「20世紀少年」(浦沢直樹)は、インターネット上を含め大きな論議を呼んだ作品である。しかしその論議の中核は「『ともだち』の招待は誰なのか」「結論は適切であったのか」といったストーリーの細部に関わるものばかりであり、作品全体に関する統合的な視座の獲得に向けた議論はほとんどなされてこなかった。 今、映画版「20世紀少年」の公開を迎え、本作品に関する考察は以前よりもより内面に切り込んだものになることは間違いない。そこで私は、本項において「20世紀少年」がいわゆる「大きな物語」の虚構的・人工的再構成をモチーフとした物語であることを提示したいと思う。 象徴としての「大阪万博」 大阪万博は、端的に言って日本における「大きな物語」の象徴として機能している。当時、日本は高度経済成長期にあり、誰もが個人の存在を「国家の経済成長」に直結させ、来るべき理想に向けて一人一人が未来と希望を抱いていた。少年から大人ま
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