十二年、隨(諸葛)亮出屯谷口。亮卒于敵場。(楊)儀既領軍還、又誅討(魏)延、自以為功勳至大、宜當代亮秉政、呼都尉趙正以周易筮之、卦得家人、默然不悦。而亮平生密指、以儀性狷狹、意在蔣琬、琬遂為尚書令・益州刺史。儀至、拜為中軍師、無所統領、從容而已。 (『三国志』巻四十、楊儀伝) 大したことじゃないんだが、諸葛亮死後の蜀では、魏延を誅した楊儀が自分こそ諸葛亮の後継者と思っていたが、実際には蔣琬でした、となる。 「(楊)儀至」以前にすでに蔣琬が尚書令となっているので、遠征軍が帰還した時には全てが終わっていて、諸葛亮の後継ポジションには既に蔣琬がいた、ということだったのか。 何をする余地も無く、帰還した時には命かけてたわけでもない格下(と思ってる)お留守番が自分を飛び越えていたら、そりゃあ外からでもわかるくらいに憤怒するだろうなあ。