大和川付替え反対陳情書に引用された「大和川開鑿地方図」によれば、駒川は狭山池の水を一時滞留させる轟池(堺市北野田)を源流とし、西除川に併行して北進する川と依羅池(注)を源流とする川が合流した水路で、古くは高麗川(巨摩川)と呼ばれていたことから、沿岸に百済や新羅からの渡来人が住み着いたことに由来すると言われています。 現在の人工水源の近くに、鷹合神社があり、ここには日本書紀の応神天皇43年9月条があり、百済系渡来人の酒君に依羅屯倉阿弭子(ヨサミノミヤケアビコ)が献上した鷹の飼育を命じた伝承があるので、沿岸地域に「鷹合わせ=鷹狩」が得意な百済系渡来人が定着していたことが想定できます。 また、架ける橋の名前も「百済大橋」「酒君塚橋」「鷹匠橋」「鷹合橋」があり、この伝承に因んだものと考えられます。 水源の天野川や依羅池が大和川付替えの際に分断され、雨水の溜池となった依羅池の水によって細々と流れてい