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ブックマーク / www.lib-sakai.jp (2)

  • 大和川付替えの頃 堺市立図書館

    大和川の付け替えは、洪水の被害に悩まされた農民の度重なる嘆願と、川の改修に尽くしたものの洪水がどうにも治まらない結果、ついに江戸幕府が行った大規模な公共工事です。 工事は元禄17年(1704年)2月から、その年の宝永元年(1704年途中改元あり)の10月までのおよそ8ヶ月間で行われました。工事区間を数箇所に分けて、いくつかの大名に工事を請け負い競わせたり、川を掘るのではなく堤を築いて川を作って行く工法によって工事は早く終わることができました。 寛永泉州大絵図抄録(写) 寛永16年(1639) 大和川付け替え前の堺の絵図で、大和川はまだなく、三方を濠で囲まれた堺の町が描かれています。 河内堺新川絵図 文化3年(1806) 大和川付け替えにあたり、流域の村々への告知を目的に配布された絵図です。絵図には付け替え後の川が「新川」と書かれています。また「御鍬初」とある2月27日は工事が始まった日です

  • 古地図に見る大和川 堺市立図書館

    付け替え前の大和川は、現在の柏原市付近で石川と合流後、北または北西に枝分かれして、八尾・東大阪・大東市を横切り、大阪城の北で淀川と合流していました。 付け替え後間もない頃から、大和川は堺の絵図に描かれてきました。現在、大和川は大阪市との境界になっていますが、明治に入るまで摂津と和泉の国境は、堺の大小路筋でした。明治4年(1871)7月、当時の堺県が国境を大和川に定め、そのまま現在にいたっています。

    oriono
    oriono 2009/05/26
    堺の港湾機能が衰退していく過程を考えるうえで興味深い。また、いくつかの絵図は大和川北岸の我孫子・苅田・杉本等の歴史を考えるうえでも興味深い。
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