セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者がしたことと同じだ。福島県の農家はいま日本社会に向けて銃弾を打ってる。 福島県のコメ3(7月3日まとめ)http://togetter.com/li/157117 の実質的続き 私は福島県産の農産物を一生口にしない(7月27日まとめ) http://togetter.com/li/166702 につづく
せっかくなので、昨日に引き続き『続堕落論』も読んでみた。ただそれだけのお話。 昨日触れた通り、『堕落論』は戦時体制や武士道による幕藩体制など、新旧の秩序の欺瞞を白日の下に曝したが、『続堕落論』は日本人(特に農民)の美徳と言われる「耐乏」、「忍苦」の精神について論ずる。坂口安吾に言わせれば、これもまたカラクリである。 農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。乏しきに耐える精神などがなんであるものか。必要は発明の母と言う。乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに発明が起り、文化が起り、進歩というものが行われてくるのである。 坂口安吾『堕落論 新装版』「続堕落論」角川文庫 122頁 いやあ清々しい。清々しいとしか言いようがない。自分の表現力の拙さが口惜しい。戦時中も「贅沢は敵」だとか「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」だとか「欲しがりません勝つまでは」とか言いはやされて、世間に同調圧力の空気
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