過視なものの世界』で言われた通り、「見えるもの(イメージ)

    「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」『情報環境論集』 - logical cypher scape2
  • なぜ東浩紀はすごいのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「動物化」という新時代宣言 東浩紀を象徴する言葉といえば「動物化」でしょう。「動物化」という考え方は既存言論のカウンターと位置づけられます。日の言論文化には文化サヨ的(主知主義的)な傾向が根強く残ります。「世界を理解しつくし世界を設計しなおせる。」このような傾向は東の登場前にすでに時代遅れなものと考えられ、パロディ、アイロニーへの転倒が行われていました。しかしこのような転倒さえ重たい。そこにはまだ言葉(思想)への執着がある。すでに若者はもっと軽く、世界にアディクションしていると訴えたのが東の「動物化」です。 これは社会への訴えというよりも、言論文化への訴えの意味が大きいでしょう。それまで時代の寵児とされていた浅田や宮台なども、もはや新たな若者文化からはズレているという新たな世代の言葉の到来を宣言したといえます。 そしていつの時代も一定数いる言論少年たちはいままでの言論を言語過剰で古いもの

    なぜ東浩紀はすごいのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    mn_kr
    mn_kr 2008/11/05
    環境というタームを導入(デリダ読解を通じて→スティグレール)
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000411.html

    mn_kr
    mn_kr 2008/05/24
    “彼女は、人間を愛せ(他者に直面せよ)とも、キャラクターを愛せ(自分のなかに閉じこもれ)とも述べていない。彼女はむしろ、キャラクターから愛されることで世界への愛を取り戻せ、と訴えている”
  • なぜ「デリダ的脱構築」は不可能なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    神話的暴力と神的暴力 「正義の門前:法のオートポイエーシスと脱構築」馬場靖雄 (http://www.thought.ne.jp/luhmann/baba/gj/gj00.html)を参照に、ベンヤミンの「暴力批判論」、デリダの「法の力」による暴力論を考える。 ベンヤミン「暴力批判論」では法の暴力を、「神話的暴力」と「神的暴力」に分けている。 ・神話的暴力・・・何らかの目的のために行使される暴力 法維持的暴力・・・現存の法秩序を再生産する 法措定的暴力・・・空白状態のなかから新たな秩序を立ち上げる ・神的暴力・・・何ものをも目的としない暴力 いっさいの領域で神話が神に対立するように、神話的な暴力には神的な暴力が対立する。しかもあらゆる点で対立する。神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は限界を認めない 「暴力批判論」 ベンヤミン 前者(神話的暴力)

    なぜ「デリダ的脱構築」は不可能なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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    mn_kr 2008/02/06
    ベンヤミン-デリダの思想と、東『存在論的、郵便的』での議論を接合
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000363.html

  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000361.html

  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形