社会党時代衆参合わせて250人を超える勢力を誇っていたのも今は昔、辻元氏の離党でついに国会議員10名の小所帯に落ちぶれた社民党なのであります。 辻元氏は遠からず与党側に加わるという予測がありますが、これも失礼ながら多くの国民にとって別段どうでもよいことに映っておりますでしょう、線香花火の燃えかすのような今の社民党のお家騒動など誰にも相手にはされません。 社民党は分水嶺にあります。 このまま衰退していくのか、あるいは戦略・戦術を練り直して最後と思われる反転攻勢に出るのか。 「反戦」「護憲」を唱えるニッチな政党としてこれまでの「平和」な主張を孤高を守り唱え続けるも良しでしょう。 その場合おそらく現有勢力は減り続けることになりますが、それも主義を護る政党としての美しい生き様でありましょう。 そうではなく広く国民の支持を獲得できるリベラル政党として勝負にでるのならばここは最後のチャンスとも考えられ
<1> 佐高信による佐藤優評価が180度変わり、それが正当化されていることが、ブログ「アンチナショナリズム宣言」2008年5月14日付記事で指摘されている。佐高の弁明に何ら説得力がないことは、そこで指摘されている通りであるが、私がここで取り上げたいのは、佐高の佐藤優評価の変容において、2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編の最も重要な特徴点の一つが、観察できることである。 『金曜日』2005年6月10日号「読んではいけない」欄で、佐高は佐藤の『国家の罠』を取り上げて、次のように述べている。 「小泉政権の誕生により、日本人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった、と著者は書く。しかし、それは小泉だけの責任ではなく、憲法の掲げる平和主義に基づく外交を積極的に展開してこなかった外務官僚の責任でもある。/国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがり、そのことは必然的に核を保有するこ
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